京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

京都御所

2020年03月06日 08時07分00秒 | 日記
 京都御所の一般参観が始まり参観する機会が増えました。



宜秋門(ぎしゅうもん)です。
かっては春秋の一般公開の時には、こちらの宜秋門から入り、その光景がよくテレビのニュースでも放映されていました。

一般参観が始まってからは清所門から入ります。皇宮警察官のかばんチェックの後、ネックストラップをかけて参観します。





御車寄、諸大夫の間、新御車寄、月華門の前を通り建礼門へ。
建礼門は御所の正門で天皇・皇后陛下及び国家元首クラスの要人の方しか通り事が許されない御所で最も格式ある門です。



皇太子は、こちらの建春門を使われます。







建礼門の北にある承明門から見た紫宸殿です。右近の橘は寒さに弱いので冬の間は覆屋で保護されています。

御所の建物群が今の規模(平安朝)に戻されたのは生前退位で話題になった光格天皇の時代になってからです。

仁和寺の金堂をご存知でしょうか?、元は御所にあった紫宸殿を天皇の代替わり時に下賜されたものです。今の紫宸殿と随分と規模が違うのがお分かりだと思います。

第119代光格天皇は、天明2年(1782)の天明の大火で御所も焼失し、再建されるまでの間、聖護院を借御所とされました。

親王家のひとつ閑院宮家出身の光格天皇は中世以来途絶えていた朝廷儀式の復興、また朝廷の権威回復に熱心で御所が再建される際、時の江戸幕府老中松平定信と折衝し、有職故実に則った御所の規模に戻されました。
(今の皇室も世襲親王家のひとつ閑院宮家の流れをくんでいます。)










明治維新の際にはこちらの小御所で会議が行われ、将軍慶喜の処遇について話し合われました。





明治天皇が王政復古の大号令が発せられたところです。
















御池庭、御内庭と共に良く手入れのされた庭園で石や灯籠は献上された物です。
また、拝観ルート上にある白梅、紅梅も可憐に咲いていました。

平安時代には、春の花見と言えば観梅で紫宸殿前も左近の梅でした。


清涼殿は工事中で、いつもの拝観ルートから外れています。
また、新天皇が即位の儀で使われた高御座と御帳台が3月1日から公開予定でしたが新型コロナウィルス感染対策の為に延期になりました。