こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

Boyd Rice 「music martinis & misanthropy」'96

2011-02-28 10:00:00 | 坂本龍一のサウンドストリート
ボイド・ライスという人を初めて知ったのは1981年4月、坂本龍一のサウンドストリートの第2回目、糸井重里さんがゲストの回でかかったダーカー・スクラッチャーというオムニバス・レコードからかかった「クリアネス&オーダー」という曲だった。

この曲は、ミュート・レーベルの創始者ダニエル・ミラーとボイド・ライスとの共演。
ダニエル・ミラーは80年代初頭のニューウェイヴ/テクノの中の1人のキーマンである。

後に、デペッシュ・モード、ヤズーによってミュートは有名になるが。

***

1991年4月から1996年3月の大阪時代を経て、東京に戻った自分は、コテコテの大阪を経験したからだろうが、5年経ての東京という街に何かよそよそしい空気を感じていた。
元々、東京というのは、他人に干渉しないという奥ゆかしさが文化であったが。
そんな折、神保町のジャニスで借りて聴いていたのが、ボイド・ライス&フレンズの 「music martinis & misanthropy」だった。



サイキックTVを想像させる音の背景での語りや鳴るSE。
全曲が良いと言う訳では無いが、特に気に入ったのが「ディズニーランド・キャン・ウェイト」という曲。

元々、地下組織に属し、反体制活動を行っていたボイド・ライス。
この曲以外にも、不気味な静けさが、このアルバムを支配している。

ジャケットも意味深であるが、この「ディズニーランド・キャン・ウェイト」も、まるで昼の「ディズニーランド」なる異国の騒ぎの後、夜を迎えて、誰も居なくなった中、メリーゴーランドが亡霊のように回るウルトラセブン的恐怖感を漂わせており、夜という時間の持つ深い闇を表現していて好きである。

自分の中では、1996年の東京のよそよそしさとこのアルバム「music martinis & misanthropy」が微妙に意識下で繋がっている。

***

東京に無い「千葉でぃずにーらんど」に1度も行った事が無い、という自分に対して、まるでエイリアンのように「ええっ!行った事無いの!」と言うヤツが多く居る。

「行ったら愉しいよ」という彼らに、
「1983年、千葉県浦安市に出来た、ああいうバーチャルな虚構世界が、現実とごっちゃになり進出してきた様は、現実世界に何を及ぼした?
お前らはああいう資本主義の手先が、この現実をどのように変えていったのか?
善のツラを下げながら、お前らのサイフからカネを収奪して行きながら、世の中をどのようなところに導いていった?
でぃずにーらんどに行くカネあるならば、自分は風俗に行くね。
私はあんなところが善で、風俗が悪というような風潮には染まらない。
キレイごとに全肯定する人というのは、どうも気に入らないなあ。」
と言うと、彼らは黙り・説明出来ずに去っていく。



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ヘンタイよいこバンド(忌野清志郎+坂本龍一) 「ひとつだけ」'81(矢野顕子)

2009-05-04 21:33:59 | 坂本龍一のサウンドストリート


過去、1981年だったかな・・・
「坂本龍一のサウンドストリート」でも話題にしたけど、糸井重里さんも絡んだビックリハウスの「ヘンタイよいこ」秘密の大集会というのが開かれて、そこで清志郎が歌った、アッコちゃんの「ひとつだけ」が凄い良かった、って教授がラジオで言っていた。

教授は、「また、いつかかけますね」と言いながら、「なかなかそのライブ音源を放送しないじゃないか!」というハガキ、リクエストが多くて、サウンドストリートの1982年の年始めの放送にかかったのが、この清志郎の歌った「ひとつだけ」だった。

***

今回の清志郎の死について、矢野顕子さんは「心の美しさが歌に表れている人でした。永遠に友達です」というコトバをコメントした。
教授も、葬式に参列した。

1970年代→1980年代という特殊で時代の大きな変革期に殴り込みをかけた、多くの偉大なるアーチストたち。敬意を抱く、多くの「革命家」。
<たぶん、それは、既に時代が大きなモノに覆われ、もはや形骸化したものしか作れなく、身動きの取れなくなった90年代以降にはありえない。>

