wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

小田原城に行く-1

2024-09-28 07:53:10 | 遺跡・寺社

小田原城に行ってきました(2024年9月22日)。

ほんとうは「神奈川県立 生命の星・地球博物館」に行くつもりで東海道線で小田原駅まで来たのですが、箱根登山鉄道が停電のため不通になり復帰の見込みがわかりません。博物館に行くためには、箱根登山鉄道で3駅目の入生田(いりうだ)駅まで行かなければなりません。バスでも行けそうですが、なんだか混んでいます。それで、博物館に行くのは断念。

代わりに小田原城に行ってみることにしました。昔、小田原城のお堀のあたりを歩いたような記憶はありますが、まともにお城を見学するのは今回が初です。先に感想を述べると、小田原城は意外にりっぱなお城でした。2回に分けて紹介します。今回は1回目。

 

小田原駅から歩いて約10分で、城の堀に着きました。

 

堀に架けられた学橋。帰りはここを渡って出ました。

 

正規登城ルートだという馬出(うまだし)門土橋を渡って城内に入ります。

 

通りを隔てた向こうには三の丸ホールという建物があります。三の丸ということは、ここも城の敷地だったようです。

 

馬出門から入城します。

 

この小田原城案内図に書かれた赤線の通りに歩いて行きます。

 

住吉橋。

住吉橋を渡って小さな門をくぐると、

 

銅(あかがね)門。

銅門をくぐると、門の上で展示が見れるようです。

小田原評定(おだわらひょうじょう)の様子が展示されています。小田原評定とは、聞いたことのある言葉ですが、いまいちよくわかっていないので調べてみたら、ネット上で下のように説明されていました。

「「長引くだけで、いつになっても結論の出ない会議や議論」という意味で、慣用句として使われている。 天正18年(1590)、豊臣秀吉が北条氏の小田原城を攻めたとき、城内で和戦の評定が長引き、ついに決定を見ないまま滅ぼされたことから出た言葉。」

ひと昔前の会社の会議のようです。しかし、仮に会議が短時間で結論まで出ていたとしても、滅ぼされることは変えようがなかったのかもしれませんが。

銅門からは二の丸を隔てて、天守閣がちら見えしてきました。

 

二の丸から、小さな堀と石垣を越えて、常盤木門に向かいます。

常盤木門に入ります。

 

本丸に到達し、ついに天守閣が現れました。(つづく)


マッシヴ・アタック他ポスター展と代々木散歩

2024-09-21 08:12:50 | 美術館・展覧会

真夏の8月に、代々木にあるビーチ・ギャラリーというお店でやっていた「ALL YOU NEED IS DUB -MASSIVE ATTACK,BRITISH DUB POSTER EXHIBITION-(オール・ユー・ニード・イズ・ダブ ーマッシヴ・アタック、英国ダブ・ポスター展)」という小さなポスター展を見てきました(2024年8月18日)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのギャラリーは、地下鉄千代田線代々木公園駅を降りてすぐのところにありますが、正確な住所は渋谷区富ヶ谷だから安倍晋三さんが住んでいた地域ですね。写真は、映画「パーフェクトデイズ」にも出てきた、代々木深町小公園にある「ザ トウメイ トウキョウ トイレット(坂茂デザイン)」。普段は壁が透明になっていて外から中がのぞけるけれど、中に入って鍵をかけると不透明になって外から中が見えなくなるしくみです。

 

公園の横にある岸ビルの一階奥がビーチ・ギャラリー。

 

この夏に5年ぶりのツアー中のマッシヴ・アタックを中心に、ポップ・グループをはじめ地元のブリストル系や、音楽性の近いブリティッシュ・ダブ系のポスターの現物が集められていました。

ちょっと説明しますと、ロックの歴史、とくにイギリスにおいては、70年代中頃にパンクが出現して、70年代末あたりから80年代にかけてポスト・パンクやニュー・ウェイブという多様な音楽性を持った音楽に移行していきました。私は、そのポスト・パンクやニュー・ウェイブが大好きで、今でも聞いています。そのポスト・パンクの流れを作ったバンドの一つがブリストルのポップ・グループで、ロックにファンクやレゲエなど様々なテイストをミックスしました。ブリストルはその後も先鋭的なアーチストを輩出し続け、ブリストル系と言われています。ジャマイカで生まれたレゲエは、ダブという原曲をエフェクターで加工した音楽を作り出す手法を生み出しました。マッシヴ・アタックはまさにブリストルで生まれ、ニュー・ウェイブ、ジャズ、ダブ、サイケデリックなど様々な音楽を飲みこみ先鋭的でありながら、ポピュラリティーも獲得したバンドとして今でも世間の評価は高く、私の好きなバンドの一つです。

