高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

ソクラテスの痛ましさ

2024-07-13 11:09:34 | 社会科学・哲学
無期で泣いた井上嘉浩 一審で死刑を求刑されたオウムの井上はかなり精神的に参っていたようである。警察に吐くだけ吐けば情状酌量の余地はあると、お定まりの取り調べの言質をもらったのかもしれない。いずれにしても、死刑という求刑を受けた彼は相当追いつめられたのだろうと思われる。ためしに今晩寝しなにお考えいただきたい。「あんた、死ねや」といわれ、それが実際にあなたを襲うのである。死刑とは、死刑の決行の予告が当 . . . 本文を読む
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マルクスの驚き

2022-03-22 20:31:09 | 社会科学・哲学
■私はコンテストについて、これまで論じてきました。コンテストがもっとも活性化する構造を、マルクスに問い尋ねてみたいと思います。それは、「互いに独立して、かつ依存する」という関係なのです。それは、互いが移動の自由をもって交通することだ、といってもよいのです。■それは、市場が典型となる場です。まさに、単位制高校です。学年制の閉じた構造にはこの試みはほとんど意味を失います。 . . . 本文を読む
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鏡の場所

2022-03-17 23:22:51 | 社会科学・哲学
みずからの鏡をもつこと。鏡に写る自分との究極の事後としての一致のための準備を事前に重ねること。そして突然の瞬間的な鏡との対面を通して、そのズレを確認し、みずから自身を確認しつづけること、ここに西洋は自律の根源をみるのである。カントの、まず理性による認識が先行する、そして、対象それ自体はついに認識されることはあり得ない、という理性批判もこうした構造をとらえて議論しているのである。 . . . 本文を読む
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デカルトの疑い 1 われ思う、ゆえにわれあり

2022-03-17 23:05:22 | 社会科学・哲学
私は、囲碁とか将棋をやります。いえ、スポーツでもいいんです。勝負事をしたとき、みなさんは、目をつぶって、決めるよりない、何がたしかなことかわからない、という局面があることは想像できるでしょうか。まさに、そういう局面を想定した時、デカルトのこの議論は、私たちに迫ってくるのです。そのとき、   「わからない、ということだけがたしかなこと」「分からない、と考えている自分がいることだけがたしかなこと」   という局面があるのです。そうです。無いものがあるのです。無いと考えている自分の存在はたしかだ、確かに存在する。確かなことだ!   . . . 本文を読む
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AND MORE (続編)

2013-08-22 10:20:49 | 社会科学・哲学
◆ちょっと調子に乗って続編です。今度は男性編です。◆ もちろん、彼らは、こうした外見のAND MOREを付加されながら、本業の〈それ〉をもっています。そのうえで、〈それ〉だけではない、何かを付加させているのです。◆上の写真の競泳背泳ぎの入江陵介選手は身長が178cmなので、それほど高身長とはいえませんが、まあ、しかし、あなたのまわりでゴロゴロいますか?178cm(笑)!◆前回載せた寺川綾選手は174cmですから、こちらは一見して違う!驚くと思いますよ、近くにいたら(笑)!これでヒールを履いてご覧なさい!ね!◆それに比べたら、入江選手は大きいとは言えませんが、ま、いろいろ趣味はあるかもしれませんが、イケメンですね。くわえて上の写真はあきらかに何かを付加されています(AND MORE)。 . . . 本文を読む
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AND MORE

2013-08-21 06:44:35 | 社会科学・哲学
上の写真はご存じ、競泳背泳ぎの寺川綾選手です。彼女のスイマーとしての能力はともかく、くわえてその美貌は何かを私たちに引き立たせることは認めなければなりません。下の写真はさらに何かが加わって寺川選手の魅力をさらに引き立たせようとしているのが分かります。その〈何か〉、こそ、私たちの社会では重要な価値の源泉となっています。ヘアメイク、水着の色やデザイン、何よりカメラマンの能力、照明、そして、本人への〈笑顔の指導〉・・・・つまり、寺川綾それ自体に私が思いつくだけで、これだけの〈付加=AND MORE〉が加わっていると考えられるわけです。いいですか?考えられる、ということに注目です。本当はどういう付加が加わっているか、ここが大切です。これが価値の源泉であり、さらにそれを外化させ、客観化させることこそが、そして、さらに、それを〈市場〉で評価させる力こそが私たち社会の〈労働能力〉なのです。寺川選手を見て、「ああきれい」とか「たいしたことはねえよ」などというところで止まっていては、いけません。寺川選手それ自体にせよ、好感度を与えるために、今日明日ではどうにもならない何かをしているのかもしれません。こうした能力を、教育社会学者の本田由紀は〈ハイパーメリトクラシー〉と呼びます。 . . . 本文を読む
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一流の勧め

2013-07-09 10:08:42 | 社会科学・哲学
 何でもそうだが、超一流の価値をそう簡単に素人が理解することはできない。私は将棋を趣味とするが羽生善治という天才の天才たるゆえんの手を理解することはできない。そのとき、その超一流のすごさを批評する存在が必要となる。超一流のすごさを理解することは簡単にはできないのだ。 . . . 本文を読む
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学校嫌いの脱構築――ホッブズとルソー

