きょぉーの~、しごとはつらかぁったぁ~、なあんて、幸宏と歌って、酒飲んで・・・。
・・・まあ、そんなことは無いんですが。。。
1981年の今ごろ、ラジオ「サウンドストリート」でぼそぼそとつぶやいていた教授を愛していた。シャイな姿にシンパシーを感じていた。
ちなみに「今日の仕事はつらかった」は岡林信康さんの山谷ブルースからであるが、それをライディーンの”サビ”に乗せて。
日々夜な夜な、室内のスタジオで「名職人」は時間と闘い・身を削りながら、音楽を紡ぎ出していた。
その切ない風景を思い、教授の影やうつむき加減の表情や背中を思っては、中学生の自分はなおいっそう教授に魅かれていった。
あそこから34年が経つが、想いは変わらない。
木曜・金曜と。。。気候の暑さ、それに、連続した電車事故によって朝も夜も想定外の歩きをした。そういう夜に帰ると、1月に買って冷やしていた缶ビールを呑む。
今年、初ビール。そんな気がする。暑い日のビールの旨さに、納得する。
冬を薄くお湯と自家製の梅で割ったお湯割りで過ごし通した。
そんな折呑んだ初ビールに、教授が歌った「今日の仕事はつらかった」を想い出した。
実際は、仕方がなく(?)出た集まりでビールをクチにしたが、いまや家で呑むのが基本の「肝臓壊し屋」にとって、シェルターで呑むことが、一つの「しきたり」になっている。そこでの初ビールだった。
この「しきたり」とは、三ノ輪のおばあちゃんの得意なセリフだった。
ボケてしまった後、それでもおばあちゃんは夕方6時になると「夕ご飯はまだですか?」と訴えた。執拗に。
「今、準備しているから、黙って座ってなさいよ」と黄色い声が、相性の悪い長女=私のお袋から飛ぶ。時計も見ずに、おばあちゃんは時間を察知して、よく「早く夕ご飯を」を訴えガーガー大ゲンカになった。
おばあちゃんになぜ時間通りにごはんを?と尋ねると「しきたりですから」と言った。
未だ家族が集まり、昔話に花を咲かせると、よくこのおばあちゃんのセリフを言い、みんな笑う。
深夜、しこしことCD作成した。
それは、この休みに「母の日」に上げるCD。
「ギンギンのロック」でしか満足しないお袋には、不満足な内容だが、私なりの想い入れがあり、こういう選曲とした。
■Pet Shop Boys 「Se A Vida E (That's The Way Life Is)」1996■
仕事は一時休み。今だから会いたい人に会いに行く。
>きょぉーの~、しごとはつらかぁったぁ~
あ、ライディーンでしたか。
私は脳内で「今日の空」のメロで再生してました。
貧乏暇なしなので、してますよ仕事。
でも、好きな曲をシャッフルで流しているので、
全然大丈夫ですね。
あと1日のお休み。
世俗の毒から離れて、鋭気を養われてください。
初夏は着るものも困りますけど、聞く音楽も困るんですよね。
と、暑くるしくセロニアスモンクを聞きながら。
と、酒飲みからのコメントでした。
つい誘われて、今わたしもモンクを聴いています。
平日はすっかり長く眠れないので、それを年齢変化に依るものと思っていましたが、どうやら違うのではないか?と気付いた休みでした。
それがこの休みに得たものかもしれません。
それを世間は「ストレス」と呼んでいるのかもしれません。
パソコンが日常を支配してしまったなか(と言いつつ、それを使って今書いていますが)、つねに仕事でデジタルツールが脳を酷使する日々を離れると眠れた、というわけです。
いつもの休みと同じように半日歩いていただけなのに、帰って食事と軽いお酒を取り、横になったら、灯りをつけたまま眠っていた、を繰り返しました。
***
例年のこの時期は、やり切れなかった仕事に出たりしていましたが、もうそのような考えは捨ててしまったので、今年は無理しても休みました。
「初夏は着るものも困りますけど、聞く音楽も困るんですよね。」
日々暑くなったり少し冷えたり。。。振幅が激しくて、昨日もTシャツ一枚で歩いたのですが、陽が沈むと風が冷たくて正直寒かったですね。
四月の魚さんがモンクを聴くなか、わたしは歩く最中ペット・ショップ・ボーイズ、PIL、幸宏さんなどを聴いていました。
相も変わらず。。。かもしれませんが、風や光と相混じって心地良かったですよ。