「芸術性の高いこれらのアーティストのポスターの実物を、実際にまとめて御覧頂ける貴重な機会を是非お見逃しなく!また、展示のポスターは全て販売、記念Tシャツもご用意しています。」というお店のキャッチフレーズ通り、マニアックなポスターたちがたくさんありました。写真は撮影可でした。

 

初期ブリストル系で私の好きなポップ・グループやリップ・リッグ&ザ・パニックなんかのポスターがあったら買ってしまうかもしれないと思って見に見に行ったのですが、そのあたりは売れてしまったのか、最初からなかったのか、見当たりませんでした。

 

マッシヴ・アタックのポスターはメンバーのロバート・デル・ナジャが作っていて、彼はバンクシーの師匠かバンクシー本人ではないかと言われている人です。ポスターは部数限定で印刷されているはずなので、実はすごく価値があるのかもしれません。手頃な大きさのポスターの値段を聞いたら、2~3万円でした。手の届く値段ですが、買うのをためらってしまいました。ここぞというときに決断力のない私です。

代わりに、パンクとポスト・パンク/ニューウェイブの顔とも言えるジョン・ライドンの長袖Tシャツを買って帰りました。ジョン・ライドンがセックス・ピストルズを脱退して、レゲエの国ジャマイカを旅行しているときの写真をプリントしたもので、音楽史的にもパンクからポスト・パンクやニューウェイブに変わるまさにその瞬間を捉えています。

 

帰り際に代々木公園に寄っていきました。

 

実は代々木公園の中に入るのはこれがはじめてです。しかし、暑くてあまり外にいたくありませんので、早めに明治神宮前駅に向かいました。

 

マッシブ・アタックの話題に戻りますが、8月25日にブリストルで行われたコンサートは、「気候行動アクセラレーター」という名のフェスティバルで、マッシヴ・アタックとイギリスのマンチェスター大学の科学者たちによる、ライブ音楽業界の脱炭素化を目指す5年間のコラボレーションの集大成だったということが、科学雑誌Nature誌に記事として取り上げられていました。具体的には、再生可能エネルギー源とバッテリーのみを使用してショーを運営し、観客に電車または電気バスで来場するよう呼びかけるといった取り組みが行われたそうです。

Nature 633, 241-243 (2024)

Massive Attack’s science-led drive to lower music’s carbon footprint

マッシヴ・アタックのコンサートで、赤いライトがともされたステージと、小さな四角の中に人々の顔が映し出されたスクリーン。

僕の読書ノート「動物の進化生態学入門(冨山清升)」

2024-09-14 07:59:23 | 書評(進化学とその展開)

 

進化生物学は細分化されているが、ゲノム解析中心のバイオインフォマティクスと、フィールド生物学中心の進化生態学と、おおざっぱに2つに分けると、本書は後者の教科書になる。著者の冨山氏は、本書を大学の基礎教育課程において教養教育を学ぶ学生を第一の読者として想定しているが、そこにとどまらない網羅的で十分な内容が含まれている。B5サイズで、索引まで入れると376ページもある大著である。それにも関わらず、たった1名で書かれている。そうなってしまった事情は最後の謝辞において明かされている。最後まで通読するのはけっこうたいへんだったが、とても勉強になったと思う。これで定価2500円はかなりコスパがいい。そして、他に類書がないので貴重な本である。

一方、文字のフォントが細い(老眼にはつらい)、誤字脱字が多い、写真のコントラストが低くてわかりにくいものが多い(写真の著作権の問題があることは「おわりに」で書かれている)といった、進化学用語でいうところのトレードオフの関係にあるような面もある。第2版を出されるときは、そのあたりを考慮して頂けるとありがたい。

本書の構成は、下記のような序章+4部構成+終章となっている。それぞれについて、特記しておきたい点を下記にまとめる。

序章 進化生態学を解説にあたっての前書き

・動物の行動進化を研究するための方法論であり命題である「ティンバーゲンの4つの何故」をあげている。①ある動物のその行動を引き起こしている直接のメカニズムは何なのだろうか(至近要因、機構)。②その行動は、どのような機能的有利性があるから進化してきたのだろうか(究極要因、適応)。③その行動は、ある動物が受精卵から成長し死亡にいたるまでの一生の間にどのような発達過程を経て完成されたのだろうか(個体発生要因、発生)。④その行動は、ある動物が進化してきた過程で、祖先型からどのような道筋をたどって現在の行動に至ったのだろうか(系統発生要因、進化)。「フィールド生物学」では、②の追求が主要テーマとなっている。

