鴨川の七条通に架かる七条大橋は明治の京都市三大事業のひとつ「道路拡築及び電気軌道敷設」による七条通の道路拡幅の為、明治44年(1911)に着工、大正2年(1913)に完成し、現在鴨川に架かる橋で最古の橋で、日本で最初の本格的な鉄筋コンクリートアーチ橋です。当初は6連のアーチ橋でしたが鴨川左岸の疎水部分が短縮され、現在の5連のアーチ橋になっています。
戦時中の金属供出で欄干が供出され以降、木製の欄干でしたが京阪電鉄の地下化、川端通の開通時に金属製の欄干に改められました。デザインの意匠は"矢"だそうです。近くにある三十三間堂の新春行事"通し矢"がもとにあるのでしょうか?
また、この七条大橋が東山区と下京区との境界になっています。
昭和10年(1935)の「鴨川水害」の時には上流に架かる団栗橋や松原橋、五条大橋は流されてしまいましたがそれらの橋の残骸を上流の正面橋が受け止め七条大橋は無事だったそうです。
日本土木学会選奨土木遺産として2008年に登録されています。
NPO法人「京都景観フォーラム」や京都女子大学、地元住民の方々が協力し、登録有形文化財に登録するよう運動されて来ました。
ようやく今年3月29日付けで国の登録有形文化財に登録されました。プレートが取り付けられている筈なので後日、確認したいと思います。
今回の登録を記念して今8月4日から6日の3日間ライトアップが行われました。
戦時中の金属供出で欄干が供出され以降、木製の欄干でしたが京阪電鉄の地下化、川端通の開通時に金属製の欄干に改められました。デザインの意匠は"矢"だそうです。近くにある三十三間堂の新春行事"通し矢"がもとにあるのでしょうか?
また、この七条大橋が東山区と下京区との境界になっています。
昭和10年(1935)の「鴨川水害」の時には上流に架かる団栗橋や松原橋、五条大橋は流されてしまいましたがそれらの橋の残骸を上流の正面橋が受け止め七条大橋は無事だったそうです。
日本土木学会選奨土木遺産として2008年に登録されています。
NPO法人「京都景観フォーラム」や京都女子大学、地元住民の方々が協力し、登録有形文化財に登録するよう運動されて来ました。
ようやく今年3月29日付けで国の登録有形文化財に登録されました。プレートが取り付けられている筈なので後日、確認したいと思います。
今回の登録を記念して今8月4日から6日の3日間ライトアップが行われました。