今までには無いその時代の変節で、僕らの心を捉えて離さなかった人たちが、こうしたカタチで、亡くなっていくのは、非常に寂しい思いがする。

***

メディアの報じられ方は、いつものごとく「ロックの清志郎」だの浅い(実に「浅い」!)コトバで締めくくろうとしているが、そうではないだろう!!!!?
(何か都合の悪いものがあると、すぐ「ロック」というコトバで締めくくろう=始末しようとする。だから、自分は、「ロック」というコトバが吐き気のするほど嫌いなのだ。)

たぶん、彼の死の本当の意味は同時代に生きた自分ら40代前後の人々にしか分かち合えないものだろうと思う。
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坂本龍一 「thatness and thereness」'80

2009-01-23 18:51:06 | 坂本龍一のサウンドストリート


80年に発売された「B-2UNIT」を購入したのは、中学2年生の頃だった。
当時、YMOキチガイだった自分は、YMO的な音を期待して、2800円で買ったLPにアセンとした。
当時、内容を知らないで買ったにしては、自分に課せられた課題は大きかった。

坂本龍一の背景をろくに知らなかったし、当時、LP2800円は、中学生にとっても大きな賭けだった。

「WAR HEAD」のシングルや「千のナイフ」に感動して知っていたので、それ的なものだろうと思っていたが甘かった。

LPをかけながら、自分はなんてものを買ってしまったんだろうかと、正直後悔した。
あの日の夕暮れを、僕はずっと、今でも、思い出せる。
あの三ノ輪の家の夕暮れを。

***

しかし、30年近く聴いているこのアルバムは、今では愛聴盤になっている。
坂本龍一は、YMO第2次ワールドツアーを企画した際に、同意していない。
元々、人前に出てプレイすることに、細野さんのバンド(=YMOという発想)に反感を覚えていた彼ならではの事件。
第2次ワールドツアーは、アメリカ・ヨーロッパを回り、大きな反響を得たツアーだが、彼らしく、というか、「いつもYMOの問題児=坂本」は、反対をした。
さらに、YMOを辞めると言い出した。

そのとき、引き換えに、セールスも無視して、俺のやりたいように1枚アルバムを創らせろ、というのが条件だった。
それをアルファ・レコードが条件を呑んで作ったアルバムが、この「B-2UNIT」である。



全曲素晴らしいが、というか実は坂本龍一の最高傑作と思っているが、過激で一番彼の持ち味を出しているアルバムだと思っている。

まだ、サウンドストリートも始まっていないし、まだ暗い頃の坂本龍一のロマンティシズムが全開である。

その中でも、初めてヴォーコーダーという器具を取り外してなまみのヴォーカルに取り組んだ曲が、この「thatness and thereness」である。
本人いわく、ルー・リードの「ベルリン」を聞いて、それが発火点になった模様。
下手とかウマイではなく、肉声を伝える、ということに関心を示した1曲。

心理学用語であるという造語、「そこにあること・そうであること」
学生運動で警察と対決した際のフラッシュやそういうシーンの記憶の断片が綴られている。
スロッビング・グリスルなど、当時、坂本龍一が傾倒していた、ニューウェィヴの過激派の影響を感じる。
ピアノを独りで弾くその姿に、自分は、いちころになった。
永遠に残る名曲だと思う。

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John Foxx 「20th Century」'81

2008-08-29 15:21:53 | 坂本龍一のサウンドストリート
John Foxx - 20th Century


この曲は、「坂本龍一のサウンドストリート」の夏休みヴァージョンで、1981年のナツに「坂本龍一の電気的音楽講座」でかかっていた曲。

アルバムには収まっていない、シングル盤のB面の曲。

ジョン・フォックスのやせ方、ほほのこけ方、アンドロイドのような冷気を感じる蒼い目・・これこそが、「I Want Be Machine」と語ったジョン・フォックスであり、テクノの真髄である。

