京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

宇治川のながれを一望できる幻の城巡り

2019年07月05日 09時26分19秒 | 日記
6月22日は京阪ホールディングス主催の歴史ガイドウォーク「宇治川のながれを一望できる幻のした巡り」に参加しました。



ガイドは地元"宇治観光ボランティアガイドクラブ"の方です。






京阪宇治駅で受付後、宇治川右岸を下ります。
左手に見えて来たのが"宇治川太閤堤跡"です。新聞記事で偶然に発見され、今まで右岸には秀吉の土木工事はないとされていましたが定説を覆す発見となりました。

僕も初めて目にしました。公園として整備工事が行われています。
一級河川の流れまで変えてしまう大規模な土木工事、、、天下人秀吉の権利の強大さを感じざるを得ません。







次に再び京阪宇治駅の横を通り宇治橋を渡り槇島公園に来ました。宇治川左岸には、かって巨椋池という巨大な池沼が存在し、いくつかの島が点在しており槇島もそのひとつでした。
ここに真木島氏という豪族が本拠地として城郭を築いていたのが槇島城です。

この小さな城郭が知られるようになったのは、足利幕府終焉の地となったからです。

元亀4年(1573)7月3日、室町幕府第15代将軍足利義昭は織田信長に対して兵を挙げ、幕府奉行衆であった真木島昭光を頼り槇島城に籠城します。

信長は即座に入洛し、羽柴秀吉・明智光秀・柴田勝家らは川下の五ヶ庄から、稲葉一鉄らは平等院周辺より攻撃しました。

敗戦を悟った足利義昭は嫡子を人質に差し出し、真木島昭光らと河内若江城へと逃亡しました。
この"槇島城の戦い"で15代続いた足利幕府は終焉を迎えました。





次に紅葉で名高い曹洞宗興聖寺へと向かいます。







朝日山遺跡(宇治朝日山城跡)
琴坂の紅葉が美しい興聖寺の裏山にあったとされるのが朝日山城です。しかし、築城時期や城主が誰であったのか分かっていないそうです。

本丸があったと推測される山頂は開けており築城の条件には適した場所と思われます。
山頂には五重の石塔があり、淀藩主だった永井尚政により建立されたと伝わります。

また、仁徳天皇の異母弟とされる 兎道雅郎子(うじのわきいらつこ)が葬られたとの伝説もあります。(今回は、朝日山には登っていないため写真はありません。)









最後に"宇治茶道場 匠の居館"で日本地インストラクターに習う美味しいお茶の淹れ方体験をしました。

100g当たり原価で3000円の玉露を使用し、お茶の旨みを最大限に引き出すために、お湯の温度を40°まで下げてゆっくりと抽出します。熱いお湯で淹れると渋味成分のタンニンが出てしまうそうです。

なんとも言えない甘みと芳醇さを感じます。続いて二番茶、三番茶とお湯の温度を上げながら頂きます。四番茶、五番茶になるに従い家で飲んでる日本茶に近づいてくる感じになってきます。

最後は出し殻を頂きます。お茶の香りが充分に残っていて美味しかったです。袋に入れて持ち帰えられる方もおられました。

近くの福寿園さんでは、佃煮にして販売しておられます。

これだけの充実した内容で参加費は、1000円です。しかも、熱中症対策で凍らせたペットボトルのお茶とホルダー、お土産に抹茶飴と懐紙まで頂きました。

関係者の皆様、ありがとうございました。