高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

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2008-04-26 22:54:07 | 高校公民空間

教育の地方分権へ向けて

 
私は、かねてより、高校の公民科の独立を支持してきている。この決定を私たちは後戻りさせてはならない。いまだに、社会科と呼び、平気で、世界史と日本史を担当したり、現代社会を趣味程度に考え、世界史をもったり、日本史をもったりしたついでに、担当するなどという発想をしているのが残念な現状だ。しかし、考えてみよう。その程度の授業を何年繰り返そうと

何の熟練も身につかない

聞かせる授業を展開することなどできないのだ。
私たちはもっともっと専門を考えなければいけない。私たち高校の教員がどうやって生き延びていけるかを懸命に探らなければいけない。

規制をはずされたらあなたは食べていけるか?
塾や予備校と競合したとき食べていけるか?
若い教員がどんどん規制を緩和されて、あなたと生徒のとりあいをしたとき、あなたは、生徒の支持を獲得できるだろうか?

あなたが40歳の前半から下の世代だったらこの問いを真剣に考えてみることだ。自治体によっては、早々に、財政の破綻がでてくる。これからだ。県知事が100万円の給与カットをしたという報道もあった。日本の地方は財政から破綻していく。それは、簡単には、日本の納税者の反映である。日本社会は、ついに、消費社会とグローバル経済という構図の中での脱皮をできずに、高度成長をつづけてきた。

地方分権や、道州制といった発想が政治のレベルで語られているが、それは、正解なのだ。教育でいえば、みずからの学校で地域密着型の教科を創造する。そうだ、総合学習という発想、学校設定科目の創設という発想、必履修科目の削減、と発想は正しいのだ。
 
必履修という規制がなければ、きかせることができない人間の授業。
3分の1という欠課時間の規制のうえに4分の1だの、5分の1だの、という、欠課の制約をつけ、生徒を縛りつけなければ授業が成り立たない授業。

こうした規制型でしか聞かせられない授業担当者の授業など、規制をはずされたら一気に失業を迎えると考えなければならなくなるだろう。とくに、40代以降の年齢になってもこの程度の授業しか展開できないとき、私たちはそこに真の賃金奴隷としての待遇が待っていることを覚悟すべきである。組織から離れたら生きていけない、一般科目の教員はすべからくそうだ。

新しい高校教員のユニオニズムをつくる

私は、とりあえず、公民科でユニオニズムを作ることを目指している。閉じながら開く、そういう組織をつくる。たとえば既存のYahoo他のメールサービスを使うだけで、私たちは教科の互助システムをつくることができる。お互いが、お互いしか知りえぬメールボックスをもつ。付加価値のある情報をそこへと集積する。Vistaの環境があれば、動画も、十分編集し、そこに添付しながら、利用できる。また、パワーポイントなどの事例もそこに添付できる。

利用も可能だ。私たちは、まず、情報が財産となるという事実を確認しよう。そして、情報の付加価値の確認とともに、付加価値のある情報の蓄積には時間がかかること、熟練を要すること、ネットワークが必要となることを考えよう。
 倒産した会社の社員が、その会社の部署をごと買い取り、新たに会社を設立するというケースをご存じだろうか。これは、きわめて稀有なるケースだ。まず、買い取って再生できるかどうかが大変なことだ。しかし、その決断を支える熟練を考えよう。市場力に対する自覚を考えよう。私たちはそこに注目しなければいけない。
 私が考えている共同体はそうした意味での共同体だ。ネット上を活動の拠点にする。ネットのスキルのない諸氏はご遠慮いただかなければならない。これが金のかからない最低限度のリテラシーである。

この団体は、この他、圧力団体としての活動も目指したい。教員の専門に関する制度を制度化するために、大学の知識人とのネットワークも作っていきたいと考えている。もし賛同する方は、零からの出発だが、私までご連絡あられればと思う。

kmasaji@goo.jp


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