不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

今、つらつらと思いながら・・・「日本」を正視してみる。

2010-01-10 18:02:39 | 雑記帳


●多分、今年中に、大手メディアのどこかは、潰れるかどこかと統合される。

●過去「ホリエモン」という人が居て、逮捕という事件に至ったが、果たして彼が捕まり、「誰か」が捕まらなかったか?
歴史は、全てウラのフィクサーによって動かされている。

●そのフィクサーと繋がっているのが大手メディアという営利団体であり、繋がっていないのが浮遊する生き物=ネット社会であり・一般人や良識人をスポンサーとして成立している真相を語る一部のメディアである。

●やっと、大手メディアにほころびが出て、その大手メディアが滅亡の時期に差しかかったと、自分は思っている。

***

●大手メディアは、このわが国である「日本」を、そして「日本人」を、その外側に居る「誰か」に擦り寄るために、偏向した報道・歪曲・捏造をし続けているのである。
これは、許されてはならない事である。

●「南京大虐殺」「従軍慰安婦」「靖国神社問題」これらは、全てそういう絡みから生まれた「反日キャンペーン」である。

●某新聞で、上記いずれかの記事を先頭切って書いた者は、日本海の向こう側の半島の手前の国の支局におり、奥さんはその国の人、という背景もある。
火を付けるという意味では、赤報隊も標的としたが、某新聞は常に放火魔みたいなものである。

***

●大手新聞は、D印刷かT印刷で刷られているが、同時に、138の国でカルト指定を受けている、極めて異様な新聞も同時に刷られている。
また、さまざまな雑誌類もこの寡占化した印刷分野でほぼ刷られている。

●同様に、広告業界はといえば、寡占化とは言いがたく、ほぼD社の独占状態にある。

●〔大手新聞-大手印刷会社-大手広告会社-大手テレビ局〕、これらは全て相互に温存された世界を築き、事実とは異なる「反日キャンペーン」を組み、私腹を肥やしてきた。

●我々が壊すべき対象は、その世界にしかない。
「日本」に住み「日本人」として生きる事にドロをかける者には、それ相応の革命が必要なのだと思う。

***

●一橋文哉の本は好きでさんざん読んだが、「オウム帝国の正体」 という本には、東京の某テレビ局が、「反オウム」であった坂本弁護士にインタビューしたヴィデオを、放映前にオウム幹部に見せてしまった事実が記載されている。
その後、某テレビ局は「坂本弁護士一家失踪事件」が起きても、知らないフリをして報道を続けていたのである。
この事件の犯行はオウムだったが、その導火線に火を灯したのは明らかに某テレビ局である。
また、この某テレビ局は、拉致監禁された国との間にも介在している。
まさに殺人報道局と言える。

●2009年、民社党が自公を選挙で倒したが、公のトップはそれを支える「誰か」にどんなツラを下げて、謝罪に行ったのだろうか?
また、それまでは、「日本」という国の中枢に、公が居座っていた事は日本人として恥ずべき事である。

●しかし、それが誰も言えないのは、まさに公(おおやけ)の事実である。
というのも、大手新聞の広告・ラジオのCM等に見事に載って居る事で明らかだろうからだ。あらゆるところに公は潜んでいるのだから。
「政教分離の原則」に反して、公明党には大きな支持母体があり、その恩恵を〔大手新聞-大手印刷会社-大手広告会社-大手テレビ局〕は受けているから、「何も言えない」のだ。

●信濃町の慶応病院の向かいの本屋さん、そこに行くと異様な事に気づく。
普通の本が置いていないからである。
公明党の支持母体の宗教の聖地であるからだ。
試しに喫茶店に行くといい。
自分は2人のおばはんが「何々さんは、〇十万お布施したらしいわよ」と話していたりするのを聞くことが出来る。

***

●自分は、東京に生まれ育ったが、大阪でドロにまみれて、濃厚にその文化圏の違いをまざまざとカラダで味わった。
「東京」は、流入・流出の多き、多様性を持っているがゆえに、「異人」への警戒感も薄く、その素姓を尋ねない「利点」がある。
しかし、その「利点」は「盲点」でもある。
「東京」の学校は、「道徳」という時間があったが、近畿圏には、「別の道徳」の時間がある。
これは大きな違いであろう。
「異人」だらけの東京⇔局所的に「異人」が居る近畿圏。
混じりあい混在している「東京」と異なる文化を自分は当時、遅かりしだが思い知った。

●そして、そこに「利権」があり、公務員なのに仕事場にも行かず給料を貰いながら、外車を乗り回して遊んでいる人々が居るという事実も明らかになっている。
それは、ごく一部の現象に過ぎないが・・・。

***

●私は、8月15日になると、この国のために命を掛けた人々の魂を鎮めるために靖国神社に行く。
外国はそれを批判するが、なぜ、ヨソの国の鎮魂に対して、口を挟む権利があるのだろうか?

●「戦犯」とはあいまいになっているが「東京裁判」とはそもそも勝利国がやりたいように、敗戦国を裁くという、でっちあげの裁判に過ぎない。
そこで、何が裁かれ、何が裁かれなかったのか?

●毎年、8月15日の暑い九段の坂を上る度に、凱旋車がたくさん居るが、この中に居る人々は、本当に鎮魂の為の日本人なのだろうか?

***

●さまざまな思いを、つらつらと無作為に書き綴ってきたが、戦後、既に1945年(昭和20年)から65年が経った。
この日本は、また、日本人は、この宙ぶらりんのカタチの崩れたクニに居る。
これから、どこに向かっていくのだろうか・・・・。

●暗躍する人・組織たちに負けず、櫻井よし子さんのような聡明な方が、堂々と「本当の事」を言うコトバが、日本人の心に響く事を祈ります。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三島由紀夫  「檄文」 より... | トップ | Paul Hardcastle  「Rain F... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (MZ)
2010-01-10 19:06:16
日本のマスコミは糞という事はまさに周知の事だな。
(森達也「放送禁止歌」)という本を数年前に読んだ。

日本のマスコミがどれだけ事なかれ主義で、
思考が停止した世界であるのか・・が良くわかる内容だった。
問題の背景やメッセージの本質を吟味する事も無く、
なんとなく放送禁止にされている事柄(皇室、、朝鮮に関連する事が三大タブーなのだそうだ)が以下に多いか。

清志郎がタイマーズのセカンドアルバム「不死身のタイマーズ」で
「障害者と健常者」という歌を歌っている。
******************************
僕をカタワと呼んでもいいのさ
変な決まりや常識で
僕をカタワにさせないでおくれよ
友情を駄目にしないでおくれよ
僕をメクラにさせないでおくれ
変なテストや道徳で
僕をメクラにさせないでおくれ
友情を駄目にしないでおくれよ

見て見ぬ 見てみぬふり
自分だけはカタワじゃないと信じてる
ことなかれ ことなかれの心
それこそ まさにカタワの中のカタワ
カタワ
*************************

このアルバムは他にも
「あこがれの北朝鮮」とか
「イツミさん」とか痺れる曲が満載なのだが・・
俺はこの曲が一番好きだ。


日本のマスコミは
まさに”カタワの中のカタワ”だな
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

雑記帳」カテゴリの最新記事