近時のテクノというのは、ノリや、黒人的側面との融合であって、それはそれでいいのだけども、自分は、未だに昔の、この、アンドロイド・テクノへの魅力が捨てがたい。
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坂本龍一 のサウンドストリート 1984年06月05日 「YOU」100回特集

2007-12-08 09:48:48 | 坂本龍一のサウンドストリート


 糸井さんの「YOU」との同時中継の企画。
「YOU」のスタジオの中に箱を作って、そこで「サウンドストリート」をやっていた記憶がある。

***

【アルコ堂ホームページより】
NHKのTV番組YOU(今のソリトンの前身?番組)のセットの一部に確かガラス張の部屋を作り、そのなかをサウンドストリートのスタジオとし、ゲストはそのスタジオとYOUのスタジオをいったりきたりして番組を進行しました。
YOUは7/9に放送されています。

TVの司会は糸井重里、河合美智子(現オーロラ輝子)ゲストは中沢新一、鴻上尚次、原田知世でした。
ちょうどニューアカデミズムがブームになっていた頃で、「逃走」や「煮詰まり」、「送り手と受け手」等をテーマに番組が進みました。
ゲストの行き来が頻繁で、ちょっとあわただしい放送でした。

当時のニューアカデミズムは、今から考えると余裕というかゆったりとものを考える時間があったのだなあという印象もあります。

***

<中沢新一とのトーク>

1・ローリー・アンダーソン 「KOKOKU」

<河合美智子が「YOU」の方から入ってくる。>

2・DavidSylvian 「ノスタルジア」



<新井素子が入ってくる。>

3・カーメル 「TheDrumIsEverything」

<「YOU」の糸井重里・鴻上尚司との中継>

鴻上「私も来たくて来たんじゃないです。
ラジオは飽きたんですよ。暗いなあ~。
僕はまだ25なんですよ。
浅田彰をどう潰すか考えましょう。」
中沢・坂本「なんであんな可愛い人を。」
鴻上「フォーク歌手みたいでしょ。」
中沢「どのへん?」
鴻上「さだまさしとか。」

坂本「そっち(YOU)はどういう話していたの?
こちらは、クロウトがいかに行き詰っているかを話してたの。」
鴻上「シロウトもねえ~。長く生きてりゃ行き詰まってきますよ。」

糸井「芝居初めて何年?」
鴻上「3年です。」
糸井「3年で行き詰まりなんてよく言うよ。」

糸井「受け手の方が長くなかった?要は、見る側として。」
鴻上「随分芝居見たけど、面白いものなかったから。」
糸井「それで作るようになったの?」
鴻上「それもありますね。」
糸井「それで、ボロクソ言われたらどうするの?」
鴻上「言われたことないですからねえ。」
糸井「・・・坂本君。いびる?」
中沢「若い者いじめしようか。」

糸井「3年だと、まだ受け手感覚じゃない?」
鴻上「送り手になったら終わりですね。
いつまでも、受け手感覚でいないと。」

河合「昔は1つの目標があって、それに対して努力するというのがあったけど、
今はチャンスがそのへんにゴロゴロあって、急に送り手側に変わっちゃう人が多いなと思う。」
鴻上「意気込んでやると、潰れるんじゃないかな。」
中沢「逆に、戻れるでしょ?」
坂本「本当に、すぐ戻れるんだよね。
今は、僕は、1回始まっちゃったから、戻りにくいじゃない。
自分のお金で生きてる人が居たりすると。」
中沢「なるほど。」
坂本「だから、浅田君じゃないけどさ。
すぐ逃げる、戻れるようにしておかないと・・・。」

4・オカモト・セイロウ 「マーブル・ウォーター」(デモ・テープ)

