高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

永遠の0 3 事後の宮部久蔵

2015-08-13 13:23:51 | 映画・演劇・ドラマ
ここで、何も急に、ぐっと、個人の話になることもありませんが、ちょっと私の事を書きましょう。私は来年1年で教員を退職します。この現在勤務する体制に対して、私はずっと「現実のニーズに沿っていない」「いつまでたっても生徒の教育を本位に考えるシステムにならない」とあるいみ異端児として生きてきました。最後はほぼ〈追放(笑)〉されたような状態になってしまったといってもいい。学校の体制はますますとんちんかんな方向へ向かっていく、とみています。周囲はおそらく面倒なことを言う、やらなくてもいい、聞きたくもないことばかり提案し、余計な不快をばらまく(笑)存在と見ているのですが、仮にそれがそうとして、私が本当に正しいのか、というと、それは、わからないわけです。私はもちろん、この消費社会、後期資本主義という段階にいたった日本社会での教育活動は、高度成長時代のそれとは根本的に方向をちがえなければいけない、と考えて行動してきました。あるいみ、それは、生徒には評価されてきたと思います。しかし、・・・。ここが、むずかしいところですね。ま、何十年か後に宮部久蔵のように扱われたらいいですけどね(笑)。私たちは事後的にしかその正確な判断はできません。そのような物語として、この『永遠の0』をご覧になればいいと思います。 . . . 本文を読む
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永遠の0 2 比較としての武装する市民

2015-08-11 22:08:56 | 映画・演劇・ドラマ
西洋の一つの形式として、ギリシア以来、自立する市民の形式として、武装する市民というものがあります。これは、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが強調する論点の一つです。武装し、闘争できない市民に市民権はないのです。こうした形式を背景にした映画のなんと多いことか!私は映画『ロッキー』もその潮流のなかの一つだと考えています。ロッキーは闘争する市民なのです。闘争することによって自立する市民という形式を生きているのです。しかし、その時に注目しなければいけないのは、彼は自分のためにたんに闘っているわけではないのです。恋人エイドリアンのために闘うのです。 . . . 本文を読む
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永遠の0 1 作為と自然

2015-08-09 18:43:25 | 映画・演劇・ドラマ
この映画の主人公宮部久蔵(岡田准一、上写真中央)は最後は特攻隊に志願し、妻子(井上真央、上写真左)を残しこの世を去るのです。宮部は大変優れたパイロットでした。その技術が神業であることが、映像に示されます。その宮部は、ゼロ戦の整備に慎重であり、機能に熟知しているのです。そして、戦争で勝つこと、それも自分がゼロ戦に乗って勝つ技術については、だれよりも熟知していたのです。  その宮部は死についてきわめて〈警戒を怠らない〉人間なのです。簡単に死ぬことを極端に恐れ、どうすれば死なないか、死なないための訓練を日々、普通の人には信じられないくらいに自らに課していたのです。周囲はその宮部を「臆病者」と呼ぶのです。映像は、その孫である佐伯 健太郎(三浦春馬、上写真右)が祖父の宮部を調べていく中で、臆病者としての宮部しか見出すことができず失望する姿を私たちに示すのです。その宮部は、なぜか最後に特攻という戦法にみずから参加してゆくのでした。宮部は、こう口癖のようにいっていたのです。自分が死んだところで、日本の軍隊にはどうということはない。何の痛手でもない。しかし、自分が死ぬことは、自分の家族にとっては悲しく、取り返しのつかないことなのだ。だから、自分は死ぬわけにはいかないのだ、と。なぜ、宮部がその特攻に自ら参加したのか、については私は書きません。ご自分で確認してください。 . . . 本文を読む
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この夏の読書 2 鈴木翔『教室内(スクール)カースト』

2015-08-06 23:36:36 | ブックレビュー
この本、鈴木翔著『教室内(スクール)カースト』(光文社新書)は、一度通読している。2012年12月に出版されているのだが、著者鈴木翔は当時、東京大学の大学院生、教育社会学専攻となっている。私がかねてから注目している本田由紀のゼミの所属のようである。本田が解説を書いている。 鈴木によればこのスクールカーストという用語は森口朗の『いじめの構造 (新潮新書)』のなかで展開されていた用語である。 カーストというのは、インドの階級制度の名前だが、いわば身分制度というのが彼らがこの言葉で言おうとしていることだ。学校には、明確な身分が存在している、それが彼らの主張だ。私も学校で教員をしていてその存在は間違いなく確認している。このカーストといじめを関連させることは容易に想像できる。 . . . 本文を読む
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安保法制の精神分析

2015-08-05 21:12:18 | ブックレビュー
安保法制がどうやら参議院も通過して成立するようだ。この間の流れをどのように理解するか、は立場によりさまざまであることはいうまでもない。私は精神分析を授業で取り扱う関係で、その立場からの分析に注目してきた。若手の論客として今注目される白井聡(上、写真)を取り上げる。私は今年に入りすぐ彼の『永続敗戦論――戦後日本の核心 (atプラス叢書04)』を通読した。なぜ、安倍晋三に代表される勢力がこの安保法制の制定に躍起になるのか。白井は言葉としては一言も精神分析などという表現は使っていないが、その精神分析を〈敗戦〉を「終戦」と呼び続ける心性に向けている。アメリカという国に対する負い目、コンプレックス。日本の保守とされる側、いや右、もっとはっきりと右翼とされる側がもつ、アメリカに対するコンプレックスを抑圧する一方で抑圧されたコンプレックスの補償を中国や韓国へと向けるという防衛機制だ。 . . . 本文を読む
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