こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年4月3日 金曜日 「春の嵐の月夜。ピンクフロイドを聴く。」

2015-04-03 23:52:07 | 音楽帳

「散るをいとふ 世にも人にも 先がけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐(さよあらし)」(三島由紀夫)

春の嵐。せっかく咲いたというのに、すぐに桜を散らして行く。止めようもなく。
桜という花の美しさとはかなさ。
花びらは風に舞い、落ちた川のみなもで文様を描いて流れてゆく。

夜はまんまるのお月様が流れる雲の中で、ぼんやり浮かんでいる。
幻想的な光景。

***

「人生で君ができることは、結局君自身であり続けることくらいだ。
ある人たちは君が君であるために、君を愛してくれるだろう。
大部分の人たちは、君がその人たちにしてあげられることで、君を愛してくれるだろう。
そのほかの人たちは、君を愛してはくれないだろう。」


“きみはきみでしかない・ぼくはぼくでしかない”ということを神経質に恐れすぎるときには。。。

上に書いた手合いのシニカルな「物言い」は、いい加減聞き飽きた。
確かに事実だろう。だが、ネガティヴになり過ぎたところで、何もありはしない。気にし過ぎたところで意味がないのである。

ただ、そうは言っても、逃げられない鬱な意気消沈するようなときはあるはず。
そういうとき用に、自分なりの気を紛らわす術を何パターンか用意するだけだ。

ウソでもいいから、好きな“あなた”がしあわせであるように。

ピンクフロイドは歴史に残るべき音楽なのだということを、自分が必死こいて言うまでもなく、それは数十年前から確定した“事実”。その理由もはっきりしていて、“にんげん”なる存在の深淵と訳の分からない不可解さの源を切り取り音楽に定着させている点。

決して難易度が趣味の音楽ではない。道を進もうと思えば自然とそうなるはず。
ところが、そこで奏でられる旋律がとてもメロディアスだったりするので、腰砕けという批判も浴びた。あるいは、80年代をむかえようとする段階で既にプログレッシヴロックは絶滅しており、唯一と言っていいくらいにその中で残っていたのがピンクフロイドだったので、自分の兄のようなプログレ世代からも「フロイドはきたない」などと当時言われるような存在だった。(現代のように、多くの支持者に囲まれる状況では無かった。)

しかし、そんな80年代になってもアメリカの「ビルボード」チャートに延々としぶとく、ピンクフロイドのアルバム『狂気(ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン)』は頑として居座っていた。これがヨーロッパなら分かる部分はあるが、それがアメリカのチャートだったので、なお一層の謎が当時の自分にはあった。

私がピンクフロイドと初めて出会ったのは、ラジオから聴こえてきた「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」。二枚組アルバム『ザ・ウォール』からのシングルカット。1980年、土曜昼下がりのポップスベストテン。先だって話した「フロイドはきたない」(兄)とは、この頃言われた言葉である。

この頃、カセットテープを買うとポイントシールがあって、集めると抽選でLPレコードがもらえるキャンペーンがあった。その小冊子には2~3センチメートル角のカラー印刷でびっしりLPレコードのジャケットが掲載されていて、何度もながめては、ピンクフロイドのジャケットデザイン(ヒプノシス)の素晴らしさに「ああ、こんなレコードが全部買えたら」と憧れていた。特に「アニマルズ」の工場と煙突の風景に胸打たれた。

その後、やっと1981年、兄が彼らの存在を認めていた時代に買った「狂気」「炎」のLPレコードを借りることが出来た。その日からカセットテープに落として聴くことになる。アルバム一枚まるごとがコンセプチュアルに創られていて、ジャンルがどうのこうの・・・プログレがどうのこうの・・・では済まない世界を覗いた感覚が産まれた。

1982年春。「なぜか」ブロンディ、スティクス他ベスト盤シリーズがたくさん発売された中、ピンクフロイドのベスト盤(?)も発売された。作品名「時空の舞踏」。元々長い分数構成のフロイドを一枚にまとめようという暴挙。「ベスト」というより「入門編」と言えばよかったのに。

ピンクフロイドというバンド全体を哲学的、と言うと、ただのスノッブが気取って小難しい詞とケムに巻くような音で括っているバンド&「取り巻き」を思い出すが、そんな連中と一線を画した「シャレにならない」度合がフロイドたるもの。

たとえば「Wish You Were Here」と「Time」、このたった二曲だけ挙げてもそれだけでノックアウトである。たいていこういった音楽は、日常茶飯事聴きたいとは思わない(であろう、ふつう)。それは私も同じはずだったが、この十余年フロイドを聴き直すうちに、何度も何度も聴きたくなる。
その「この十余年」は、初めてピンクフロイドを聴いた80年代とは異なる。
歌詞を知ったということが大いなる違いであり、たぶん知れば青ざめることは分かっていた。むしろ知らなければ良かったとさえ思える内容。そこで「狂気」「炎」「鬱」などを改めて聴いていくこととなった。

大学からの友MZ師と会って話していると、文学青年だった彼もピンクフロイドが好きで、よく「Time」の歌詞をそらで言うことがあった。それもあって昔、このブログでその歌詞を載せたこともあるが、その時点さえ肉感を持ってその意味合いの重さを理解していなかった。

MZ師「(歌詞をすらすら言ったあと)・・・いかに怖い歌詞か、分かるか?」
私「ああ、わかっているよ」

三人で会っては毎週街歩きをしていた。そこから相当時間が経過する。この頃二人でなした会話を、今はもうしたくない。

今夜はむしろ、気が狂ってきちがいになってしまったシド・バレッドへの愛がつづられる「Wish You Were Here」の詞を載せたい。
■今夜の写経■
今でも、おまえは分かっているのか?

天国と地獄 青空と苦痛の違いを
冷ややかな鋼鉄の線路と緑なす野原の違いを おまえは今でも分かっているのか?
英雄と亡霊とを交換するやつらの取引に おまえは応じてしまったのか?

樹々のために熱い灰を売りとばし 涼しげな微風のために暑い空気を忘れ
変化がほしいために居心地のいい安らぎを 手放してしまったのか?
檻のなかの主役になるために 戦いに参加することまであきらめてしまったのか?


ああ おまえにそばにいてほしい
ぼくらは来る年も来る年も ひとつの金魚鉢のなかをさまよう哀れな魂
同じ大地を走りまわるだけで いったい何を見つけたというのだ?

結局、昔と変わらぬ恐怖だけ 
おまえがここにいてくれたら  (訳:山本安見)

■Pink Floyd 「Wish You Were Here」1975■




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1 コメント

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57577 (四月の魚)
2015-04-04 00:49:37
ひさかたの
ひかりのどけきはるのひに
しずこころなく
はなのちるなむ

文系なのに受験、大学の般教と古文がダメでしたが
毎年なぜか春になるとこれを思います。
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