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wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

はてなブログに引っ越しました

2025-06-26 17:54:59 | お知らせ・出来事

はてなブログに引っ越しました。

これまでのブログ歴は、2010年3月20日~2014年6月30日がブローチ、2014年3月23日~2025年11月18日がgooと、docomo系ブログを使ってきました。これまでのコンテンツをはてなブログに引っ越しして、2025年6月18日からは、はてなブログで新規記事の掲載を始めました。

今後もこれまで通り、週1程度で、はてなブログに記事を書いていく予定です。noteのほうは半休眠状態です。

 

ぜひよかったら、はてなブログのほうを覗いてみてください。よろしくお願いします。

はてなブログ:

wakabyの物見遊山Ⅱ

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wakabyの物見遊山Ⅱ

 

 

 


妙蓮寺散歩ーシェア畑・慈雲寺・菊名池

2025-06-14 08:14:32 | 遊園地・公園・遊び場

将来、ポートフォリオワーカー、あるいは個人事業主になったらやってみたいと思っていることの一つに農業があります。

自分は農家ではないので畑を借りることになるわけですが、最初は小規模の畑でチャレンジしてみるのがよさそうです。そういう人向けに、サポート付き貸し農園「シェア畑」というのを関東・関西で運営している会社があって、うちの近くにも「シェア畑 妙蓮寺」というのがあると知り、見に行ってきました(2025年6月8日)。

 

妻が結婚前に住んでいたアパートの近くでした。

 

そんなに広くはないのですが、整然と区画されていて、様々な野菜の栽培がおこなわれています。

 

トウモロコシなんかは、作って食べてみたいです。畑を見て回っていたら、スタッフの方に声を掛けられたので、少し話をしました。現在、100人くらいの人が畑を借りていて、空きはない状態だが、来月・再来月になれば、1、2区画空く予定とのこと。自分は今は時間がないので、数年後とかにできればいいと思っていると話しました。

 

無農薬栽培で、肥料も化成肥料は使わず、堆肥を使っているそうです。農作業に必要な道具類は全部そろっていて、借りられるとのこと。

 

水場です。種や苗ももらえるらしいです。オンライン説明会をやっているので、今度、視聴しようと思っています。最初は家族で食べるための野菜を栽培するための勉強・趣味として始めて、いずれは収益化できるようになれれば理想的ですが、どうなることやら。

 

シェア畑の裏は、こんな密林みたいになっていて、さらに進むと武相高校がありました。芸人の出川哲朗さんの出身校です。

 

近くには、日蓮宗の慈雲寺がありました。

仏法は眼前なれども 機なければ現れず

(仏教の教えや神仏はすぐ目の前にあるけれど、心構えができていないとそれに気がつくこともできない)

 

菊名池に寄りました。カルガモなどの水鳥たちは1羽もいません。静かです。毎年、5、6月はこんな状態になります。

 

カルガモはこの時期、やぶに隠れて産卵・抱卵のステージにいるのでしょう。うまくいけば、6月末か7月にヒナちゃんが見れると思います。


僕の読書ノート「私が見た未来 完全版(たつき諒)」

2025-05-31 07:46:35 | 書評(その他)

 

2025年7月、あるいは7月5日に、台湾と沖縄の沖のあたりで、海底火山か爆弾かなんらかの理由で大きな津波が生じ、太平洋周辺の国に押し寄せるという大災難の夢をなんどか見たので、人びとに伝えたいという本である。漫画本であるが、その予知夢については、夢日記と文章で説明されている。

私はこれを読んで、陰謀論、エセ科学、商売目的というふんいきは感じなかった。非科学的かというと、そういう感じもしなくて、未来のことが見えるという現象は、現代の量子論や宇宙論から考えたら、あり得ないとは言えないのではないだろうか。また、これまで見てきて当たった複数の予知夢のことを統計学的に解析したら、そうとう高い確率で今後も当たりそうである(もちろん、統計学的には当たらない場合もあり得る)。むしろ、スピリチュアル系の人たち、江原啓之氏などはこの予言に対して否定的だが、あまり説得力を感じない。

