朝、完璧な疲れでメシも食えず、立ち上がるにも振り絞るはごく微量の力。
目のたるみは変わらない。
2:00に寝て7:25に這いずり起きる。
友は、深い味わいの緑茶とタバコのみ。
風呂入る間も気も無く、無精ヒゲだけ剃る。
後やる力は無い。
見た目にごだわる余裕は無い。
窓の外は、雲が混じった淡い精彩を欠いた青。
電車の一番奥をキープし、カラダを壁に倒して支えてもらう。
それだけでも、多少は楽。
首周りと背筋と腰が痛いのはいつもながら。
席は空かず、眠ることも出来ず、倒れて空を見る。
時間を経て、空は次第に太陽光を浴びて青さを増す。
雲はあれども良い天気。
混雑する車内でも、自由度高い一角の余地から、シャッターを窓の外に数枚切る。
雨の翌朝は、余計な空中のカスを拭い去るから、遠くの池袋サンシャイン60がくっきりと見える。
疲れて眠る人。
いびきをかいて眠れる人が、なかなか寝付けない自分にはうらやましい。
被災側も支援側も休める時は、大の字であらがわずに休める開き直りを持つことが必要とされている。
目のたるみは変わらない。
2:00に寝て7:25に這いずり起きる。
友は、深い味わいの緑茶とタバコのみ。
風呂入る間も気も無く、無精ヒゲだけ剃る。
後やる力は無い。
見た目にごだわる余裕は無い。
窓の外は、雲が混じった淡い精彩を欠いた青。
電車の一番奥をキープし、カラダを壁に倒して支えてもらう。
それだけでも、多少は楽。
首周りと背筋と腰が痛いのはいつもながら。
席は空かず、眠ることも出来ず、倒れて空を見る。
時間を経て、空は次第に太陽光を浴びて青さを増す。
雲はあれども良い天気。
混雑する車内でも、自由度高い一角の余地から、シャッターを窓の外に数枚切る。
雨の翌朝は、余計な空中のカスを拭い去るから、遠くの池袋サンシャイン60がくっきりと見える。
疲れて眠る人。
いびきをかいて眠れる人が、なかなか寝付けない自分にはうらやましい。
被災側も支援側も休める時は、大の字であらがわずに休める開き直りを持つことが必要とされている。
バッサリと斬る小気味好さ。的確さ。寂寥感と温かさ。
多面体である世界や心情を、自由自在に綴り行くかたちんばさんに、
畏敬の念とあこがれを抱いている者です。
時に「自分の考えとは少し違う」と、立ち止まることがあっても、
またお訪ねしたくなる、とても魅力的なブログです。
これからも、楽しみにしております。
尚、くれぐれもご自愛くださいますように。
ブログなるものへは、最近では、藤原新也さんが「ハナクソほじりながらのブログとは違う」というコメントに自分に突き刺さるものがありました。
一体、誰に向けて発信し・自分は自己満足にひたっているに過ぎないとも思うことも多しです。
私は、余りよそのブログというのは見ません。
というのも、いわばここが独白の場であり、祭壇であり、死に場所としていることに起因します。
この5月で丸6年が完了するこの得体の知れない薄気味悪いブログではありますが、精神分裂激しい中、瞬間瞬間吐露を続けるゴミ溜めの中で、何かが逆照射して自分を「気付かせ」る、プラットフォームにもなりつつあります。
日々はじりじりとしか変化しませんが、カメさんのように日々を過ごしながら、死ぬ前に何かが化学反応を起こす日が来るのか来ないのかわかりませんが、死ぬまで綴り続けるのみと思っています。
また、是非、素直にストレートな事を言ってください。
待ち焦がれております(笑)。
今日は、平身低頭してお詫びをしなければならない事に気づきまして、お便りさせて頂きました。「自分の考えとは少し違う」……云々などと、大変失礼なことを申し上げてしまいましたが、3月に解消されておりました。本当に申し訳ございませんでした。心よりお詫び申し上げます。
余談になるのですが、文才の無い私はブログをやっておりません。
かたちんばさんのブログに出会えたことに、とても感謝しております。
心配事が、頭の中の大部分を占めている私は、過激な言葉や、強い言葉が、詩の様に感じられ、
なぜか気弱にならずに済んでおります。
嫌なことを忘れたいときは、共感出来てつまらなくない、かたちんばさんのブログに、
逃げ込むことにしております。
今回のことで尚一層、ファンになりました。拙い文で恥じ入りますが、
どうぞよろしくお願いいたします。
「いや、自分はこう思う」
そんなことは当たり前ですし、気にすることは無いです。
そういうことは言ってもらって構いませんよ。
自分は下町生まれの口の悪さがよく出ますし。
今まで、自分では普通の事も、この口の悪さが色々問題を起こしてきた人生ですし。
じゅんさんは自分で「文才の無い」なんて言ってますが、僕も思考回路と言葉が繋がらない障害を持ちつつ「こんなんでエエんかい?」と思いながら綴ってきた2187日です。
ただ、ひたすら生きている証明として、文才無きつたない言葉であろうとも、ひたすら書く・綴る。。。
そういう「ぼくのかけら」の集積と残骸がこのブログをなしています。
ぼくは、2005年5月、ブログが流行り出した頃のゴールデンウィークに、たまたま試しにやってみたら、たかが一介の凡人でも、多くの人の中にさらされるNET上に1つの「場」が開かれたことに驚いてしまい。。
そのたまたまのきっかけが、ここまで来てしまった。
教授の作品に「音楽図鑑」というアルバムがあります。
