高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

多様を阻むもの 5 相対評価の神 続き

2012-08-29 22:25:58 | 学校の呪術
ところが相対評価を加味させていくと、いくらでもさじ加減できるのです。基準が明確ではないから。現在は、先ほどの教科の露骨な相対評価を除けば、絶対評価化しつつはあります。しかし、成績のなかでかならず、相対評価の時代にもっていた相対性を残すのです。いくらでもさじ加減ができる打ち出の小槌をふるえるようにするのです。それが、 授業態度 です。これ、まったく基準がありません。適当なんです。気にくわないとか、というレベルでいくらでも操作できます。先ほど言いましたが、相対評価では評価の全部の平均点がそろいます。したがって、指導力の差異がまったく表に出ないシステムです。ということはどういうことだ、というと、教師の多様な能力差など成績の上では表面化しないということです。それに決定的な追い打ちをかけるのが 「授業態度」 です。成績が相対化されることで、教員の能力差は一切表面化しません。そうです、そのとき教員は神になるのです。温情をたれ、はらいせにいくらでも成績操作できるのです。教員の恨みの復讐がはじまるのです。評価基準が不明であるとき、被評価者は一切の表現の自由を喪失します。多様な価値を表現する場を喪失するのです。 . . . 本文を読む
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多様を阻むもの 5 相対評価の神

2012-08-28 20:50:52 | 学校の呪術
この先生は、一人として聴講生の名前を知らなかったと思いますね。そして、成績の基準もわからない、みんな疑心暗鬼だったのです。疑心暗鬼ってこういうことか、と身にしみた(笑)と思いますね。そして、確実に私は、学んだのです。 成績の基準が全く不明であると、あらゆる表現の自由が剥奪される。 そんな世界に価値の多様が現れるわけもない!と。 . . . 本文を読む
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多様を阻むもの 4 指定されたコンビニ

2012-08-27 22:39:19 | 学校の呪術
「君はどこに住んでいるの?」 「三島市の**町です」 「あ、そう。で、何を買いたいんだっけ?」 「鮭のおにぎりです」 「あ、それじゃあ、コンビニだね。じゃあ、君セブンイレブンの**で買い物をすること」  っていわれたら、どうですか。 「よかった。セブンイレブンで!」 って思いますか(笑)。 この感想に違和感がない人は、そうとうイカれてるって(笑)思った方がいいですよ。 . . . 本文を読む
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多様を阻むもの 4 二手詰めを読まない

2012-08-26 23:05:24 | 学校の呪術
将棋ファンなら、私のタイトルをおかしいと思うはずです。「だって、二手で詰むことはないじゃん!」 その通りです。本当は私は三手詰めと書きたかったのです。でも、私が問題にしようとしている学校の教員の絶望は、二手さえ読めないのではなく、読まないのです。読まないということが平然と行われる世界の構造こそが、多様な価値を教員の世界へと出現させない根源なのです。 . . . 本文を読む
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学校嫌いの脱構築――ホッブズとルソー

2012-08-25 08:17:45 | 社会科学・哲学
ルソーは単純に『人間不平等起源論』で「どうして授業料払って、毎日学校へ行って、毎日毎日、勉強嫌いになって、バカになって、それでもカネはらって、不良になっていっちゃうんだ」という疑問を提起したのだ。それは言われれば新鮮であり、なるほどと思うではないか。生徒にこれをいうと、今更のように、「なるほど」というのである。生存権というコンセプトはこの文脈から立ち上がる。 「バカがね、学校で勉強することの恥ずかしさ、先生にわかるかい?きついよ、まわりは体中でいうんだよ。「何?そんなこともわかんねえの?」って、それに耐えるんだよ。先生はホント、デキのいい生徒が好きだよね、そういうのって敏感にこっちに跳ね返ってくるのよ、それでも学校で勉強するってキツイのよ」   もちろん、通常この言説は先生の 「そんなにいやなら学校よしゃあいいじゃないか、だれも来てくれとは頼んではいない」という言説にうち消される。 . . . 本文を読む
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殿様の落日

