8月10日は、京田辺市大住に鎮座される月読神社を参拝しました。
平安時代に定められた延喜式に載る由緒正しい神社で月読尊、伊邪那岐尊、伊邪那美命を祭神としてお詣りしています。
中世にはたひわたび兵火は巻き込まれ、社殿の復興が繰り返えされました。
明治維新の戦乱では石清水八幡宮が一時遷座され、ご神宝が薬師堂に安置された歴史があります。
ご本殿は一間社春日造りで、この南山城が奈良の強い影響下にあった事が分かります。
実際、この大住地区は室町時代末までは奈良興福寺の荘園だったそうです。
境内にはかって神宮寺として宝生山福養寺が明治初めまで存在し、六坊がありましたが神仏分離令で全て廃寺となりました。
平安時代に定められた延喜式に載る由緒正しい神社で月読尊、伊邪那岐尊、伊邪那美命を祭神としてお詣りしています。
中世にはたひわたび兵火は巻き込まれ、社殿の復興が繰り返えされました。
明治維新の戦乱では石清水八幡宮が一時遷座され、ご神宝が薬師堂に安置された歴史があります。
ご本殿は一間社春日造りで、この南山城が奈良の強い影響下にあった事が分かります。
実際、この大住地区は室町時代末までは奈良興福寺の荘園だったそうです。
境内にはかって神宮寺として宝生山福養寺が明治初めまで存在し、六坊がありましたが神仏分離令で全て廃寺となりました。