京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

安楽寺 鹿ヶ谷カボチャ供養

2019年07月26日 06時36分21秒 | 日記
7月25日は昨年に引き続き安楽寺の鹿ヶ谷カボチャ供養にお邪魔しました。

毎年、檀家さんやご近所の子供さんが給仕してくださいます。そのテキパキとした給仕に癒され、カボチャがより一層美味しく感じます。





鹿ヶ谷カボチャは、京都の伝統野菜のひとつで瓢箪の形をしています。





毎年7月25日に振舞い、中風にならないように願う行事です。



お寺の御由緒については駒札をご覧下さい。











次に真如堂で行われている宝物虫払い会に向かいます。


祇園祭 後祭 山鉾巡行①

2019年07月25日 09時52分19秒 | 日記
7月24日は祇園祭 後祭の山鉾巡行です。市役所前の観覧席最前列で観覧しました。
しかも、イヤホンガイドで"らくたび"代表の山村さんの解説付きです。





9時30分に烏丸御池の交差点を出発し巡行を始めます。

山一番は"くじ取らず"の橋弁慶山です。



人形は仏師康雲作で、永禄6年の銘があり織田信長が活躍した時代ですね。

二番は北観音山で、御神体は楊柳観音像と韋駄天像です。鉾を思わせる大型の山です。真木や鉾頭がなく、代わりに真松が備わっています。





三番は鯉山です。中国の故事"登龍門"を題材に回りの懸想品はベルギー製で重要文化財です。
今年は鯉山で粽を買い求めました。







四番は八幡山です。八坂神社の祭礼なのになぜ八幡さん?と思うところですが、新しいもの、異文化も受け入れる、、そんな懐の大きいところもまた、京都なんですねー。(南禅寺境内の水路閣や京都タワーなど、、、初めは抵抗がありますが、、、)





天明年間の製作と伝わる高さ1mの総金箔の豪華か社殿です。一年に一度巡行の日にだけ蔵から出されるだけなので金箔の劣化を感じません。また、鳥居には八幡さんの使い鳩が二羽止まっています。

五番は黒主山です。六歌仙の一人大伴黒主が桜を愛でる姿でイナバウアーみたいですね。







桜の花は会所で授与され非常に人気があるそうです。

②に続きます。

祇園祭 後祭 山建て・鉾建て②

2019年07月22日 09時27分27秒 | 日記
次に鯉山です。





中国の伝説「登龍門」に由来する山で主人公の鯉の彫刻は1.5mの大きさで左甚五郎作と伝わる立派なものです。懸想品も素晴らしく、古代ギリシャの叙事詩「イーリアス」のタペストリーを9つに裁断したもので重要文化財に指定されています。

今回は鯉山の粽を買い求めました。(滝を登る気はありませんが、、)

次に八幡山です。





勝負運がつく八幡宮を祀る精緻な欄縁金具は豪華絢爛です。懸想品を身に付けた山を見たいですね。23日の宵山、24日の巡行に行くので楽しみです。

商家の屏風祭の光景です。







屏風、絨毯、山鉾のミニチュアといい素晴らしいものをお持ちですね。

次に南観音山です。
病苦から人々を救う楊柳観音を祀る山で「下り観音」ても言われます。
また、水引「飛天奉楽」は加山又造筆です。







今回は「そうだ 京都、行こう。」のイベントのひとつで曳き初めに参加させて頂きました。
本番の山鉾巡行では男性しか参加出来ませんが曳き初め、舁き初めは誰でも参加できます。

最後に四条通を渡り、大船鉾に来ました。
後祭巡行の最後を務めます。
今年から鷹山の唐櫃巡行が行われるので全11基の山鉾が巡行します。
鷹山が使用する唐櫃は、大船鉾が復活するまで使われていたものです。









毎年どこかの部分が新調され年々豪華さが増していくのも楽しみのひとつです。

今年は後部の欄干が赤漆で化粧を施されていて、来年には金色に輝く龍頭が船首を飾る予定だそうです。

昨年は御池通の観覧席から前祭の巡行を堪能しましたので、今年は後祭優先で山建て・鉾建て、宵山、そして山鉾巡行と後祭を堪能するつもりです。






祇園間 後祭 山建て・鉾建て①

2019年07月21日 07時50分37秒 | 日記
まずは四条寺町にある御旅所にお参りします。三基の御神輿に乗られたそれぞれの神様は24日の還幸祭までこちらにおるれます。




2022年に復興予定で関心が集まる鷹山。応仁の乱以前からある由緒ある山ですが文政9年の大風雨以来は居祭で参加してきました。当初の計画では2026年に巡行に参加予定でしたが復興を願う機運が高まり4年も前倒になったそうです。
今年から2021年までは「唐櫃巡行」で巡行に復帰します。お飾りは22.23日です。

孟宗山
御神体は寛政年間、七条大佛師康朝の作と伝わります。胴懸は平山郁夫筆「砂漠らくだ行」綴綿、見送の竹内栖鳳筆「孟宗竹藪林図」と豪華です。

鈴鹿山
こちらの山も応仁の乱以前に起源を持ち、なおかつ、場所を変えていない貴重な山です。御神体は能装束に身を包み能面をつけた瀬織津姫神で美しく凛とした女神です。





次に浄妙山です。
平家物語の「橋合戦」の場面を再現。三井寺の僧兵筒井浄妙の頭上を飛び越え、空中に舞う一来法師の御神体は、木片の楔(くさび)一本で支えられています。





祇園祭 後祭 山建て・鉾建て②に続きます。








祇園祭の主役 御神輿

2019年07月19日 06時59分15秒 | 日記
祇園祭の本来の意味合いは神輿渡御にあります。

豪華絢爛な山や鉾が巡行するのは、祇園社(八坂神社)の神様が乗られた三基の御輿が四条寺町にある御旅所に行かれる「神幸祭」また、祇園社に戻られる「還幸祭」のために道中を清める"露払い"の役割をしています。



中御座の祭神は素戔嗚尊(すさのをのみこと)で祇園社の主祭神です。明治の神仏分離令前までは牛頭天王と呼ばれ、もとはインドの神様で後に仏教に取り込まれた際のお名前です。



江戸時代より三若神輿会が神輿渡御にご奉仕されています。六角形の屋根の上には鳳凰をいただいています。

東御座の祭神は櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)で素戔嗚尊の奥様にあたります。



高瀬川の船頭衆が起源の四若神輿会が明治からご奉仕されています。
屋根は四角形で頂きには宝珠が飾られています。

最後の一基は西御座で祭神は八柱御子神(やはしらのみこがみ)で素戔嗚尊と櫛稲田姫さまとの間のお子様七柱です。

錦市場青年部の方々を中心に、商店街一帯となり昭和22年頃からご奉仕されています。屋根は八角形で頂上には鳳凰をいただき、3基の中では最大の大きさで約2トンもの重さがあります。

三基の御神輿が揃って見られる機会は少なく、神様が神輿に移られる前の八坂神社舞殿(今回の写真です)、17日の神幸祭で石段下で行われる出発式、そして、17日午後9時頃に四条寺町御旅所に入られ、24日の還幸祭までの7日間です。


(月間京都7月号の写真です。)

現在の御旅所は秀吉が二ヶ所あった御旅所をこちらに統合したもので三基の御神輿は御旅所東隣の敷地内に鎮座されます。(いつもはお土産屋さんですが、この期間、御旅所にかわります。)