さくりんさんへ
「やまなし」→「クラムボン」→「原田郁子」
僕もそう来るだろうな、と思っていました。
クラムボンという日本のユニットはよく知りません。
ただ、原田郁子を間の当たりにした想い出はあります。
それは、あくまで偶然ですが。
スケッチショー(細野さん+幸宏)を聴きたいがために若い連中に混じって立ちっ放しのライヴに行きましたが、前座の方が長かった。
でも発見も多かった。
そこで登場した半野喜弘さん。
彼の音楽は、故ミック・カーンとの交流も含めて、関西人には無い感性を体感。
そこで、ソロ・アルバムでコラボレーションした原田郁子さんが登場する。
収録された『蒼い月』。
そして、ピアノを演奏する原田郁子さん。
その不思議な時空に、この人は只者では無いなと感じた。
うだるような時間の中、本当に『蒼い月』は、ステキだった。
僕の記憶にしっかと確定した原田郁子は、この瞬間だった。
「ふたりは過去になげキッス」。
そこには、ついゼルダの小嶋さちほさんの歌う『東京タワーのてっぺんか~ら、足を揃えて飛び降りる』を、僕自身は思い出す。
***
ドナルド・キーンは、良き三島の理解者でした。
彼が、日本に永住するのは、彼の中で既に決めていたことかもしれません。
こうして日本を愛して、日本に永住する外国人は多いものです。
政府やだらだらの連中はともかく、日本を愛する外国の人々。
過去から日本を愛した人々。
こんなにも美しい国が、こんな事態になってまで、それでも、愛する人々。
小さなながらも「ジ・エンド・オブ・エイジア」=アジアの端っこ、そこに愛すべき歴史ある美しい国が今でもある。
***
PS:地震で、実家の崩れた荷物を整理する中、中学生の頃、学校で、黒い皿をカリカリと削った上で、焼くという皿が出てきました。
自分の記憶では、坂本龍一の名曲「千のナイフ」が在ったように想います。
「やまなし」→「クラムボン」→「原田郁子」
僕もそう来るだろうな、と思っていました。
クラムボンという日本のユニットはよく知りません。
ただ、原田郁子を間の当たりにした想い出はあります。
それは、あくまで偶然ですが。
スケッチショー(細野さん+幸宏)を聴きたいがために若い連中に混じって立ちっ放しのライヴに行きましたが、前座の方が長かった。
でも発見も多かった。
そこで登場した半野喜弘さん。
彼の音楽は、故ミック・カーンとの交流も含めて、関西人には無い感性を体感。
そこで、ソロ・アルバムでコラボレーションした原田郁子さんが登場する。
収録された『蒼い月』。
そして、ピアノを演奏する原田郁子さん。
その不思議な時空に、この人は只者では無いなと感じた。
うだるような時間の中、本当に『蒼い月』は、ステキだった。
僕の記憶にしっかと確定した原田郁子は、この瞬間だった。
「ふたりは過去になげキッス」。
そこには、ついゼルダの小嶋さちほさんの歌う『東京タワーのてっぺんか~ら、足を揃えて飛び降りる』を、僕自身は思い出す。
***
ドナルド・キーンは、良き三島の理解者でした。
彼が、日本に永住するのは、彼の中で既に決めていたことかもしれません。
こうして日本を愛して、日本に永住する外国人は多いものです。
政府やだらだらの連中はともかく、日本を愛する外国の人々。
過去から日本を愛した人々。
こんなにも美しい国が、こんな事態になってまで、それでも、愛する人々。
小さなながらも「ジ・エンド・オブ・エイジア」=アジアの端っこ、そこに愛すべき歴史ある美しい国が今でもある。
***
PS:地震で、実家の崩れた荷物を整理する中、中学生の頃、学校で、黒い皿をカリカリと削った上で、焼くという皿が出てきました。
自分の記憶では、坂本龍一の名曲「千のナイフ」が在ったように想います。
前からお話していますが、私の息継ぎ。そしてたった今は仕事の一服(笑)。
「旗日」の名の通り、祝日に日の丸を掲げているところが少なくなりました。
スカイツリー、大きくなりましたね。すっかり話題にならなくなって、かたちんばさんの記録だけが成長を確認できる機会です。
目玉焼き、上手ですね。
と、こんな風に、自分からうっかり離れかけていた生きている感覚を取り戻しています。
お伝えするのがちょっと恥ずかしいですが…かたちんばさんの指がきれいだなあと感心したこともあります(^^ゞ
(もちろん働いていない手という意味ではなく…私はアルコール消毒でぼろぼろなもので。)
道端の花や空の青、生まれるもの、変わらず心に残るもの、そんな心奪う何気ないものや小さな息吹を、どこかで同じように観ている人が居るのは、それだけでほっと息つけるものです。
地を這い、休息し、泣き喚き、笑いころげ、時に憎しみながら、美しいものに憧れる。
原田郁子の声には、そんなヒトのあるべき姿を圧倒的に包容するアトモスフィアがあるのではないでしょうか。
私には吉田美奈子と同じ「波」を感じます、まさに波長。
すてきなお皿も見せていただきました。
かたちんばさんはずっと、絵であれ言葉であれ、表現し遺してきたのですね。
千のナイフをモチーフに作られたお皿は、触れると向こうに小宇宙の広がりを想像します。
昼でも夜でもない場所。
小学校の教科書に載っていた、壺の中がどこまでも海、という童話を思い出しました。
私もよく聴いたアルバムです。
調子に乗って当時、高橋悠治さんのピアノを聴きに行ったものです。
ヒューマン・オーディオ・スポンジのお話で、おっしゃっていました。
「何が滅びようと、魂を持った音楽は永遠に残り、輝き続け、人を灯す光
この優しい曲を聴きながら、自然ととめども流れる涙をそでで拭きながら」
私も音楽を聴いては、景色を見ては、涙があふれます。
ちょうどU2「The Unforgettable Fire」のお話があったので気づいたのですが、自分のための鎮魂歌なのか、誰かのための子守唄なのか、私はよく「MLK」を口ずさんでいます。
子守唄は幼い頃の数少ないよき思い出。
母との話は他に「自分がコーヒーを飲みたい」という理由で私がお腹に居る間も欠かさず仕事帰りにカフェを居場所にしていたなど(今は問題なのでしょうね)。
過去に、耐えがたい陰はあれど、ヒトはもちろん、音楽、本、カフェとの出会いがあり、其々が私を構築してきました。
だからやはり過去は言葉の上だけで、今そのものです。
そこから先に繋がるものもあったはずですが、今はそれが見えなくなって、目を凝らした果てが涙なのかもしれません。