過去は今の私たちの身体のなかにあり、今現在の身体がそれを記憶している。私たちはそれを通常ほとんど無意識に限りなく近いところで形態化させつつ記憶しているのである。そして、その形態の地のうえで、未来という不定の方向へとむけて脱出していくのである。時間性の問題をそうした私たちの現在する身体性としての自分探しとして意味づけていく営みが歴史研究なのである。
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サルトルは私たちの実存を〈欠如という穴〉として規定する。人間はいつも今、欠けたものをかかえている。そして、その欠けたものは残念ながら御本人さんはついに気づくことはできない。そしてたえずその〈欠如=穴〉の正体を探し、埋めようと努力している。私たちは今生きているが、これはこの穴埋め作業をしている。あそこではなくここに居り、ワープロを打っている。これは何かの穴埋め作業である。私たちはいつもこうした〈穴=欠如〉を抱いて放浪している、とサルトルは言うのである。その無いものを探し、満たされたものを映像として見つけ、満たそうと努力している。現在とはその努力の連続なのだというのである。人間はこの穴を現在する過去を見つめる中から見つけ、そのむこうにみえてくる未来としての目標を見いだす。そして、たえず欠けたものを埋めようとして生きている。こう、サルトルは人間を切って見せるのである。
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■教室で空気が読めない人が発言し始めるとき、その視線に注目すべきです。そこが実は、空気の読めない人の始まりだから。空気が読めない人の視線はただ一点に集中しているのです。■教員の授業そのものが「空気を読めない」ものだからです。教員の授業がたんなるナルシスで裸の王様よろしく本人だけいい気持ちでまったく周囲のうんざりを読んでいないからです。■いじめは一方的にいじめているようにみえるかもしれません。いじめられる方は弱い、いじめている方は集団で強い。それも繰り返しますが一方的だ。 ところが、そうではありません。何事も最初に〈もらう〉ことなく〈お返し〉はしないのです。あのひ弱ないじめられっ子の最初の〈先制攻撃〉こそがいじめを誘発したのです。「空気を読めない人間」もそうです。最初に先制攻撃をしているのです。サンドバックのように周囲は打たれつづけているのです。いえ、打たれ続けているという人間が自衛のために集団安全保障条約を結び、最後たまりかねて攻撃して行くのです。
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男子の射精に愛情はあるのか?木村は授業で、愛情なんぞあるわけがない、と結論づけました。愛しているからセックスしたいと思うのではない、出したいから愛するのだ、と。さて、あなたは、男性の射精をどのように認識していますか? . . . 本文を読む
「バカ」にとっての、資本主義社会日本における「夢=成功物語」とは?
僕にはこれが解けません。だから、僕の経済の授業はつまらないのです。なぜ、とけないのか?つまり、実は日本の社会は「出来レース」なんです。なのに、それをちゃんとしめさないからです。それなのに、みんなその事実をなんとなく知っているんです。〈バカの生殺し〉ですよ。これって。ひでえ話しです。
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僕はだから、こういう仮定をしてみればいいと思っているんですね。
「そんなに入りたければ全員希望者をいれちまえ」
そうすると、眉間に皺を寄せる人たちがでてくるわけです。何がなんでも、定員は少ないほうがいいのです。
「入りたい学校へ入れなかったという人は、じゃあ、合格できればいいの?」
こう問うときに、日本社会の、それも学校社会の本質が見えてくるのです。そうです。学校へと進学する動機がたんに差異をつける、順番をつけるだけのいみしかもっていないということです。そして、高校の設置者もそれ以外はかんがえていないということです。その意味でしか、学校はないのです。単に、中学生を輪っかに切る作業、それが高校進学の意味なのです。だから、現在、国家は全国の中学生に対して、選択の自由を提供などしていないとはいえないでしょうか?
農業やりたくて農業高校へ行くのでも、工業したくて工業高校へといくのではありません。そうです。みなさんは草しか食わない草食動物なんです。だから、さまざまな成功物語もないし、成功物語を保障する教育システムもないんです。商業高校でもじきに進学者がどうのこうの、というような、商業高校の甲斐のないことをはじめたがるのです。
エリート高校を選択した人たちは本当に選択したのか
これが怪しいと僕は思っているのです。
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