<原田知世が入ってくる。>

河合「原田さんと話しちゃった・・。あとでサインください。」
坂本「実に、受け手的な会話。」
中沢「私もサインください。」
坂本「僕も。」

5・戸川純 「レーダーマン」



<糸井重里が入ってきた。>

6・細野晴臣 「ゼビウス」

<荻野目慶子が入ってくる。>

ゲーム「ゼビウス」を作っているクリエイターも入ってきた。

クリエイター「コンピューター時代は必ずやってきますから。
やれない人はニンゲンやめるしかない、という。」

7・メビウス・プランク・ニューメイヤー 「ビッチ・コントロール」

***

 80年代は、糸井重里が、かつてゲバ棒を振るって、学生運動をしていた、そのゲバ棒を「コピー」という別の手段に変えて、日本の社会構造を壊していった時代だった。
 「プロ」と「アマ」、「クロウト」と「シロウト」、「カルチャー」と「サブカルチャー」、「送り手」と「受けて」の落差を融解させてしまった張本人=確信犯が、糸井重里である、と僕は思っている。

それは、まさに「革命」であり、僕は、その「革命」を体感した。
大きな時代の変革を目の当たりにした1人である。

・・・・という訳で、いまや、こうして、その20数年後、
世界全体に開いた「窓=Windows」から、1個人が、カンタンに世界への「送り手」になれる時代になってしまいました。
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坂本龍一のサウンドストリート 1983年5月17日 YMO「浮気なぼくら」特集

2007-03-11 21:34:05 | 坂本龍一のサウンドストリート


今では「浮気なぼくら」は、大好きなアルバムだが、当時は、聞き込むまで、表面的な明るさに違和感があった。しかし、聞き込むたびに、実は「歌謡曲」なんていう軽さではない、「裏テクノデリック」(細野さんのコメント)としての名曲そろいのアルバムである。

***

この日は、YMO3人で、芝浦のアルファレコードのスタジオにて、エフェクターをいじりながら、声を変えて、3人で「お笑い」を演じながら、曲を紹介した。

3人でじゃんけんをして、DJを決めるといって、最初、DJになったのは、幸宏。

坂本「細野さん、寝ないでください。」
幸宏「坂本くん、僕がDJやると民放っぽいんですけど・・・。」
坂本「何かやってるらしいですね。悪口なんか言ってませんか。」
幸宏「好きです。悪口言うの。悪口言うと、ホントに仲悪いんじゃないかと思うらしくて、それが好きでしょうがない。」
「実は、別に仲悪くありません。」
坂本「割と仲良いですね。最近は。」
幸宏「接吻なんかしますから・・。」(「ルージュマジック」への揶揄?)

一同苦笑

***

1・YMO 「君に胸キュン」

幸宏「次は、お電話のコーナーですね。もう繋がっていますね。自分のお名前と学年を言ってください。」
坂本「鶴田こういちです。小学校4年です。」
幸宏「今、何やってました?」
坂本「いいづらいんですけど・・・今、アレしてました・・・。」
幸宏「アレ?アレね・・。今どんなところにいるの?」
坂本「狭いところです。」
幸宏「一人だけ?」
坂本「もちろんです。」
幸宏「女性なんか、好みがあるのかな?」
坂本「今年のキャンペーン・ギャルのアイダさんなんか結構好みですね。」
幸宏「あの化粧品会社のね。」
坂本「そうです。」
幸宏「どこがいいのかな?」
坂本「豊満な胸の辺りなんかいいですね。」
幸宏「豊満な(笑)なるほどね。」
坂本「いつも先生に言われるんです。やり過ぎはいけないよ、って。」
幸宏「そうっ。一日に何回くらいかな?」
坂本「そうですね。僕の場合、朝と晩と2回くらいです。」
幸宏「それはねえ・・多いね、ちょっと。」
坂本「そうですか?でも、溜まると・・<耐え切れず笑い止まらず>カラダに良くないから。うちのおじいさんもしてますよ。」
幸宏「何人家族ですか?」
坂本「うちは4人と1匹です。」
幸宏「まさか、その1匹はしてませんよね?」
坂本「よくしますよ。」
幸宏「ラジオは最近こういう事を言っても大丈夫だから、何をしていたか全国の人に発表しましょう。」
坂本「・・・・・大便です・・・・おやすみなさい。」