2012-08-25 08:17:45 | 社会科学・哲学
ルソーは単純に『人間不平等起源論』で「どうして授業料払って、毎日学校へ行って、毎日毎日、勉強嫌いになって、バカになって、それでもカネはらって、不良になっていっちゃうんだ」という疑問を提起したのだ。それは言われれば新鮮であり、なるほどと思うではないか。生徒にこれをいうと、今更のように、「なるほど」というのである。生存権というコンセプトはこの文脈から立ち上がる。 「バカがね、学校で勉強することの恥ずかしさ、先生にわかるかい?きついよ、まわりは体中でいうんだよ。「何?そんなこともわかんねえの?」って、それに耐えるんだよ。先生はホント、デキのいい生徒が好きだよね、そういうのって敏感にこっちに跳ね返ってくるのよ、それでも学校で勉強するってキツイのよ」   もちろん、通常この言説は先生の 「そんなにいやなら学校よしゃあいいじゃないか、だれも来てくれとは頼んではいない」という言説にうち消される。 . . . 本文を読む
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価値の意味試論

2012-02-20 10:37:58 | 社会科学・哲学
私たちは県に労働を買ってもらうことになる。当然、そこで買ってもらえるかどうか、という篩が存在する。採用試験だ。しかし、採用する側が、また、篩にかけられる。交換という篩にかけられる。それは、県民のニーズ、県民が自らの労働の対価として支払ってくれるかどうか、という対価ということになる。そこで、買ってもらえない、という事態が、愛されていない、という事態が不安として存在すること。ここに、価値の出現がかかっている。 . . . 本文を読む
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羽生のふるえ

2010-09-28 23:38:15 | 社会科学・哲学
さて、では、このことをふまえてなぜ、羽生が激しく震えるのか、を考えてみたいと思います。羽生ほどの天才棋士です。おそらく、読み切っているのです。こちらが勝っている、と。しかし、 一手先は不確定 なのです。一手先は、一手先なのです。つまり、勝ちの手前は、勝ちではないということなのです。それは、そこに、途方もない断絶がある、ということなのです。彼らをもってしても、勝ちだとは思うが、しかし、勝ちがみえた片方で、〈負け〉という絶壁を見ながら、つまり、ちょっとした見落としによるわずかな差としての〈勝ち〉しか見ることができないということなのです。これが、彼らの世界なのです。 . . . 本文を読む
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イチローの絶対的事前性

2010-09-26 21:35:39 | 社会科学・哲学
大学院を社会人で受験して、落ちまくった時、妻も見捨てたんです(笑)。いや、妻は真っ先だったかもしれない(笑)。生徒によくいうんです。「妻も見捨てました。でも、僕は僕だけは僕を見捨てはしないぞって自分に言ってやりました」って。1勝9999敗が正解かもしれないんですよね。それも、9999敗の後に1勝が来るっていう感じかな、そういう自分を支える哲学を、私はイチローに見たいですね。そういうことなんですよ、きっと。 . . . 本文を読む
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本を読む 1 古典を読む

2010-08-15 16:23:10 | 社会科学・哲学
意識化できていることなんて大したことではないのです。むしろ、意識化できないもの、それを、勇気をもって見つめること、そうした生活をしていなければ、実は、古典は何も語らないと私は考えています。  逆に言えば、そうした生き方全体が古典の読みで反映されていきます。生きているようにしか古典は語らない。鏡のようなものですね。おもしろいと古典を読む、すると、私たちは、古典のなかの世界をとおして、あらたな方向性を必ず示されます。それはね、不思議としか言いようがないんです。 . . . 本文を読む
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売りの手前

2009-07-27 21:26:29 | 社会科学・哲学
落語家は高座でウケるかどうかが命である。しかし、ウケるかどうかはしゃべってみないとわからない。仕込みの段階で話を作り、演出をし、練習をする。しかし、その段階でウケるかどうかはわからない。あくまで事後において落語家は受けたかどうかを知りうるのだ。そして、しかも噺は高座の本番の事前に作られ、演出され、練習される。この分離こそ、談志が恐れ、高座に遅れ、謝らされる構造である。 . . . 本文を読む
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イチローの絶対

2007-07-16 21:01:34 | 社会科学・哲学
この文章は、イチローがメジャーリーグで200本安打を記録したときに書いたものです。今回のオールスターのイチローの活躍をみても、ぜひ、もう一度この文章を世の中のみなさんに考えていただきたいとおもい、再掲しました。 . . . 本文を読む
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歴史学の意味 2 ポンティの時間

2007-02-24 14:47:28 | 社会科学・哲学
過去は今の私たちの身体のなかにあり、今現在の身体がそれを記憶している。私たちはそれを通常ほとんど無意識に限りなく近いところで形態化させつつ記憶しているのである。そして、その形態の地のうえで、未来という不定の方向へとむけて脱出していくのである。時間性の問題をそうした私たちの現在する身体性としての自分探しとして意味づけていく営みが歴史研究なのである。  . . . 本文を読む
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