高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

中国史の方程式

2008-06-15 18:49:25 | 歴史社会学
中国史は、分裂の時代を持ちます。そして、そのなかで、さまざまな腐敗や、さまざまな悲劇が民衆を襲います。そのときに、統一王朝を樹立する英雄がその産声を上げるのです。そして、彼は 「義によって立ち」 「統一運動」 へと邁進していきます。そして、 皇帝として、新しい王朝を開くのです。その当初は、だれも社会主義的な平等思想を掲げて、戸籍の作成(地方の有力者から農地を取り上げ平等分配する)し、農地を農民に与えていくのです。しかし、同時に収奪が始まります。服属した地方の豪族は、官位を求めて、皇帝の官僚となります。その下の官吏を、中国史では科挙という試験で公募します。もちろん、地方の有力者の子弟にその地位は占められていくのです。東京大学法科学部みたいなものですね。こうして、地方の進学校へと受験勉強に励んで通うなどという図も、けっこう日本は取り入れているんですね。 しかし、やがて、王朝は堕落していきます。バカ殿が出現し、下半身が政治を左右していくことになったりします。地方の不平等が拡大します。やがて、統一王朝は分裂していくのです。そして、初めに戻ります。 . . . 本文を読む
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水戸黄門と必殺仕事人という形式

2008-06-14 19:23:41 | 歴史社会学
弱者は自らの武装能力で、強者を打ち倒すなどという物語は、このなかにはありません。弱者は、よき為政者にお助けいただくよりないのです。それが、果たせない場合、そのときにも、なんらかの救済をどなたかにしていただくのです。これが、これらの物語を貫く構造なのです。自分で自分を救え!こうしたメッセージはこの物語にはありません。悪代官を懲らしめていただく為政者の出現!それは、まさに、武士的階層なのです。彼らとは違う身分の、えらい方に救っていただくという形式がここにつらぬいています。 . . . 本文を読む
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世界史を授業する 3 ヨーロッパ史の論点

2008-05-03 23:51:49 | 歴史社会学
■ヨーロッパって何だといわれたら、やはり、ギリシアとローマをまずみることです。私は、たとえば、ブラッド・ピットが主演した「トロイ」をみるだけで、西洋世界はまず何なのかが見ることができると思いますね。■異文明との暴力的接触です。ここを問題にしたいと思いますね。異文明との接触をどう描くかです。■私たち日本人は異質な人間を排除します。しかし、それは、異質だから排除するのでしょうか?私は、微妙に違うように思っているのです。同質性の中で、自分たちの結束をたかめるために、そのために絶対的に、異質者を必要とする。その同質者の中の異質者こそが、結束のための重要な要素になるのではないか、と思っているのです。それは、西洋世界とは似ているようで、まったく異なるのではないだろうか? つまり日本の場合は、いっけん異質者のようにみえるけど、じつは、本質は同質者であって、その同質者のささいな差異を、ささいな差異の存在をどうしてもひつようとするのではないだろうか、つまり、同質者であるから、排除される。そして、排除される人間は、本質的に同質者ゆえに、排除をただ受け入れるよりないのではないか? それと、西洋のそれは同じだろうか?私は異なるように思えるのです。西洋はたえず、異質者とま向かうのです。そのうえで、彼らの原理は成り立っている。日本社会は違いますね。本当の異質者はこわがって触れようとしない(笑)。そんな感じがしますがね。 . . . 本文を読む
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世界史を授業する 2 マックス・ウェーバー 

2008-04-14 21:29:48 | 歴史社会学
■私は20代からずっとマックスウェーバーの作品を読んできました。きわめて微細な記述が多く、難解といえる著作が多いのですが、彼の思索の大きな幹を浮かび上がらせながら読んでいくと、大変個性的な歴史の形式が見えてきます。■今年は、支配という角度から世界史を展開します。そのときに、ウェーバーには、近代社会以前の支配の大きな類型として「家産制的支配」と呼ばれる支配と「封建制」と呼ばれる支配をあげるのです。 . . . 本文を読む
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世界史を授業する 1 授業の骨格

2008-04-13 21:55:38 | 歴史社会学
■私は今年、基本的に映画の世界を編集して組み立てるという作業を、道具としての教材の一つの中心に据えたいと考えています。いま、私は「編集し組み立てる」と書きました。そのまま、全部を垂れ流しで流すのではありません。まず、私が何度も見ている映画を、半分から3分の1程度に編集するのです。これを教材の基本に置きます。■ウェーバーはこのようにいいます。私たちが研究するとき、客観的であらなければいけない。しかし、その客観性は、ある視点を選び取ったうえでの客観性でしかない。私は、今年、 「支配」 という視点を選びます。 支配の歴史社会学 っていうことになりますかね . . . 本文を読む
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