2012-08-24 21:38:18 | 学校の呪術
――生徒による授業評価についてはどうですか?最近よくいわれてますよね? 先生「ああいう甘やかしをするからいけないのです。生徒はつけあがるんです。私はこう生徒にいっています。いいか、評価用紙には自分の名前をちゃんと書け。そして、裏に自分の中間テストと期末テストの点数をきっちり書け。その上で自分をきっちり評価した上で、自分が何がいえるかを考えて教員の授業評価をしろ、ってね」 . . . 本文を読む
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ブックレビュー 児美川孝一著『若者はなぜ「就職」できなくなったのか?』

2012-08-22 22:56:22 | ブックレビュー
 著者、児美川孝一(上写真)は法政大学キャリアデザイン学部の教授です。この本の構成をかんたんに紹介しましょう。全部で4章からなる本です。最後の「ブックガイド」は、現在の「学校経由の就職」を考える上で基本となる文献をほぼ網羅しています。ぜひ、ご一読され、もしあなたが「学校経由の就職」の実態についてご存じなければ、この本の「ブックガイド」を是非ご活用いただければと思います。 さて、この本の . . . 本文を読む
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管理職任用

2012-08-21 22:15:53 | 教育制度/行政
静岡県では管理職任用試験は非公開です。任命権者に呼び出され、何を試験されるかわからない。しかも、日程も明確にしていません、それは何を意味するのでしょうか?管理職になるにあたって努力し、試験してもらう能力には、それも客観的能力には、興味もなく、示そうという意欲もない、ただ、お呼びを待っている人、でも、管理職にはなりたい、でも、それも自分から示すぶしつけはしない、これが管理職の資質のモンタージュです。 . . . 本文を読む
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多様を阻むもの 3 不明確な分業 (続き)

2012-08-18 21:37:14 | 学校の呪術
〈教科指導〉も〈教科外活動〉も〈分掌〉もどれ一つとして〈職務〉ではありません。これまで、そして現在も、教員の世界は〈職務評価〉をしてきていません。大体、どれが職務なのかという分轄の線がまったく見えないのです。何を評価しているのか、がわからない評価ってありますか?だから、多様な価値など存在しないのです。だって、評価対象が大体存在しないからです。評価できないのは、評価が多様で難しいからではないのです。評価対象がないからなのです。ないものは、評価できないでしょ?あるいは、それを、評価は自分で決められるからだ、といってもよいのです。いえ、正確には、自分できめても「それをだれもおかしいとはいわないから」だといった方がいいでしょう。したがって、多様な教員の価値という存在など現れようもないということです。 . . . 本文を読む
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多様を阻むもの 3 不明確な分業

2012-08-17 16:38:33 | 学校の呪術
この業界にいると、こういう局面によく直面します。生徒が言うのです。「**先生の教え方がいいね」この「**先生」は若い講師の方です。残念ながら採用試験には合格していませんでした。この厳しい採用事情で、採用試験は難関です。 若くて、いっしょうけんめい、その上生徒との精神的な距離が近いので、生徒目線の話題は生徒には大変受け入れやすいようなのです。何より勉強しています。ちなみにこの先生の専門は「世界史」です。 . . . 本文を読む
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多様を阻むもの 2 生徒は怠け者である、という言説 (続き)

2012-08-16 21:51:30 | 学校の呪術
さて、「いい先生」というのは、どうやってわかるのでしょうか。 単純な事実を並べましょう。まず、評価されるものが本人の外にあること。野球の選手は、打った結果、投げた結果が数値化されますね。そもそも、「投げる」「打つ」という行為が外に刻み出されます。その結果を評価する外部者がいる、ということです。 お店で売っている商品はいかがでしょう。「商品」は外に刻み出されたものです。それが顧客によって評価されるのです。その「結果」が多様であること、そして、その評価が多様であること、と、その人物が一人であること、不可分離な一人の人格であること、様々な価値の統合体であることとは別段矛盾はしません。大体、その結果にたいする外部の評価が存在することは自明です。さらにいうならば、その評価者こそが、価値を付与し、選択する、その評価に値する対価を支払うことなどが自明なこととしてあるのです。 . . . 本文を読む
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多様を阻むもの 2 生徒は怠け者である、という言説

