3月7日(木)9/4℃、くもり→晴れ。ネコは寝る私の足にいてぬくぬくしていた。こちら側はカラダ全体にダルさが充満して、心身ともに汚染された感覚。朝ごはんを食い、着替えをしながらはぐれ刑事を見るが、真剣に見られず脳に入ってこない。
寒い中自転車ころがしてリハビリ施術に向かうと、先生に顔色悪いよと言われる。施術していくうちに青白さが取れてきた。施術終えて再度自転車を飛ばして移動。山谷等々放浪。昼、移動に時間かかってしまい、残り時間が無くなりつぶあん&マーガパンとコーヒー。筋トレ兼リハビリ。
終わってなおさんとお話ししつつ駅まで歩き、別れる。帰り道、春の準備としてゴーヤの種を買う。まだ蒔くには早いけど。。八百屋、スーパーと回って、帰るとネコたちに夕ご飯。彼らが静かになってから、今度はじぶんの夕ご飯作りへ。久々に「青い魚」(金延幸子さん)聴きたくなり、支度をしながら聴く。荒井由実なら互角だけど、相手が“松任谷なにがし”(同一人物だが)ならば、金延幸子さんの曲の方がその100倍素晴らしい。映画「perfect days」のお陰で出会った曲は、もうすでに=(イコール)今年出会った曲ベスト10である。夜はバイタン鍋、仕上げはラーメン。食後2つのお店のおはぎを食べ比べするぜいたく。夜、バリカンと入浴。
■金延幸子「青い魚」(編曲 細野晴臣)1972■
くもおさんも聴いていたかもしれませんが、先日、ピーターさんのラジオを聴いていたら、教授の話しになりました。この3月で教授が亡くなって一周忌ということで、追悼特集をやると思っているリスナーが多かったとのこと。ピーターさんは、追悼特集はやりません・・・どうもそんな気持ちになれず、もし掛ける機会があったら、随時その曲を掛けますので・・・と話していました。
私も「ラスト・デイズ」は録画しましたが、まだ見ていません。
昨年からいくつか教授の特番を録画していますが、全然見ていません。気持ちが凍結したままで、見ようという気持ちになれないのです。かなり厳しい亡くなり方をした記憶がきつくて、未だ気持ちが固くなったまま・・・一年経っても事実を容認できないのかもしれません。追悼特集なんていう総括はゴメンだという気持ちもあります。
幸宏にも同じ気持ちですが、まだ幸宏の方が曲を聴く機会は多いかもしれません。教授ならば、初期のサウンドストリートのカセットをいくつか聴いたりはしました。
今の私は2人が亡くなる前と同じように、単純に好きだから・聴きたいから→曲を掛けるという行動のままでいたいと思っています。
くもおさんのおたよりを見て、ひさびさに、フェネスと作った「サンドル」を聴きたくなりました。春らしい空気の気配が充満した2007年の名盤。優れた音楽はたしかに作り手を離れて、時空を離れ、蝶のように空を舞っているのかもしれません。
僕はいまNHKスペシャルの教授のLast Daysを身終えたところで、誰かにこの気持ちを伝えたくて、すみませんがかたちんばさんに語りかけています。
音楽は、それを紡ぎ出した人には申し訳ないけど関係なく、勝手に世界に広がっていくものだなって思います。その巣立って行った作品の前では、作曲者も聴取者も同じ立場で鑑賞出来るものであり、子供をもつ親と同じいのちの営みに近いものだと感じました。
だからメロディを聴いていても、教授がもうこの世界にいないことは悲しいけど、それ以上にそのメロディに込められた音楽のいのちは朽ちることなく響いていることが、初めて聴いた時と変わらず感じられて、いまを生きている喜びを実感させてくれる。
だから教授には感謝したいです。
あの日から、また坂本龍一を一から聴き直しています。
頭の中でAquaのメロディがずっと流れたままです。