1991年、社会人になったら「は~い、大阪行ってねえ~」と言われて、
異文化でのリスキーな一人住まいが始まった。
料理を自分でやり出したのは、引っ越しをした中学三年生以降のこと。
ただ、学生のころは、あくまで趣味や気分転換として料理を楽しんでいた。
しかし。
いよいよ自炊すべき「さもしく」リアルな「暮らし」の始まり。
その始まりと共に、さまざまな料理に挑戦しては・・・よく失敗した。
コロッケを作ろうとコロモを付けて油の上に入れると、たわら型にまとめたはずのコロッケは、シュワシュワと油の中で遊びながら分解していった。
「おいおいおいっ、ちょっと待ってぇ~」と金魚すくいのように、ちりぢりになっていくコロッケのカケラを掬い取った。
ひもじい気持ちで、コロッケとは呼べない揚げ物のカケラをおかずに、ごはんを食べた夜もあった。
この頃、東京ではテレビでやっていた「セイシュンの食卓」(そのまんま東と相原勇のコンビが司会)という土曜の料理番組があった。
定期的に、ビデオレターを送ってくれていたハブ噛み師匠は、この番組も録画してくれた。
同時に、大阪で自分は、この「セイシュンの食卓」のマンガ版を買い、読んで楽しみつつ、様々な料理実験を試みた。
「セイシュンの食卓」は、貧しい学生・独り者を対象に、手軽に在り合わせの食材で安くて美味しくハラを満たす料理を掲載していた。
***
先週、疲労困憊と暑さに拠り、ゴマちゃんのように・室内に横たわっていた。
外に行くチカラもなかった。
そういう中で、「なんとか残り物でどうにかして食べ物を・・・」と頭の中で「むむむっ」とミケンにシワを寄せながら、思いめぐらせていた。
その後「すっく」と勢いのみで立ち上がり、台所で描いたモノを作った。
これが仕上がり品。
これが独り者の暮らしの実態の姿。
「残り物には福がある」なることわざがあるが。。。
単なる残り物を組み合わせた奇妙な「そばめし」。
世に広まった「そばめし」の「そば」は一般的に<焼きそば>であるのに対して、ここにある「そば」は、<日本そば>なり。
***
・3パック入りの生そばを買ったものの、1パック残っていた。
・残りご飯を温めようとしたが、電子レンジが壊れたらしく、エラーナンバーが出て温まらない。
・具はどうするか?と思ったが、おかずらしきものは枝豆と納豆しかない。
よって、枝豆はカワをむき、納豆にはダシ汁を混ぜる。
この生そば・残りご飯・枝豆・納豆を、フライパンで炒めて絡める。
味付けは、残りカケラで固まってしまった「中華あじ」(味の素)をほぐして少々、塩少々。
最後に、残っていた液体の醤油ラーメンスープをちびっと・・焦がすように垂らして仕上げ。
見る人によってはひもじさを感じられども、自分の方は「ごちそう」。
あつあつな中、ほくほくと食べる。
なかなか良い味に仕上がり、成功だった。
【こちらは”横浜銀はえ”。中学生時代、ずいぶんと迷惑を受けた方々。
「てめえらっ!ヒトを見た目で判断するなよ!」とよくテレビやラジオで叫んでいたが、そーゆーことではないんです(苦笑)(~_~;)。】
***
ネットで、今一度「残り物には福がある」のことわざの意味を確認してみる。
『人と競って先を争うのを戒めるときに使う。
また、順番が後になった人を慰めるときに使われることが多い。
我先にと人を押しのけるよりも、人と争わず遠慮深い人にこそ幸運があるということ。』
「慰め」ともあるように・・・・・
自分のように出遅れて・周回遅れしたヒトへ、その萎えた気持ちをなだめる語の側面が強い。
想起するは、
ピンク・フロイド「タイム」の詞にあった『お前は、人生のスタートするピストルの音を聴き損じたのだ・・・』。
安部公房「箱男」にあった『周回遅れのランナー、観客の居なくなった夜中の競技場ゴール・・・』といったセリフ。
