お袋さんと、早朝電話で会話。
両手のギブスは外れたが、しびれが消えない。また腰痛が消えない。毎日医者で電気を掛けているが、いっこうに変わらない、と言う。
痛みや腫れがひかない初期は、下手にいじらずに、冷やす/温める等の措置が必要だが、一定期間を経たら、カラダを触って判断し、対処法を「手」で掴むのが本職の姿。
よって「そこに行くのはやめて、今日からよそに行きなさい。どうせ機械に任せときゃいいだろう、という程度だろうから、見切り付けて。」と言う。
その後、再度翌日話すと「近くの整骨院行ったら、マッサージをして、別のことをした。」とのこと。
どういう訳か?やたらと整骨院・接骨院がボコボコと「出店」する現代。
合わないと思ったら、次に行くこと。
しかし、相も変わらず、行くところで・いきなり友達を作ってしまうお袋さん。
80を超えたとは思えないヴォルテージとエネルギーなので、そんな出来た関係に義理堅い面が、悪く作用しているのだろう。。。そう想定して、変更を説得した。
と思えば、初めて会った先生に「6月のヴァン・ヘイレンのライヴまでには治してね。先生。」といきなり言ったらしく、先生の本心はどうかは不明だが「そこを目指して治しましょう」と言った、という。
一方、親父っちは、先日お袋さんの見舞いに行った際に「腰をもんでくれないか?」というので、もんだら「調子が良くなった」と言っていた、とお袋経由で聞く。
幼い頃の鬼畜親父には「マッサージをしないとTVを見せない」と言われて、泣きながらマッサージをしていたが、そんなことからも遠ざかっていたのに。。。
もはや距離感を保った関係となった、ある種・他者として認識した親。
昔、大好きなクマさん(篠原勝之さん・ゲージツ家)が「産まれた時も別ならば、死ぬ時も別」と言う名セリフを、名文筆家としての本で書いていたのがよぎる。
親子は親子でも、お互い違う方向に日々歩んでいる。
親父っちにしてやったツボは「尻」である。
これは、じぶん自身が「コリ症」でマッサージの回数が多々あったために教わったことだが。。。
ニンゲンという形をした奇妙な物体は、アタマが重いので・それが支えるべき首・肩に負担を掛けるが、それとは別に「立つ」「座る」の中で、重量は「尻」に乗っかってくる。
この話を聴いたときに「おお、そうか」と、えらく納得した。
実際、そこで「尻」をもんでもらうと、じぶんが痛みやコリを意識していないにもかかわらず、えらいコッている事実に出会った。
その「尻」をじぶんでマッサージする方法も教わった。両足であぐらをかいて、ゴローンと仰向けに転がる。
そうしながら、尻ペタを床なり・硬いものの上でゴロゴロ転がしながら、自らの体重の圧力でもむという方法。
これはかなり効果がある。。。
しょーもない話をしてしまったので、写真とこじつけ音楽で、後を濁すこととする。
(補:ロキシーの「アヴァロン(桃源郷)」は全曲完璧なトータル・コンセプト・アルバムで、時をも超越した、素晴らしいとしか言いようがない存在ですが)
たまには、ミソにもクソにもならない・しょーもない話で、窒息死から逃れる。
親父っちもじぶんも、せむし男。猫背である。
じぶんの場合、別にネコ好きだから、猫背であるわけではない。
■Roxy Music 「The Space Between」1982 (From Album 「Avalon」)■