もう一つ気になったのは、ペンネームのたつき諒さんの漢字での苗字「竜樹」である。これを「りゅうじゅ」と呼ぶと、2世紀のインドの仏教僧「ナーガールジュナ」のことである。大乗仏教の祖と言われている。たつき諒さんは、どのような意図で「竜樹」と称するようになったのだろうか。

以前から、南海トラフ地震などの日本近海での大地震や富士山噴火等はいつ起きてもおかしくないと言われているのである。そういうわけで、100%起きると信じているわけではないが、よい機会なので、7月に向けて点検と準備をしている。たつきさんもこう書いている。「大切なのは、準備すること。災難の後の生き方を考えて、今から準備・行動しておくことの重要さを改めて認識してほしいのです」

 

横浜在住の私が個人的に進めているのは:

・7月4日(金)と5日(土)は、なるべく家に居るようにする。家族にもできるだけそうするように伝える。さいわい、家があるのは海沿いや低地ではない。

・7月中は、あまり海岸近くには行かない。行ったとしても、ビルや丘の上など避難できる場所をつねに意識する。そして、なるべく遠出もしない。それを家族にも勧める。

・家族内の連絡用にスマホへLINEを導入する(私は未だに使っていなかった)。

・災害用の食糧セットを、買い替える。賞味期限が過ぎてしまったものも、念のため7月中は残しておく。買い置きのミネラルウォーターも確認する。

・災害時に使える各種グッズ(簡易トイレ、レジャーテント、卓上コンロのガスボンベ、手動式充電ラジオ、などなど)の動作確認をする。


2025GWの帰省②ー水戸城跡と仙波湖

2025-05-24 08:16:08 | 茨城・栃木・埼玉

今年のGWに茨城へ帰省したときのレポートです(2025年5月1日~5月3日)。3日目の帰る途中で水戸に寄ってきました。

私は茨城県で育ち、実家は今も茨城県にあって年に2、3回帰っていますが、県庁所在地の水戸市にはあまり行ったことがありません。そこで今回は、実家から横浜に帰る途中で、水戸に行ってみました。水戸線の新治駅からいつもとは反対方向の友部駅に乗り、常磐線に乗り換えて水戸駅まで行きました。水戸の観光地といえば、水戸城跡、偕楽園、仙波湖ですが、そのなかの水戸城跡と仙波湖を見てきました。

 

水戸駅で下りて、重いザックをコインロッカーに預けたかったのですが、数が少なくて空きがないので、仕方なくザックをかついで水戸城跡を周ることにしました。水戸駅北口から北に向かって歩くとすぐ水戸城跡に着きました。前に見える橋は大手橋です。今歩いているところは空堀で、左の丘が三の丸、右の丘が二の丸になります。目前の階段を上ります。

 

まずは、右(東)側の二の丸に入ります。これは大手門。

 

二の丸の中心には広い道路があって、その両側には史跡を残しながら、敷地が幼稚園、小学校、中学校、高校して利用されています。

 

地図で見ると、今いるのがD(大手門)からE(展示館)のあたり。東のJ(薬医門)まで行って、西に引き返して、C(大手橋)を渡ってB(弘道館)に行きます。

 

二の丸から本丸をつなぐ本城橋を渡ります。下に見えるのは、空堀だったところで、現在はJR水郡線が通っています。

 

本丸に現在あるのが、県立水戸第一高等学校。我々茨城で育った人間にとっては、「みといちこう」は特別なひびきのある、茨城県のトップ進学校です。

 

水戸一高の入口近くには、薬医門という史跡も残っています。

 

道を引き返してきて、つぎは三の丸に入りました。ここにあるのが弘道館。徳川斉昭(なりあき)が創設した藩校です。大河ドラマ「青天を衝け」に出てくる竹中直人演じる斉昭の印象は強烈でした。怒りにまかせて、水戸城内で大砲を打ち続けたりと、よく覚えています。

 

玄関を入ってまず目に入るのが、尊攘(尊王攘夷)の書で、斉昭の思想でした。

 

部屋の外側には畳の廊下があって、その外側に板張りの縁側があるという、ぜいたくな造りになっています。

 

衣類などの保存・運搬に使われる長持。明治時代になって、徳川慶喜(よしのぶ)がここで謹慎していた時に使っていたものだそうです。

 