ただ、もはや40半ばを過ぎた自分には、焦りという気持ちは若い頃に比べれば少ない。
今回「残り物には福がある」で面白かったのが、英語で訳したコトバ。
「Good luck lies in odd numbers・・・」 = 「半端物に幸運あり」
こげぱんはキレイぱんと一緒に店頭に並んでみるが、結果売れずに残り、やさぐれた気持ちを鎮めるために、相棒のクリームぱんと痛飲するが・・・・
はんぱモノ=かたちんば、に幸運よあれ。。。と、勝手にひん曲げてコトバ遊びをしてみる。
***
身近な東京の街では、整形らしきものを顔にほどこした一般女性に出会うことが多くなった。
接近せざるを得ない電車に乗ると、特に目立つ。
見るとすぐに違和感。
五体満足で何の損傷も負っていない者が、整形程度のことだけで悩みが解決するなら、お安い御用。
そう思う。
■ダリズ・カー(Dalis Car/ピーター・マーフィー&ミック・カーン)
「創造と融解(Create & Melt)」'84■
異文化でのリスキーな一人住まいが始まった。
料理を自分でやり出したのは、引っ越しをした中学三年生以降のこと。
ただ、学生のころは、あくまで趣味や気分転換として料理を楽しんでいた。
しかし。
いよいよ自炊すべき「さもしく」リアルな「暮らし」の始まり。
その始まりと共に、さまざまな料理に挑戦しては・・・よく失敗した。
コロッケを作ろうとコロモを付けて油の上に入れると、たわら型にまとめたはずのコロッケは、シュワシュワと油の中で遊びながら分解していった。
「おいおいおいっ、ちょっと待ってぇ~」と金魚すくいのように、ちりぢりになっていくコロッケのカケラを掬い取った。
ひもじい気持ちで、コロッケとは呼べない揚げ物のカケラをおかずに、ごはんを食べた夜もあった。
この頃、東京ではテレビでやっていた「セイシュンの食卓」(そのまんま東と相原勇のコンビが司会)という土曜の料理番組があった。
定期的に、ビデオレターを送ってくれていたハブ噛み師匠は、この番組も録画してくれた。
同時に、大阪で自分は、この「セイシュンの食卓」のマンガ版を買い、読んで楽しみつつ、様々な料理実験を試みた。
「セイシュンの食卓」は、貧しい学生・独り者を対象に、手軽に在り合わせの食材で安くて美味しくハラを満たす料理を掲載していた。
***
先週、疲労困憊と暑さに拠り、ゴマちゃんのように・室内に横たわっていた。
外に行くチカラもなかった。
そういう中で、「なんとか残り物でどうにかして食べ物を・・・」と頭の中で「むむむっ」とミケンにシワを寄せながら、思いめぐらせていた。
その後「すっく」と勢いのみで立ち上がり、台所で描いたモノを作った。
これが仕上がり品。
これが独り者の暮らしの実態の姿。
「残り物には福がある」なることわざがあるが。。。
単なる残り物を組み合わせた奇妙な「そばめし」。
世に広まった「そばめし」の「そば」は一般的に<焼きそば>であるのに対して、ここにある「そば」は、<日本そば>なり。
***
・3パック入りの生そばを買ったものの、1パック残っていた。
・残りご飯を温めようとしたが、電子レンジが壊れたらしく、エラーナンバーが出て温まらない。
・具はどうするか?と思ったが、おかずらしきものは枝豆と納豆しかない。
よって、枝豆はカワをむき、納豆にはダシ汁を混ぜる。
この生そば・残りご飯・枝豆・納豆を、フライパンで炒めて絡める。
味付けは、残りカケラで固まってしまった「中華あじ」(味の素)をほぐして少々、塩少々。
最後に、残っていた液体の醤油ラーメンスープをちびっと・・焦がすように垂らして仕上げ。
見る人によってはひもじさを感じられども、自分の方は「ごちそう」。
あつあつな中、ほくほくと食べる。
なかなか良い味に仕上がり、成功だった。
