今日が父の誕生日・海の日で、昨日家族で集合した。
憎しみが消えた、と言えば真っ赤なウソになるが、お互いいつ果てるか分からない中、楽しい時間を過ごした。
ゼロか100かという、単純さは、もはや無い。既に自分の魂はそこには無い。
昨夜から今朝はその疲れで、惰眠をむさぼれた。
馬鹿な中毒から身を削った結果、薬害しか生まない平成洗脳医療と距離を置き、やっとクスリ断ちに近付いた。4時間以上普段は眠れないというのに。
朝、植物たちにお水やりをしたら、今週初めてセミの声を聞いた。
いつも延々と音楽を聴いてる自分だが、電子画面上にある言葉をつい見てしまって、更新をやめることが多い。無駄な情報絶ちとは、TVもだが、インターネットの毒害の方が上になった二千十四年。10年前ですら、過去はそうでは無かった。
私は、道具として使うとしても、マン=マシーンにはなるつもりはない。抵抗し続ける。
「夏の100曲」とは、自分にとっては、過去の集約というよりも、今日この日に聴いている音楽。
二千十四年この日に聴いている音楽。
ついつい”これ一曲”とならないで、想いばかりがつのり、更新が出来なくなる。
7月20日 日曜日
午後、CDをMP3に落として、プレイヤーというナップサックにたんまりと詰めて旅に出る。
がさがさと渦から取り出したXTC、カルチャークラブ、ティアーズ・フォー・フィアーズ、サニー・アデ、スミス等々より。
目的もアテもないのはいつもどおり。
ふらふらとさまよい歩いて、音楽を聴き、タバコを吸い、シャッターを切っているうち、気付くと京島に居た。
路地で茶色のねこさんに出会う。同じ旅人として、カリカリを一袋。
その後も歩くが、夕方通り雨に遭う。
傘は差せども強いので、のき下でしばし雨宿りする。小降りになるまで。
■Tears For Fears 「Working Hour」1985■
幼心を傷めた少年二人が、吐き出した1983年一枚目。
そこから、攻撃と解放に向かった「ザ・ウェイ・ユー・アー」「マザーズ・トーク」「シャウト」「・・・ルール・ザ・ワールド」への流れ。
内から外へ。
ピーター・ゲイブリエルに影響を受けたローランド・オーザバル、そして友人カート・スミスが内的世界に居たところから、仲間たちとのインプロビゼーションにより生まれた音楽がセカンド・アルバム「ソングス・フロム・ザ・ビッグチェア」には多数収まっている。
インプロビゼーション曲「ザ・ワーキング・アワー」に現れたエモーショナルな訴え。
一方では、危ないエネルギーを持つ”こども”がうるさいので、せいぜい雨は強く降ったほうが、暮らしやすいはずの今。