ここで教授は40曲以上出来てしまった曲を選び抜いてアルバムに仕立てましたが、それをぼくは「個人の内面はカオス」であり、そのカオスそのものがその人だという表明に感じました。
ブログの革命的な点というのは、日々を語りながらも、それを繰り返すことによって、瞬間が蓄積されることです。
そこには「こんなくだらない記事を書いていたんだな」と過去の自分を見て、思う事もありますし、そういう馬鹿をひっくるめて「自分」。
ぼくは元来の不安神経症の面から、自分が好きなものをだらしなく寝床の周りに集めて積むことで安心をさせようと子供の頃からずーっとしています。
そのNET版がこのブログかもしれません。
他人にはどうでもいいことをこのサイトに放り込むことでジャングルのようなカオスを呈しますが、そのジャングルこそが自分であり、ちぐはぐと理論が破綻し・言う事が日に拠って変わっていたりしても、そのジャングルのようなカオスこそが、人間臭い匂いを放つ。
***
「過激な言葉や、強い言葉」
よく仕事場で、そんな言葉で人を刺し殺す事も多しです。
窮鼠ネコを噛む、では無いですが、プライベートはともかく、社会・仕事は、気弱な面を見せると、そこに漬け込んで来るヤツが居る。
そういうヤツに巻き込まれて犯罪者に仕立て上げられた事も多くあり、今ではそれを心得て、ここで書いている以上に仕事での自分は攻撃的です。
哀しいかな、駄目なヤツは人を利用し、弱みに漬け込んで来る。
そこを突破し、不正をしているのはお前だろ、と明らかにし、更に殺すまで進行する。
そういう意志が仕事では大事です。
***
長々となってしまいましたが、日々のあらがいが、多少なりともじゅんさんの心に響くのであれば幸いです。
ところで私は、人様のブログにコメントなるものを入れたことが、今までありませんでした。引っ込み思案の私が、かたちんばさんのブログに、心に響くを超え揺さ振られる思いで、とうとうお便りまでお出ししてしまいました。その時、心に誓ったことがあります。コビ、ヘツラウことなく本音を語ろうと。ですので、今までもこれからも本音です。
想像します
かたちんばさんと、もし共にお仕事をしていたら、頭のきれるミステリアスな上司に、緊張してミスばかりする事務員という構図。(ネットに感謝です)
かたちんばさんは綴るとき、機関銃のようにあっという間で、原稿1枚程がなかなかまとめられない私は、火縄銃のようだと。(間延びするのはそのせいなんです)
申し訳ございません、甘えてとりとめのないことを書いてしまいました。
お返事は無理なさらないで下さい。(さくりんさんに見習いました)
自分もこれから「とある」裁判の準備に入ります。
悪人は殺さないと済みませんからね。
証拠は改ざん出来ませんし。
まあ、黙って見ててください(笑・笑・笑)。
「頭のきれるミステリアスな上司に、緊張してミスばかりする事務員という構図」
→頭のきれるミステリアスな上司の上司は居ました。
上司は後輩でしたが、KYな人なので、上司の上司と話をいつも付けていました。
ただ、3月末人事でその人も遠ざかり、今は不在状況です。
だから難局ではあります。
かたちんばさんは綴るとき、機関銃のようにあっという間で、原稿1枚程がなかなかまとめられない私は、火縄銃のようだと。
→全然関係ないですが、愛するデヴィッド・シルヴィアンの名盤「ブリリアント・トゥリーズ」の中に入っている曲「詩人の血」に「FireAtwill・・」という詞があります。
訳せば、思うがままに発砲せよ。
自分は、後輩にも同じ目線で接することを第一義にして、共に考えるということを信念としていますが、勝手なことばかりするヤツには発砲します、容赦無く。
当然、殺すつもりで。
それは「輪」「和」を乱すからです。
そうせざるを得ないところまで来る人と言うのは居るもんですよねえ。
なんだか武者振るいします。尊敬するかたちんばさんに乾杯!
ところで将来、小説(電子書籍)など、お書きにならないのですか?(でなければ評論家として)
PS:私も、半熟状態で、黄身がとろとろ溶け出すくらいの玉子が大好きです。今まで、迎合するようで敢えて言わなかったのですが、猫も絵も花も音楽も大好きなんです。(かたちんばさんほど深い知識があるわけではないのだすが)
→そんな能力は自分には無いですよ。
キング・クリムソンに「ディシプリン」というアルバムがあり、ロバート・フリップは鍛錬・訓練こそが、何かを越える手段と捉えていますが、自分も能力は無いものの、鍛錬する場が此処とは捉えていますが。
私も、半熟状態で、黄身がとろとろ溶け出すくらいの玉子が大好きです。
→玉子というのは不思議なもので、人に拠ってかなり好みが分かれるものですね。
ささやかな贅沢です。
高価ではないものに幸を持つのは良いことだと自分も思います。
(肉を焼くのにミディアムだのレアだのいう思想とは大いに異なりますね。)
かたちんばさんの文と、音楽と映像が融合したような、斬新でドラマチックな小説を読んでみたいという気持ちに変わりございません。いつまでも、心待ちにしております。
私事ですが、予定しておりました心臓の手術のため、明日入院する事となりました。特異体質で心配されておりますが、無事生還して、かたちんばさんのブログにおじゃま出来る日を楽しみにして、行ってまいります。
術後はいつものような明るさが無く心配していましたが、今ではとても元気です(カラ元気ではなく)。
無事またご来訪されることをお祈り申し上げます。