【こちらは”横浜銀はえ”。中学生時代、ずいぶんと迷惑を受けた方々。
「てめえらっ!ヒトを見た目で判断するなよ!」とよくテレビやラジオで叫んでいたが、そーゆーことではないんです(苦笑)(~_~;)。】
***
ネットで、今一度「残り物には福がある」のことわざの意味を確認してみる。
『人と競って先を争うのを戒めるときに使う。
また、順番が後になった人を慰めるときに使われることが多い。
我先にと人を押しのけるよりも、人と争わず遠慮深い人にこそ幸運があるということ。』
「慰め」ともあるように・・・・・
自分のように出遅れて・周回遅れしたヒトへ、その萎えた気持ちをなだめる語の側面が強い。
想起するは、
ピンク・フロイド「タイム」の詞にあった『お前は、人生のスタートするピストルの音を聴き損じたのだ・・・』。
安部公房「箱男」にあった『周回遅れのランナー、観客の居なくなった夜中の競技場ゴール・・・』といったセリフ。
ただ、もはや40半ばを過ぎた自分には、焦りという気持ちは若い頃に比べれば少ない。
今回「残り物には福がある」で面白かったのが、英語で訳したコトバ。
「Good luck lies in odd numbers・・・」 = 「半端物に幸運あり」
こげぱんはキレイぱんと一緒に店頭に並んでみるが、結果売れずに残り、やさぐれた気持ちを鎮めるために、相棒のクリームぱんと痛飲するが・・・・
はんぱモノ=かたちんば、に幸運よあれ。。。と、勝手にひん曲げてコトバ遊びをしてみる。
***
身近な東京の街では、整形らしきものを顔にほどこした一般女性に出会うことが多くなった。
接近せざるを得ない電車に乗ると、特に目立つ。
見るとすぐに違和感。
五体満足で何の損傷も負っていない者が、整形程度のことだけで悩みが解決するなら、お安い御用。
そう思う。
■ダリズ・カー(Dalis Car/ピーター・マーフィー&ミック・カーン)
「創造と融解(Create & Melt)」'84■
アラブのことわざに「少額貨幣は身を助ける」というものがあり、私はコイン(100円以下)をせっせと貯めています。
(しかも今回はレシピ付きで、味の想像までできます^_^)
実は、ばあちゃんがあり合わせのもので作ってくれたおやつメニューの中に、
日本そばの焼きそばがありました。
味はよくは覚えていませんが(笑)焼きそばの麺じゃないんだ…と感じつつも、工夫して作ってくれた思いが伝わる一品でした。
帰りの遅い母に代って夕飯を作ることが多かったばあちゃんの横で、
コロッケの流れ作業はよく手伝いました。
ひとりで作ると、工程が多い!は、落ちてくる袖を上げてくれる人が居ないは…に気付く。
かたちんばさんの奮闘が目に浮かびます…
食費を考えてということもあるかとは思いますが、料理はやはり興味がなくては作れませんね。
「セイシュンの食卓」懐かしいです…
と思いかけて、この中のレシピをベースに今でも作っているものが自分にもありました。
サバの味噌煮とベイクドチーズケーキ。簡単でも、それなりに美味しくなります。
貧乏学生(今はそのまま貧乏大人ですが)の栄養兼ごちそうの、ツナ缶や納豆のメニューも色々試しました。
アフタークリスマス麺?だったかはちょっと期待した分、自分には失敗作でした。
お肉のコーラ煮・ウーロン茶煮など豪快なメニューもあって、作らなくても笑いや参考が十分得られました。
実態とおっしゃいますが、立派な食卓であり作品のひとつ。
枝豆のアクセントが、テーブルクロスとお揃いですね。
続編を愉しみにしています。
終わったはずの梅雨空に逆戻りでしたが、過ごしやすい一日でしたね。
明日も涼しいそうです。
週末はよい眠りにつけますように。
じゃがいもを茹でる
具を炒める
揚げる
加熱だけで3工程。
でも、揚げて分解したことはないです。
