高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

奴隷道徳とルサンチマン

2007-06-14 23:40:31 | 倫理の授業

ニーチェはいいます。私たちの生活には次のような抜きがたい道徳がある、と。

「嫌々(いやいや)生きることはいいことだ。自分のために生きてはいけない。自分を犠牲にして生きることがいいことなのだ。」

 こうした道徳をニーチェは奴隷道徳と呼んでいます。そして、この奴隷道徳を立ち上げ、維持しつづけてゆく主こそ弱者であり、その弱者の「ルサンチマン=恨み、ねたみ」なのだ、こうニーチェは言うのです。

 ちょっとわかりにくいかもしれません。
このまえ、中間テスト前ですけど、生徒さんが二人で会話をしているわけです。
「どうしよう。全然テスト勉強してない」
 と一人がいいます。そうするともう一人がすかさず
「私もだよぉ」
 とお返しをするわけです。このとき、こういう発言はタブーでしょ?
「私は実は完璧。多分、満点じゃないかしら」
 仮にそうだとしてもこの発言は許されないんです!してはいけないんじゃないですか?こういう場合には、いかに自分が勉強をする意志がないか、そして、勉強をしていないかを強調すること、その事実を示すこと、自分は勉強などする気もなく、いやいや学校へ来ており、こんなに勉強をする意志が無いのだと示すこと、これがマナー(?)じゃないですか?

 それにしても、どうしてこんなマナー=道徳があるのでしょうか?この問いにニーチェが答えるわけです。

 それはね、あなたが勉強なんかして、相手をおいてきぼりにしたら、相手がねたむからだよ。「よくも私をおいてきぼりにしたね」とうらむからだよ(この恨[うら]み、妬[ねた]みをニーチェは「ルサンチマン」といいます)。こう、ニーチェは言うのです。
 私はこんなにやる気が無く、ダメです、といわねばならない。こんなにやる気が無く、ダメだと示さなければいけない、私たちの生活にはこのような掟のようなものがあるのです。そして、その掟を支えるのは、私たちの中にある相手への足の引っ張りです。バカでいろ!自分を犠牲にして、成長するな!自分のために努力をするな!その努力をしていない証拠を見せろ、こういう見えない道徳(この道徳をニーチェは「奴隷道徳」と呼びます)が私たちにはないでしょうか?ニーチェはこう私たちに言うのです。この道徳を立ち上げているのは私たちの中にある、できる人間、力において優っている人間、自分をおいてきぼりにしかねない人間に対する恨みや妬みである。この妬みや恨みの期待にそわなければどのような攻撃があるかわからない、そこで、私たちは、この道徳に従わなければならない、どれだけ自分がこの道徳を守ろうとしているかを示さねばならない、こうニーチェは私たちの日常を斬ってみせるのです。

残念!

 僕は極論すると日本人の行動の動機はすべてルサンチマンといっても言い過ぎにはならないとさえ思えますね。何なら、あなたのしていることを全部分解してあげましょうか?


↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑   
よろしかったら、上の二つをクリックをしてください。ブログランキングにポイントが加算されます

コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« なぜ「授業態度」が評価の観... | トップ | 不良のチキンゲーム »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
職業訓練校での出来事 (yo-sui)
2006-12-01 20:00:42
建築関係の技能校に通っています。

今日テストがありました。建築士3級程度の技能テストです。

このテストのために1週間くらい前から、放課後に残り、のみを砥石で研ぎ、すみつけの道具を準備し、木造を加工する練習をしていました。すると、その姿を見かけた同じクラスの人が

「なにやってんの?」

「まじめだよなー」

「そんなにがんばらなくてもいいんじゃない?」

「このテストで、早くやったって、別に就職できるわけじゃないし、卒業には何にも影響ないわけだよな」

先生まで
「こわいくらい熱いねー」

だった。

この技能テストは、自分の実力を試すために、いい機会じゃないかと思った。なのに、みんな本気を出そうとしない。もしかして、自分の実力のなさが、ばれることを恐れているかのようにそんなことをいう。

それとか、自分が自分のために努力している姿を見せられると、その人たちは、自分を大事にしていないことを見せられるので、ねたみや憎しみの感情がその隙間を埋めるように言葉が発せられるようにも見えた。

テストの結果は、自分がトップだった。歓んでくれる人もいた。終わったあと、挨拶もしてくれない人もいた。普段話しかけてくれない人も話しかけてくれた。とてもうれしかった。