こんな具合に、進行していく。

***

2・YMO 「希望の河」
3・YMO 「ケイオス・パニック」(シングル「君に胸キュン」B面)
4・YMO 「邂逅」(かいこう)

・企画ソロレコードを細野さんは作るとこのとき、言っていたが、それは何だったのだろうか?またもや、ボツになったアルバムなのだろうか?この年、細野さんはソロは発売されなかった。

・幸宏は、このあと「薔薇色の明日」と連動したライブがあることを言う。
ゲスト:ビル・ネルソン、デヴィッド・パーマー、立花ハジメ、鈴木慶一などなど。
ここで教授は「今回は、すみれ小僧は出ないのか?」と聞く。
すみれ小僧=土屋昌巳である。このとき、一風堂=土屋昌巳は、別でライブ・ツアーをしており、ここには、スティーヴ・ジャンセンが参加している。
教授は「スティーヴもねえ・・」と「何であんなものに参加するんだ」と言わんばかりのことを言う。

5・YMO 「希望の路」

・「笑っていいとも」に細野さんが出たときの話題。電報がたくさん来ていて、どれも「幸宏さんを出して」「教授を出して」というものばかりだったという。しかし、2人は「前に出ているのに、見てなかったんだ」とのこと。

坂本「最近、1981年ウィンターライブのヴィデオ見ましたねえ。」
細野・幸宏「見ました。」
坂本「暗い・・・。暗いYMOもいいですねえ。」
細野・幸宏「いいですよねえ。」
坂本「あの頃の真剣さというか、切なさというか・・・。」

坂本「そのへんの過激とか言われるバンドより、過激というか、根が深いですね。」
幸宏「(笑)病的ですね。」

6・YMO 「以心電信」

最後は、NHKのテレビでの「世界コミュニケーション年」のテーマである「以心電信」で終わった。
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坂本龍一のサウンドストリート 1981年4月14日・・・その1曲目のレコードが判明!

2007-01-16 00:37:26 | 坂本龍一のサウンドストリート


今、1981年に発売されたレコードを、ずっとここ数週間整理していた。

昨日、新居祝いに兄にプレゼントされた「お風呂で聴けるCDプレイヤー」で、坂本龍一のサウンドストリート 第2回目(糸井さんがゲスト)を、お湯にぷかぷか浮きながら聴いていた。

最近、ボイド・ライスに興味がある。
数枚レコードはあるものの、ナゾの存在。

この放送では、「Cleanliness and order」という曲がかかり、今だに好きだった。
英会話講座みたいに、女性がしゃべるヴォイスに無機的なリズムパターンが平坦に続く曲。

このとき、教授が「ダーカースクラッチャー」というレコードをイギリスに行ったときにもらい、そこに入っている、と言っていたのを思い出し、調べたら、海外のサイトで発見。
四半世紀目にして初めて見るジャケット【写真】。

1980年に実際は、発売されているらしい。
しかも、ボイド・ライスのレコードかと思いきや、それは、オムニバスのレコードだった。

<入っている曲>
Side A
Boyd Rice & Daniel Miller / Cleanliness and order
Jad Fair / XXOO
Vetza / Stale puppy-dog tails
the Rick potts band / Platform Swimfins
Monitor / Guardian
Doodooettes / Pork had better behave
45 Grave / Riboflavin-flavored, Non-carbonated, Polyunsaturated blood
Non / Non-watusi

Side B
Foundation Boo / Nap
Airway / Perpendicular thrust
Dennis Duck / Davey the worm
Le forte four / The lowest form of music
Human Hands / I got mad
Bpeople / The other thing

***

正直、分からない人ばかりだ・・。
NONというのは、ボイド・ライスのバンドだったと思うが、ほかは全然分からない。
とりあえず、今夜は、ここまで分かったことで良しとしよう。
探索は続くのだ。
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坂本龍一のサウンドストリート 1981年7月14日・・・その①の曲が判明!