第Ⅰ部 生物の進化学

・時代を問わず、民族主義的な知識人(木村資生など)が、「民族浄化のために劣性遺伝子病の遺伝子保持者は子供を作るべきでない。潜性(劣性)遺伝子は取り除かれねばならない」等の主張を繰り返している。これは集団遺伝学の観点からはトンチンカンで誤った発言であるという。現在、潜性(劣性)遺伝子病は、その遺伝子がホモ接合体となって、表現型として発現した場合、日常生活に支障が出る程度に症状が重い遺伝子病(例:先天性聾、フェニルケトン尿症、全色盲、真性小頭症)だけでも数100種類が登録されている。これらの保因者(ホモとヘテロ合わせて)は、100~200人に1人程度いる。これらの遺伝子頻度から逆算すると、誰でも10~20個程度の潜性(劣性)遺伝子病の遺伝子保因者である。確率から言って、潜性(劣性)遺伝子病の遺伝子を持っていないヒトは存在しない。したがって、「潜性(劣性)遺伝子病の遺伝子を社会から取り除く」という主張がいかに的外れであるかがよくわかる。

第Ⅱ部 進化から見た動物生態学

第Ⅲ部 行動生態学

・動物行動学(ethology / behavioral ecology)は、日本においては、動物生態学(animal ecology)の1分野としての扱いが定着しており、動物の個体群生態学(population ecology)や農業分野の応用生態学(applied ecology)の研究者が「行動学研究者」を名乗っている事例も多い。しかし、ヨーロッパにおいては、行動学(ethology)は、心理学分野にその発祥の起源が求められる学問体系と考えられており、生態学(ecology)とは明確に異なった研究分野と見なされている。

・ローレンツ&ティンバーゲン流の動物行動学は一定の功績を残したが、本来の野外観察主義から外れていった。「面白くない」学問分野に変容していき、科学への動機づけが弱体化していった。このため、新たな若手人材の参入が減ってしまった。(部外者である私が外から見ていると、鈴木俊貴さんの鳥の言語研究や高木佐保さんのネコの認知能力研究といった若手のアクティブな研究は今でも目立っているが、昔のような日高敏隆先生が作り出した盛り上がりには欠けているかもしれない)

・結果として、旧心理学からのパラダイム転換(思考の転換)の結果として登場した動物行動学Ethologyは、さらなる新たなパラダイム転換を構築できず、研究分野としては、発展的解消を遂げてしまった。(日本動物行動学会は今でも活動しているが、そこまで低迷しているのか部外者にはわからない。進化心理学はそこそこ注目されていると思うが、興味の対象はまたヒトへと戻っていったということだろうか)

第Ⅳ部 環境と保全の生物学

・外来種の根絶が試みられているが、いったん定着してしまった植物や昆虫類の根絶事業はあまり芳しくない。そのような状況を受け、定着し、その生物群集に組み込まれてしまった外来種は、無理に根絶を目指すのではなく、外来種と固有生態系の共存を目指すべきではないかという世界的な潮流に変わりつつある。特殊病害虫の事例のような外来種ではなく、なおかつ、現状において生態系や産業に著しい影響を与えていない外来種は、正確なモニタリングを行った上で、無理に排除対象とする必要はないと思われる。

終章 日本の進化学や生態学周辺の話

・8ページにわたる終章は、当事者でないと知りえないような興味深いことがたくさん書かれている。「生態学者・伊藤嘉昭伝 もっとも基礎的なことがもっとも役に立つ(辻宜行編)」や「利己的遺伝子の小革命 1970-90年代 日本生態学事情(岸由二)」などに書かれている内容とかぶるかもしれないが、冨山氏にこのあたりのことを書いて新書版くらいで出していただけたら読んでみたい。

いろいろな人が書いているが、日本の進化生態学に遅れがあったとしたら、それはルイセンコ生物学と今西進化論のせいであることは間違いないようだ。


僕の読書ノート「東京都同情塔(九段理江)」

2024-09-07 07:57:04 | 書評(文学)

 

2023年度の芥川賞受賞作である。現実には実現しなかったザハ・ハディド設計の国立競技場が建設されたという設定で、主人公の建築家マキナ・サラが設計したシンパシータワートーキョー(東京都同情塔)が国立競技場の脇に建設されたという話である。私は、SFのような未来的なザハ・ハディドの国立競技場が見たかったクチである。こんな建築は東京でも日本でも見たことがない。それで、興味を持って読んでみた。