水戸藩が250年かけて作った歴史書「大日本史」。

 

弘道館を取り囲んでいる庭園も見ることができます。

武術の試験が行われたという対試場。

 

いったん水戸駅に戻って昼食を済ませました。ロッカーの空きを見つけたので、ザックを預けて、今度は水戸駅南口から仙波湖に行きます。写真は仙波湖の東の端。ここから、時計回りで1周します。

 

歩き始めたら、あまりに広くて、1周できるのか少し不安になってきました。江戸時代には湖の面積がこの3倍もあったらしく、水戸駅や水戸城の近くまで湖でした。

 

コクチョウの家族がやってきました。私の反対で、反時計回りに湖畔を周っているようです。

ヒナを2羽連れていて、可愛いったらありゃしない。このあと、近くの女の子たちが集まってきました。

 

カモ類が多いようです。

 

やっと湖の西の端に到達しました。コイノボリが泳いでいます。

 

と思って足元を見たら、おびただしい数のコイが集まっているじゃないですか。エサやりに集まっているようです。

 

定番のハクチョウのボートもあります。

 

西端から東端に戻ります。右の仙波湖と左の桜川はこの道で隔たっています。

ともかく、仙波湖を1周することができました。このあと常磐線で帰りました。


2025GWの帰省①ーネコ屋敷のその後

2025-05-17 09:07:30 | 猫・犬

今年のGWに茨城へ帰省したときのレポートです(2025年5月1日~5月3日)。まずは、ネコ屋敷のその後について。

2021年7月頃からネコを飼い始めた実家では、だんだんネコの匹数が増えていき、2025年1月時点ではカオス状態に突入していました。家の中で8~15匹(うち約10匹は家を出入している)のネコたちが駆け回り、家中に悪臭が充満し床は汚れ、人にとってもネコにとっても悪辣な環境になってしまいました。

この状況に対して、私1人ではどうすることもできませんでしたが、妻が解決に向けて活躍してくれました。実家にいるネコを増やしてしまったひきこもり人(アニマルホーダーという精神的障害者の一種と言ってもいいでしょう)とその影響下にあった父を説得することで、地元の動物愛護のボランティアさんの助けを借りて、だいぶ匹数を減らすことができました。こういう時、私よりコミュ力が高くて言葉の圧が強い妻は力を発揮するのです。

 

では、実家のネコを見ていきましょう。

No.1(シロ、凶暴ネコ)は、エサが合わなくて体調不良のようですが、私がケージの前を通ったときに、爪を出してひっかかれましたので、油断できません。

 

No.3(アビシニアン似、茶トラネコ)は、臆病で私がいるとすぐ隠れてしまいます。これは、コタツに隠れているところ。

 

No.4(シャム似ネコ)はあいかわらず人懐っこいです。

 

他には、家に入ってきた母ネコが生んだ子猫5匹と、家に出入りしていた野良ネコ10匹については、引き取り先が見つかったか、里親募集をしているネコカフェに入ってもらいました。これらについては、去勢・不妊手術をしてから引き渡していますので、それなりの出費はありました。母ネコについては、きほん外で生活していて、この6日間くらいは家に来ていないとのこと。家に出入りしていた野良ネコのうち病弱だった1匹については、家で引き取ったそうで、最近、口内炎で手術を受けさせたとのこと。このネコは、No.3ネコよりさらに臆病で、部屋の暗いところにひそんでいます。ひきこもりネコといってもいいかもしれません。これを含めた4匹は、家で飼っても、それなりの面倒は見てやれるキャパシティー内でしょう。

未解決案件としては、下写真の野良ネコ1匹がまだ家に出入しています。

そして、外にはエサが置かれていて、野良ネコ約1匹が食べにくるそうです。この2匹をなんとかするように、強く頼んできました。まだ完全解決までには至っていませんが、多頭飼育崩壊になる直前で食い止めることができました。昔と違って、動物愛護や動物福祉について社会の理解が深まり、それに向けた行政や民間による啓蒙活動や保護活動も盛んになっています。そういう新しい情報を集めたり、そうした人たちに助けを求めることで、思った以上に問題を小さくすることができるものだというのが、今回の実感ですね。