2012-08-16 00:20:58 | 学校の呪術
職員室村の村民の会話の中でなにが不快かといって「生徒は勉強しない。怠けている」という言説くらい不快なものはないんですね。フロイトは、こういっています。意識は無意識を抑圧している、と。フロイトは、人間を神経症と考えています。つまり、こう考えましょう。「生徒は勉強しない。怠けている」という言説を吐いている意識は、あることがらを無意識へと抑圧するためにこの言説を吐いているのです。それが何なのか?あなたが公民の教員で、青年心理を授業で説明するのなら考えてみられると良いと思います。私の解釈は後ほどお話させていただきます。 問題は、こうです。実は、この「生徒は怠け者である」という言説こそ、多様な「いい先生」の評価者であるべき生徒の評価を排除する格好の口実となっているということです。 . . . 本文を読む
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多様を阻むもの 1 評価は多様だという言説

2012-08-14 20:25:06 | 学校の呪術
この評価が不明な理由としてよくとりあげられるのが、「評価は多様」という言説です。この言説を振りかざして、教員評価はできないとする言説があります。これは、現場感覚としてきわめておかしいのです。なぜ、って、多様だったら多様な価値が出現するはずだからです。多様な価値が多様な姿で現れるからです。 それから、価値は長い目でみなければいけないものがある、という言説もありますね。そのとおりです。それも、こう考えればいいのです。長い時間かけてこれが価値だと、いいつづけてこの部分の価値を測定します、と、管理職が評価すればいいのです。 価値は多様なはずだ、という言説には、価値を多様たらしめる努力が必要です。価値を多様たらしめる実践が必要となります。学校は、実は、まったくその多様を出現させる努力を行ってきていないのです。もう少し、教員個々ではなく制度の問題として言えば、多様な価値が出現するための環境がまったく教育現場には整備されてこなかったと言っても良いでしょう。 . . . 本文を読む
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2012夏の読書 3 ヘーゲルに挑め!

2012-08-12 11:55:05 | ブックレビュー
おそらく書物でヘーゲルとラカンくらい難解な書物はないでしょうね。私は、これまでヘーゲルの『精神現象学』に三度挑んできました。二度の夏休みを費やし、けっきょく、途中で投げ出しました。何が書いてあるのか????わからないのです。三度目、二ヶ月かけてこの本の半分ほどまでを読破し、ようやく意味がわかりました。 みなさんも、よかったら挑戦してみたらいかがでしょうか。肉体と同じように精神も鍛えなければいけません。持久力、集中力ともに必要です。 . . . 本文を読む
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教員評価の謎

2012-08-10 14:19:11 | 教育制度/行政
私がいう学校の内部というのは、こういうことです。 ここまでの文章の問いは、あくまで私が問いとしてこの文章で立てたものです。しかし、この問いは学校の現実の内部には存在しません。内部に入るとこの問いは一切ないのです。精神分析で言う〈無意識〉と考えていい。つまり、〈抑圧された無意識〉です。人事評価というのは、無意識だということです。意識して行うものではない、ということです。人事評価が無意識的行為だと言うこと、これをここでは確認しておきましょう。学校には外部がありません。外部がないので、無意識となるのです。 では、何のどのような意識が――そうは言っても、教員評価はしょせん人為ですから――人事評価制度を行っているのか?ここからが社会科学らしい問答になっていきますね。この問いにはもう少し記述を重ねてお答えしたいと思います。そうです。学校には、体系だった明確な人事考課システムはありません。明示できない人事考課システムが作動していると言うことです。だれもそれについては触れてはいけません。明るみにだしてはいけないのです。無意識(?)、DNA(?)、・・・・お好みの個人の意志を越えた意志を考えてみてください。校長や教育委員会の事務局の人間の個人としての意志ではないのです。それを、こうも言い換えていいでしょう。個人の「意志」による明確な基準による評価という行為が不能になるシステム、それが、現在のシステムだと言うことです。   . . . 本文を読む
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