「ザハ・ハディドが東京に遺した流線形の巨大な創造物からは、何か特別な波動みたいなものを感じずにはいられない。たとえ信仰心など持ち合わせていなくても、文京区の丹下健三設計のカテドラルを見れば自然と神聖な思いが湧き上がってくるように、その屋根はある種、崇高で神秘的なエネルギーを私にもたらしていた。まるでひとりの女神が、もっとも美しく、もっとも新しい言語で、世界に語りかけているかのようだ。」という記述があるが、それ以外は、ザハ・ハディドの建築についての記述が少ないのはちょっと残念。

シンパシータワートーキョーは、犯罪者をホモ・ミゼラビリス(可哀そうな境遇の人)としてシンパシーをもって待遇するための象徴となるようなタワーである。マキナ・サラはとうてい犯罪者にシンパシーなど感じることはできないが、ザハ・ハディドの国立競技場と対になるような建築物であるシンパシータワートーキョーは自分が設計しないといけないという使命感をもって設計し、採用された。そもそも寛容とか、犯罪者の幸福だとか、シンパシー(同情)だとか、いわゆる社会の正論というようなものを押しつけられても心にしっくりこないが、美しいものなら心からわかるというマキナ・サラの心情は、私たちの心にもあるのではないだろうか。

芥川賞にエントリーするのには中編という長さが条件らしいが、私自身は、エピソードが描かれた短編でもなく、物語が描かれた長編でもない、143ページの中編という中途半端な長さはあまり得意でないかもしれない。本書は、長編として書かれた物語として読んでみたかった。

 

ザハ・ハディド案(SANAAも挑戦していた。コンペ自体が世界最高峰を目指すオリンピックだった


2024お盆の帰省③ーつくばで友人に会う

2024-08-31 07:38:03 | 茨城・栃木・埼玉

この夏の茨城へのお盆帰省(2024年8月11日~8月13日)の3日目に帰る道中で、筑波大学で仕事をしている友人に会うことにしました。

つくばエクスプレスの終点「つくば駅」が待ち合わせ場所です。実家のある筑西市からは直線距離では約30kmくらいで、車なら30分ほどで行ける場所です。ところが、鉄道ではほぼ行くことができません。だいぶ昔に筑波鉄道という路線も廃線になってしまいました。今、鉄道で行こうとすると、速度のゆっくりな関東鉄道常総線で下館駅から守谷駅まで行き、つくばエクスプレスに乗り換えて行くことになり、そうとう遠回りになってしまいます。それで、バス路線を探したところ、1回の乗り継ぎで行けることがわかり、バスで行くことにしました。

 

下館駅北口で筑西市広域連携バスに乗り、筑波山口まで行きます。所要時間は50分。車内はすいていて、最後のほうは乗客が私1人でした。

 

筑波山口停留所に着きました。もとは筑波鉄道の駅があったところです。筑西市広域連携バスは関東鉄道が運営しているようです。

 

筑波山登山の拠点みたいな場所です。ここからは徒歩で登ったり、途中までバス、タクシーを使ったり、中腹からはケーブルカー、ロープウェーを使ったり、様々なルートが組めます。実は私、自分の足で筑波山にまだ登っていないんですよ。いつかそのうちと思っていたら、あっという間に年を取ってしまいました。

 

次に乗るのは、この「つくバス北部シャトル」です。これも関東鉄道が運営しています。だったら、下館からつくばまで直通便も運行すればいいのにと思いますが、そうしない理由が何かあるのでしょうか。

 

つくバスに乗りました。さっき乗ったバスと同じポジションですね。最初はすいていましたが、つくばに近づくとけっこう混んできました。さすがは、研究学園都市です。所要時間は55分です。

 

つくばに着いて、約10年ぶりで、友人と会いました。友人のM君は大学の同級生で、あちこち渡り歩いて生きている人間です。20年くらい前に彼がカリフォルニアにいた時にも、会っています。5年くらい前からは筑波大学で仕事をしています。写真に写っているところとは別の商業施設で焼肉を食べながら、近況を話し合いました。

 

食事のあと、車で筑波大学を案内してもらいました。

森に囲まれたキャンパスは広くて、ヨーロッパの大学のようです(たんなるイメージですが)。近年、筑波大学は人気が高いのですが、環境の良さもその理由の一つかもしれません。私が学生だったころは、学生の自殺が多いなんてうわさがあって、あまりいいイメージがなかったのですが、40年も経つと変わるもんですね。ノーベル賞受賞者が3名出たり、つくばエクスプレスが作られて東京と直結したりっていうのもありますし。

 

お盆休みでだれもいないということで、研究室の中も見せてもらいました。

 

キャンパス中央の噴水公園もいいですね。1970年代に新設されたキャンパスですが、それなりの風格も出てきています。

 

これが大学の正門。夏休みでほとんど人がいません。

 

つくば駅まで送ってもらい、お互いの健康をねぎらって別れたのでした。