2007-01-13 23:33:36 | 坂本龍一のサウンドストリート
やっと判明した曲がある。
大好きな曲なのだが、教授の語りの後ろにかかっていて、レコードかCDで入手したいと思いつつ・・・25年。

この7月14日の放送の5曲目。

曲は、ニック・メイソンの「空想感覚」というアルバムに入っている「Im a Mineralist」という曲。

6:16の曲なのだが、途中で2箇所、突然ストップする箇所があるので、いかにも2曲・3曲のように思うが、通しで1曲である。

このやるせない感じは、ロバート・ワイアットでは?と思っていたが、やっぱりヴォーカルはロバート・ワイアットだった。



とてつも無くの名曲である。

その後にかかったのも、同アルバムに入っている「Siam」という曲である。
これも、また、ヴォーカルは、ロバート・ワイアットである。

なんて切ない歌声なんだろうか・・・。
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【臨時版】坂本龍一のサウンドストリート 1984年2月7日 シブリク特集

2006-11-05 00:20:00 | 坂本龍一のサウンドストリート
偶然、1984.2.7の坂本龍一のサウンドストリートがLimewireでダウンロード出来た。
さっきから、肩こり・頭痛が激しく、布団に横になり、聴くつもりもなく、この回のテープをかけていた。

ところが、聞き入ってしまった。
この音の中に、自分の居場所を見つけたとでもいうのか。

ブライアン・イーノが環境音楽を発見した際のように、環境の一部に音楽が鳴っている感じ。

・さかんに、受験が間近と言う話。確かに2月。
「僕も高校・大学と受験した。私の場合はこれに大学院もありましたけどね<嫌味>」
「高校受験の時、大雪になって、吉祥寺の方を、雪を踏みながら歩いた記憶がある。あの頃に戻りたい<苦笑・テレ笑い>」

1・フォーレ チェロソナタ第2番3楽章
2・スリーサウンズ トレーシーブルー

思えば、「シブリク」は当時好きではなかった。
NewWave・アヴァンギャルドな音楽を捨てて、下世話な音楽番組のようになった気がして。
80-81の頃の孤独な教授の一人の世界を既に脱していた。
82年の真ん中あたりから、妙に明るくなっていた。
それは、矢野顕子との生活が始まったせいもあろうし、YMOがひと段落したせいもあろう。

3・アラン・トゥーサン モーション

4・スティーブ・ライヒ 八十奏曲

「B-2UNIT」を作った時期、及び、YMOのワールドツアーの時期は、坂本にとって、精神的な異常事態だったことは言うまでもない。むしろ、この時期だけが突出して異常な時期であったのかもしれない、と、今は思える部分もある。

5・エリック・サティ ジムノペティ(教授の弾き語りピアノ)

「高橋悠二さんには負けますが」と別室のピアノのある部屋に移動して、ピアノを弾く。「時計のCMに使われていますが」当時、長嶋茂雄さんが出ていたCMのことか?イーノの「ファースト・ライト」も使われていた。

6・ビル・エヴァンス いつか王子様が


昔、浪人の頃毎日通った、御茶ノ水のジャズ喫茶を思い出した。

YMO散会あとということもあり、やたらその関連のはがきが多い。

7・ドビッシー 喜びの島
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8月12日 土曜日 初の朝帰り

2006-08-12 09:44:15 | 坂本龍一のサウンドストリート
何はともかく、まみちゃんは朝帰りした。
良かった、ほっとした。

どこかで、死んでしまったと思っていた。

昨夜1時過ぎまで、近所を捜し歩いたのだが、みつからず、不安な夜を送ったのだが。

本人は、10歳にして初めての朝帰りに疲れたのだろう、すっかり「死んだように」熟睡している。

何はともかく良かった。
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