こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年8月2日 土曜日 かたちんば・夏の100曲 ~トレイシー 「恋のしぐさ」’84~

2014-08-02 20:11:30 | 音楽帳



■Tracie Young 「(I Love You)When You Sleep」1984■
ジャムを捨ててスタイル・カウンシルを創った1983年からのポール・ウェラーの流れ。
レスポンドレーベルを設立した後、その秘蔵っ子だったトレイシー・ヤングが「恋のしぐさ(Far From The Hurting Kind)」でデビューを果たした1984年。

1984年の夏、ボクはハワード・ジョーンズ初LP「かくれんぼ」、トンプソン・ツインズ「イントゥ・ザ・ギャップ」、マーク・ノップラー「カル」、ドゥルティ・コラム、ミカドなどをこよなく愛し聴いていた。そして、この「恋のしぐさ」も。

1984年の夏、ボクは高校二年生。という言い方もむずかゆいほどに、30年も前のこととは未だに思っていない。それを痴呆症というなら、さっさと隔離してもらって結構だが、歩いていると幾らでも自分の脳の中では美しい音楽が輝き回っている。それは、本人が死んでさえ。
嫌なあんたの窓辺で深夜遊んでいるよ。

昨日あったこととして、白昼夢が見れる心身になっている。クスリ抜きで。そんな装置製造を行ったのは、この1984年からのこと。
その製造方法は今では自分も分からないのだが、さまざまな諸条件から、体内欲求・狂気に至る抑圧と意志が絡まりあい、試行錯誤を続けた結果、このような状態を祖先は自分の身に備えてくれた。
STAP細胞の作り方は、科学者じゃなきゃ分からないように、それを具体的に、と言われても説明が出来ない。

本当は、作品「恋のしぐさ」A面4曲目の「 I Can't Hold On 'Til Summer(邦題:ひとりぼっちの夏)」が一番今の季節に輝く。
トレイシーのキレイで伸びやかな声と、切なくも美しいメロディ。誰も居ない夏の学校の校庭を思い出す。

***


兄が偶然、新宿で会ったというCDをプレゼントしてくれた。海賊版CD。
NHK-FMで放送されたもの以外の曲も入り、高音質。
クリアなマスターテープから録音した、としか思えない1982幸宏ライヴを聴き、島を歩きながら、一人その永遠に輝き続ける音に涙を流していた。嗚咽し、ひざまづきそうになる。
ドリップードライ・アイズ、サムシング・イン・ジ・エア〔予感〕。。。

■高橋幸宏 「サヨナラ」(1982.07.26 新宿厚生年金会館)■





パソコンもデジタルカメラもついに壊れた。まあ、どうせ消えるのだから、壊れてしかるべきだ。
今日午後の小旅で撮影した写真が消えた。そんなものだ。
スマホではない携帯で写真を撮る。
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2 コメント

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回想 (四月の魚)
2014-08-02 22:18:00
かたちんばさんとはまた別かもしれませんが…
高校時代に幸宏の世界にとらわれっぱなしで、この年まで来てしまったので、身につまされますね。
しかも、結局はここに回帰してしまう。

当時のブート盤を持っているなんて、最高にうらやましい…。
あまり人をうらやまないのですが、これはもう文句なしにうらやましい。
まさに喉から手が出るとはこういう時に使う言葉ではないかと。

スタイルカウンシルですが、ティアーズ・フォー・フィアーズの風刺ソング「sowing the seeds of love」の歌詞の中に
Kick out the Style! Bring back the Jam!
「スタイル(きどり)なんざ蹴っ飛ばせ、ジャム(混沌)を取り戻せ」
って、あるのがなかなか小気味いいですが笑えますね。まあさっき久々にウェラーのソロの「サンフラワー」とか聴いてたんですが。

そういえばカフェバーで「ロジャース」とかかかってると「この曲いいよね~、クイーンだっけ」とかいうバ○女がたくさんいた時代です。
心の中で、お経のようにこのティアーズ・フォー・フィアーズの歌詞を唱えていました。
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Unknown (かたちんば→四月の魚さんへ)
2014-08-03 13:53:20
四月の魚さんが言う「結局はここに回帰してしまう」というセリフは、ボクも思うことです。
自分も、中高生以降YMO3人それぞれに心を奪われたまま、ちんたらしている自分の手を引きずって、未来にまで歩かせてくれたように思います。

80年代後半から90年代、それも期待できない。。。という時代には、いかにしてこの3人から離れた音に幸福を見い出すかばかりに無理していたように思います。

スタイル・カウンシルを巡るお話しは、興味深いです。
自分は、当時コンポを持たない者たちから、LPをカセットに録音する仕事を依頼されることが多かったですが、男子校のくせに、スタイル・カウンシルのLP「カフェ・ブリュ」を買う男が周囲に多くいました。
それまで洋楽とかかわりが無い者まで。

それがスタイル・カウンシル/ポール・ウェラーの不幸であり、純粋に音楽と取り組む彼の意志に反した誤解を産みながら、ポップグループの告白などと言わざるを得ない状況に追い込まれていく。

カフェ・バーのあの頃の光景は、未だにヘドが出るほど嫌いです。あそこに居て、今も似たような人間も含めて、接触したくないですね。
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