高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

社会人におけるいじめを考える 1 実態  

2007-08-25 18:47:48 | ゲスト
■8月22日(2007/8/22)にレッドキングさんが当ブログに書き込みをされました。■私は、基本的に、このブログで、子供の世界のいじめを扱ってきました。小学校、中学校、そして高校、もちろん高校が私のホームグラウンドですので、高校生のいじめを、あるいは、高校生が認識しているいじめとは何か、というテーマが私が追いかけてきた問題でした。■そこで、このエントリでは、まず私がインタビューするという形式で、どのようないじめの実態があるのか、を探ってみたいと考えています。 . . . 本文を読む
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朝青龍クライシス 2 道徳と力の分離

2007-08-23 21:22:30 | 社会時事
日本の閉じた会社社会には、外部を入れない、内部でしかわからないという形式が根強くあります。グローバリゼイションを前提にしたら、まったく汎用性のない閉じた形式。それは、とても息苦しく、閉鎖的に見えるのです。 大相撲は部屋別対抗戦という色彩もあり、かならずしも個人戦ではありません。そういう意味での共同体主義をのこしていくことは日本的かも知れない。しかし、外部を入れるならば、外部にみえる契約という関係をきっちり厳正に入れてゆくことが必要です。 . . . 本文を読む
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朝青龍クライシス 1 消費社会の天才

2007-08-18 23:29:59 | 社会時事
朝青龍を非難する人たちがふりまわす道徳は、けっこうです。しかし、道徳にまみれた相撲界の人たちで、興行成績がどうだったのか、をも考える必要があります。道徳を振り回す人間のいかがわしさを指摘するのは、ニーチェのお得意ですが、ニーチェが指摘するルサンチマンを、道徳を振り回す人たちにみてしまうというのは、うがった見方でありすぎるでしょうか? . . . 本文を読む
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この夏の読書 6 近代ヨーロッパ社会を考える

2007-08-16 18:25:28 | ブックレビュー
・・・この著作の中で大塚は、イタリア、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスという国民国家がいかにして資本主義経済史のうえで発展してきたかを鮮やかに描いています。これは、歴史を教えるにせよ、政治経済や倫理、現代社会といった公民を教えるにせよ、絶対に必要な教養です。 「大塚も読んでねえわけ!!!!」 だね。上の著作集の二つの論文はいずれも上にまとめた経済史を叙述しているのですが、せめて、二つ目の「欧州経済史序説」(『近代欧州経済史入門』というタイトルで講談社学芸文庫から出ています)だけでも目を通されることを勧めますね。まったく近代のヨーロッパ史を学んでない人には。 . . . 本文を読む
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この夏の読書 5 弁証法

2007-08-13 22:03:28 | ブックレビュー
■ヘーゲルと一口でいうんですが、大変なんです。  ヘーゲルといえば、弁証法ということになっていて、例の「正」「反」「合」ってことになるんですが、大体、それってヘーゲルの何にどう具体的に書いてあるの?ってきかれて答えられる人は、なかなかいないと思いますね。その原因はヘーゲルその人にあります。こんなに難解な本はおそらくないでしょうね。何が書いてあるのかわからない、というのが正直なところです。■浅田彰がかいているように、ヘーゲルの超難解な、『精神現象学』のロジックを、難解なまま追いかけて一つ一つの難所を超えて山を登るという楽しみを実は、苦しみながら味わうべきなんです。 . . . 本文を読む
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専門軽視 4 学校本位主義

2007-08-06 22:40:10 | 学校の呪術
実は、学校は現在、教員も生徒もすべて、学校に所属することをもってすべてという形式で動いています。学校に所属すること、それが命なのです。ということは、学校から放り出されたらすべてが終わるのです。ということは、反対に、所属すれば、こっちのもの(笑)です。あらゆることが許されるのです。あらゆる恐怖が消えるのです。まずは、所属することです。所属し、年数を重ねることが、それだけが、資本という世界がここに露出するのです。その世界の構造が、教員からも生徒からも専門を軽視させることになるのです。 . . . 本文を読む
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専門軽視 3 内部の視野脱落

2007-08-05 21:19:09 | 学校の呪術
究極の教育改革は「教務主任」を無給にすること(笑)。だって、単純な事務じゃねえか!(笑)そして、〈教科主任〉に人事権を与えること。そして、究極!生徒を顧客にならなければならないようにすること。そこではじめて「専門性」があたりまえに自覚されるようになるのです。 . . . 本文を読む
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専門軽視 2 外部の視野脱落

2007-08-04 21:10:29 | 学校の呪術
大体、学校の内部の人間が教科の専門性など興味がないのです。そういう情報を、問題を、学校の内部の人間が外部に発散していないのです。・・・だから、皮肉ですが、規制緩和されて、競争原理を導入され、塾や予備校が参入したとき、二つの地獄が公立学校を襲います。一つは、専門性に立脚していないので、教員の給料のダンピングが起こると言うことです。もう一つは、ちょっとした専門性をいれた塾や予備校にまったく太刀打ちできず、失業をしていくということです。 これらの問題が、なぜ、起きてこなかったのか?ここが問題として浮上します。 なぜ、外部は、学校内部に、専門性を問わせなかったのか? なぜ、内部は専門性の欠如という問題をまったく外部へと発信しなかったのか? . . . 本文を読む
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専門軽視 1 現状

2007-08-01 22:33:11 | 学校の呪術
■「世界史」担当の穴をよくは世界史はわからない「倫理」採用の教員で充填し、「政治経済」専門のかわりに「地理」専門がくるのです。「地理」専門が来ないと苦情を言っても、日本史専門が3人もいてしまうのです。労働組合運動をいっしょうけんめいしている人たちも専門にはまったく関心がありません。平気なんです。何が平気なのか?■聞く側によくもわからない授業を提供しているという事実です。■「なぜ、二つ教えるより一つを教えるということを現場に最優先させようとしないのか?」 「なぜ、平気で二つでも三つでも教科を教え、生徒と対せるのか?」 小学校へ行ってみてください。一人の教員がほぼすべての科目を教えるわけでしょ? 「なぜ、そんなことは無理」という認識が出てこないのでしょうか? . . . 本文を読む
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