いい結果を残すと、普段お世話になっている人に心から挨拶ができる。自分の結果を出すために、必死になって練習する。それはみんな自分の時間になる。そして自分の技術も上達する。そうしていると、人をねたんだり、恨んだり憎んだりする暇がなくなる。

自分のルサンチマンに対する解釈が間違っていないなら、だけど、人のことをとやかく言っている人って、自分のために生きてないって思う。 つまり、憎む時間があるんだよ。

これからも、上を目指してがんばるよ!先生もがんばって!
返信する
ルサンチマンを超えることと他者 (Kimura Masaji)
2006-12-03 19:25:50
yo-suiさんへ
■書き込みありがとうございます。どうして、どうして、ルサンチマンの解釈としては至って正統派だと思いますね。■「自分の結果を出すために、必死になって練習する。それはみんな自分の時間になる。そして自分の技術も上達する。そうしていると、人をねたんだり、恨んだり憎んだりする暇がなくなる。」「人のことをとやかく言っている人って、自分のために生きてないって思う。 つまり、憎む時間があるんだよ。」というご指摘はそのとおりなんですね。なんで、自分のために生きてやれないのか?なんで人を巻き込まなければいられないのか?■ニーチェをボクはまだまだ読み切れていないのですが、私たちが、自分のために生きてやるということと、いくらやっても芽がでないという自分に対するあきらめをどう対していくのか?■「やさしさ」とか「共感」とか「同情」という感情をどう考えていけばいいのか?ニーチェはあまりそのことを書いていません、というかボクには読みとれないのです。ボクも群れるのはキライです。自分のために努力してやれって思います。それと、共感はどう関係するのか、表現しきれていません。


返信する
他人であったときのすばらしさ (yo-sui)
2006-12-08 21:09:23

知り合う前までは、相手を巻き込んだり、ねたんだり、恨んだり足を引っ張ったりしなかった。名前も住所も電話も知らない。
それで充分だったのに。


知り合いになるととたんに足の引っ張り合いだ。
陰口だ、いじめだ、仲間はずれだ。ホントにくだらない。

やさしさや、同情といった仮面をかぶって、足を引っ張る。
相手の立場や自分の立場がもっと明らかになって、立ち入ってはいけない領域をはっきりさせたい!

もう少し、いや、もっと自分のことに専念したい。


人ってひとりひとりもっとすばらしい価値がある。そう思いたい。
でも足を引っ張る人は必ずいる。だからその存在を完全にぬぐうことはできない。でもその引っ張りにどう対処していっていいのかわずらわしくてつらくなることがある。

先生はどのように対処されてこられたのですか?
返信する
ヒントをえました (yo-sui)
2006-12-10 10:45:00
先生のお書きになられた、
鏡の場所
を拝見させていただきました。
鏡に自分をたえず映し出して、鍛えなおします。
ありがとうございました。
また、何年かしたら、こちらに遊びに来ます。
それまで、さようなら。
返信する
ルサンチマンだらけです (Kimura Masaji)
2006-12-10 12:44:17
yo-suiさんへ
■お返事が遅れました。遅れた理由の一つが、難しいご質問だったということがありますね。■ご指摘のように「鏡の場所」もそうだし、きょう、エントリイした「マルクスの驚き」http://blog.goo.ne.jp/kmasaji/e/a10b0bb60c532dff1b87960c248ac55bもそうですけど、市場として開かれている世界には比較的ルサンチマンは入りにくいってことはありえますね。学校は、そういう意味では、不特定多数の人たちが、ある目的のために、自分の欲だけでつきあうということがないんですよ。ボクは「野ブタ。をプロデュース」についてこのブログでも書きましたhttp://blog.goo.ne.jp/kmasaji/e/ae6e888ea340c06802041d86e4272498が、あの物語ってある種のルサンチマンからの脱出を書いているんです。アダムスミスというイギリスの経済学者がいたんです。彼は本当に脳天気な世界を描いていて、こういっているんです。みんなが自分勝手で、そしてみんながハッピイって世界が絶対にあるんだって。私たちはそれを少しづつ考えていくよりないと思っていますね。ボクのホームページの自由掲示板http://www3.azaq.net/bbs/830/kimume/にも最新のコメントで「ちりめんぞうむ義」という匿名の方があなたと同様の問題を提起しています。ま、これで最後などといわず、ちょくちょくこのブログへきてください。来るのにそんなに手間がかからないでしょ(笑)?とりあえず、書き込みありがとうございます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

倫理の授業」カテゴリの最新記事