最近は、揚げ物は買っています。
炒め物は簡単でいいですね。
レバニラ炒めとか。
ボートピープルの人は、紆余曲折の上そうなった人が多く居ます。
かつて紹介した本「友がみな我よりえらく見える日は」に芥川賞を取った東峰夫が、転落の末、たくましくそういう「宝」を毎夜まさぐるシーンがあります。
よく「エコエコ・・・」と言う日本社会の欺瞞。
エコではない人がエコを語っている。
最近では、スカイツリーのせいで、隅田川周辺からそういう人々を排除しようとする動きがあります。
世の中の狭雑物を除去しようとする。
あってしかるべきの狭雑物を排除することで、かえってバランスを崩す。
***
ワンちゃんの食べ物が「半端ない」のは、ほほえましいシーンでもあります。
昔、出雲の親戚の家に泊まった際に、大好きな賢い柴犬がまさに残り物をおいしそうに食べているシーンを思い出します。
お行儀の良いシバちゃんでした。
人と生き物が共存している風景は、とてもすがすがしいものを感じた記憶があります。
「少額貨幣は身を助ける」
初めて知りました。
好きな大竹伸朗さんは、果敢に過激にアートに取り組む為に「人は安定すると、小金を溜めだすんだよ」と吐いたコトバ。
「私には無理だな」と思いました。
西川きよしは嫌いですが(彼がよく吐く「小さな事からコツコツと」・・・
似て非なるものですが、
ロバート・フリップが「ディシプリン=鍛錬こそがカベを超える」というコトバの方に、自分はシンパシーを感じます。
小さなものの積み上げが化学変化を起こすのを、自分は信じています。
ガス・電気・・・いろんな手間。
だからと言って、安い食べ物屋さんにお世話になりながら、それでも横柄な態度を取る現代家族の肖像には違和感を覚える世代。
料理の悪戦苦闘は繰り返してきました。
まあ、好きなんでしょうね。
というか、料理には理科の実験みたいな楽しさがあるのは事実でしょう。
***
「セイシュンの食卓」には、確かにカンズメを利用した料理が結構ありましたね。
また、意外な組み合わせが美味しいものになるのも楽しい本でした。
小雨が降り出したようです。
今週、夜は扇風機のみで寝ましたが、そのせいかどうか?
4時~5時には起きてしまうので、何か妙な疲れが溜まっている夜です。
今夜から明日、涼しいのはありがたいこと。
疲れを取りたいと思います。
冬には、買ったコロッケをお袋さんが夕食までコタツの中に入れていました。
うちでは、そういう暖め方が常識になっていました。
***
大阪で作ったコロッケは、じゃがいもを粉々にして、丸めて玉子を付けて、その上からコロモでしたが。。。
どうやら、今思えば、パサパサの系統のおいもだったのかもしれません。
「つなぎ」不足だったのが失敗要因。
炒め物は、確かにラクで色んなことが出来ますね。
ただ、自分は遺伝でコレステロールが高いので、油は少なくするように心がけています。
なーんて言いながら、蜜の味。
ついつい揚げ物を食べてしまいます。
おかずとしてコロッケを買うってことはなかったのです。
コロッケの作り方。
じゃがいも(男爵)を皮ごと茹でる。
茹で上がったら、皮をむき、ビール瓶の底でつぶす。
豚ひき肉と玉ねぎのみじん切りを炒めて、塩コショウで味をつける。
つぶしたじゃがいもと具を混ぜて、俵型に成型。
小麦粉、溶き卵、パン粉の順に衣をつけて、油で揚げる。
コロッケは、真面目に作れば必ず美味しく出来ます。
じゃがいもは、ホクホクの男爵とねっとりしたメークインがありますが
コロッケやポテトサラダは男爵、煮物はメークインですねえ。
それが目に見えてわかったものです。
しかし、よくおいもは、使い切れずに芽が出て育ったことがありました。
大量な袋入りを「安い」と買って、そう育った野菜は沢山ありました。
最近は、一個買いしています。