高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

履修不足問題のモンタージュ 1 謝った人たちと謝られた人たち

2006-10-29 21:15:41 | 教育時事
■本文について、県教育委員会にあてて不謹慎な記述があるとの苦情をいただいたそうです。軽率なそして、本文の中心ではない部分の記述においてあらぬ誤解を招く表記をいたし、御不快の念を与えたことを謝罪し、関連箇所を訂正しました。なお、本文の趣旨そのものは教育の本筋にかんするものであり、このシリーズをフォローされることをのぞみます。 ■今回の履修不足問題は大変さまざまな要因が伏在しています。一回の文章で全部を網羅することは少し困難があります。すこしづつこの問題の破片をひろいあつめて考えていきたいと思います。■そこには、共通した認識があったということです。受験以外には学校の授業は興味がないということです。意味もない。受験というものがかろうじて関心をつなげていたのだ、という事実です。だから、学校側の履修不足のカリキュラムは彼らにとって好都合だったということです。それが証拠に、この卒業問題と補習問題が発覚しなかった前の世代の人たちでこの問題を問題にした人がいましたか?世界史を自分は習ってないといって問題にしましたか?この問題はたんにでは指導要領通りにやればいいという問題ではありません。 . . . 本文を読む
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いじめられっ子の形式

2006-10-28 23:33:43 | いじめの構造と変革
空気が読めず、したがって同調圧力に鈍感な人間が集団で、まったくだれも興味のない、自分だけの世界を展開しはじめたとき、つまり、そういう人間が自己主張を始めたとき、日本社会は、その存在に対して、周囲がまったく興味もなく、聞きたくもないということを伝達する正当なシステムを構築していません。そこで、ただひたすらまわりは我慢させられ、それが爆発していじめに発展していくことになるのです。 . . . 本文を読む
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空気を読めない人の表現の自由

2006-10-27 23:14:34 | Voice
中央高校で教員をやっていると結構この問題が重いと思わされるのが、空気が読めない人たちの発言なんですね。延々と始めるわけです。僕も正直困ることがあるんです。いや、僕がではなく、他の受講生があきらかに拒否反応を示し始めるわけです。 私たちはこの空気の読めない発言をどう考えるべきでしょうか。 . . . 本文を読む
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学年主任という存在

2006-10-26 23:09:08 | 教育時事
■福岡県筑前町の町立三輪中2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した問題で、自殺生徒の1年生のときの担任で、現学年主任の言動がいじめの原因となっていたことが判明した。コメントで教員志望の大学生さんから、どうしてそういう教員が学年主任に選任されてしまうのだろうか、という素朴なそしてきわめて重大な疑問が提起された。■そのことを考えるにあたって私たちは学校が身分制社会であるという現実を見なければいけないと思う。学校は近代社会ではないということだ。平等がないかわりに、身分間の収奪を基本とした互酬関係がある。身分制であるから、身分の平等など存在しない。なぜ、体罰が暴行罪にならないのか、かんがえてみればいい。■さて、学年主任はでは、どういう能力でつけるのか?何度も書いているのだが、少なくとも「学級経営」だの「教科指導」の内実ではない。そんなものに現場は興味がないのだ。 . . . 本文を読む
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空気を読めない人

2006-10-22 08:58:35 | Voice
■「現代社会」の授業で、「空気を読めない人」ということについて受講生のみなさんに、ハンドルネームで自由なコメントを投書していただきました。■じつは、この「空気が読めない」という要因が現在マスコミをにぎわせているいじめの重大な原因と木村は考えています。■ことし、実験的にこういう企画をしたいと思っているのです。下のみなさんのコメントに対して、投票をお願いし、1位の人に5点(仮定。以下同じ)差し上げます。それから、この人に投じた人にも1点さしあげます。もれなくテスト点に加えます。 ■応募は自由とします。 ■こうして下のコメントが寄せられました。どのコメントがよいと思われますか?あなたも投票してみてください。また、あなたのコメントも寄せてください。 . . . 本文を読む
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2006・受講生履修登録数

2006-10-21 21:36:53 | 授業・教科指導
静岡中央高校は、単位制高校です。つまり、HRが講座を選択した生徒で構成されます。ですから、固定したクラスはありません。そして、どのくらい選択してもらえたかは大変重要な指標となります。 . . . 本文を読む
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困った人たち 2006 を公募します

2006-10-16 22:32:12 | Voice
いじめを苦に中学生が自殺しました。その原因の一つが教員による〈いじめ〉でした。言葉による暴力だけでなく、実際体罰もしていたようです。そして、それをきっかけにして生徒間のいじめが激化したようです。これは事実ではありません。報道によるものです。今回はこのように教員のパワハラ が事件の原因となっているようです。本文を読まれるとわかりますが、しかし、学校に「その程度のこと」は十分あり得ます。これは私の実感です。その実感を裏付けるのが本文です。お読みになり、もし類似の情報があったら、あるいは関連のご意見がありましたら、お寄せください。 . . . 本文を読む
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教材研究・2006秋

2006-10-15 13:57:13 | 授業・教科指導
授業で本当にメッセージを送ろうとして授業をつくったらノイローゼになる。私はたえず教材と向かい合い最大のメッセージを送りたいと思う。しかし、現実はほとんどないのだ。何を伝えたいのか。本当に心のそこから伝えたいと思い、そうならば絶対生徒は聞くはずだという構成を探求するとき、そのためには、生徒を観察し、失敗し、何が失敗の原因なのかを極めなければいけないという帰結にたどり着くはずだ。それは野球選手がいかにして相手投手のボールを打つかという問いと格闘するのと同じだ。けっして容易な作業ではないはずではないか。演劇や落語の世界の労苦と異ならないはずだ。しかし、現実にはこの問いは現場にはないのだ。だが、そんなに簡単に授業はできるのだろうか?そんなに簡単にきかねえ生徒が悪いとなぜ言い切れるのか?なぜ、授業一つさえ大変だという立場に立てないのか? . . . 本文を読む
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AND経営ではなく、OR経営

2006-10-10 23:51:31 | 教育制度/行政
部活を持ち、あるいは、授業が終わって、そのまま夜回りをし、明け方仮眠をとり、そして講演。それでも授業が成立している。少なくとも食べられているという現実と大学を出たばかりの学生が講師として学校に入り、部活動ももち、授業ももち、クラスをもっても「それで何?」という現実がそこにはあるということなのです。 . . . 本文を読む
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単位制高校における生徒の授業評価の意味

2006-10-09 13:49:32 | 単位制システム革命
■みんなと協調して、という発想は単位制高校静岡中央高校のシステム原理ではありません。いかに、自分にあった集団を自分の手で選択するか、ここに静岡中央高校のシステム原理があるのです。■その静岡中央高校の授業集団、HR集団の集団形成の原理はトップダウンです。ここを考え違いをしてはいけません。トップダウンを極めること、ここにすべての脱出口をみるというのが、単位制高校なのです。■生徒はわがままでいいのです。わがままでなければいけないのです。なぜなら、わがままになればなるほど生徒のニーズが鮮明になるからなのです。そして、わがままになればなるほど自己責任を生徒は問われ、その分、選択を細やかにしなければならなくなるからなのです。 . . . 本文を読む
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