他人という距離
私が教員をやっていて、何を気をつけているか、と言って距離くらい大事なものはないと考えています。距離は作るものであり、また作ることができないものです。作ることができないのにもかかわらず作らなければいけないものだ、ともいっていいものかもしれません。
作ってつくれるものではない、しかし、作らなければできない
こういっていいでしょう。たとえば、私は全員
「**さん」
と敬称として「さん」をつけます。これは成人した対等な人間関係では当たり前の呼び名です。私は、まちがっても下半分の名前を呼び捨てにはしません。大体、下半分の名前を呼ぶことはないに近いのです。それが距離感なのです。それだけで、すぐ近くにいるのに、
精神的には1メートルくらいの距離
をつくるのです。単位制高校はクラスが、授業の選択で成り立っています。したがって、他人度がただでさえ高いのです。教室で座席を自由に座ってもらうと、後ろのほうに座る方が多いのですが、それも、すでに距離をみずからが作っているわけです。私はこういいます。
そうです、みなさんとは、机を6個隔てなければ対することができない関係なのです。
この距離が、平等には絶対必要なのです。
近所付き合いの買い物
たとえば、町内会の隣組の付き合いをしている店で買い物をするとします。すると、たとえばそのお店がちょっと変なものを売ったとした時、あるいは本当はもっと負けてほしいとおもったとき、そこに
遠慮
がはさまり、けっきょく泣き寝入りと同じ結果になることはよくあります。また、隣組の人には安く売ってやる、といわれても、それ以上を要求することも、場合によっては要らないのに断ることもできない、などということもあるものです。
そうした、自由な交渉をさせないのも実は、
距離
のなせるわざなのです。ネットの販売だったらどうでしょう?ただただ値段だけを、そして、品物の品質だけをみて買うことができるのです。スーパーへ行って、大型量販店へ行って、値段と品質だけをみつめる買い物を私たちは自由に行うことができるはずです。
授業態度点
授業態度点は、つけることができません。通常不可能です。合理的な説明がつかないからです。
あの人とこの人の授業態度点をつけて、説明が可能か?
その日の終りにいっせいに生徒のみなさんが
私の授業態度点は?
といったときに、私は合理的な説明をつけて評価を下すことができません。不可能です。理由はかんたんで、授業態度点は、たんなる
主観
だからです。
先ほどの例を思い出してください。近所の付き合いで、値段を操作することは、隣組の買い物では可能です。
あんたには安く売ってやるよ
ということが可能なのです。それは、すでにある人間関係の距離感がそうさせるのです。なぜ、その人には500円安いのか、なぜ、私にはそうではないのか?
それは、気まぐれとしかいいようがありません。
ところが、山田電機でもコジマでもいってみてください。言えますか?店員が
「あなたには安くしますよ?」
大体根拠がないよねえ、そう言う。この安くしたり安くしなかったりできるのは、あいだに
距離
があるからです。そういう距離をもてば、そこに、非合理な優遇措置が可能となるのです。授業態度点も同様です。教員との微妙な距離感をたもてば、そこに、優遇措置としてのそれもいわれのない優遇が発生させることになるのです。そして、同時に、差別待遇される人間から抗議や抗弁する、能力を剥奪するのです。
そうです、公然とひいきや差別を可能にする制度こそが授業態度点なのです。教員の掌(たなごころ)のなかで、まるでお釈迦様の手のひらの上のように、自由に評価を運用することができる距離こそが、授業態度点なのです。
「**子」と呼び、親しくできる関係を築けば、一言も会話をかわすこともなく、ぶすっと黙っている生徒との間に
距離
が発生するのです。こうした差異が、公然とした差別行為へとつながり、しかも、その事実を隠ぺいする力を持つことになるのです。
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「講演者と聴衆」「先生と生徒」がストレスを感じない距離は3.5~7mらしいです。
授業で前の方に座る人が少ないのはやる気がないとかあんまり興味がないからだと思ってたけどストレスを感じるから自然とみんな後ろの方に行くのかな?と思いました。
大学は授業態度を評価に加えるってゆう先生もいたり授業態度どころかテストさえ受ければ授業に出なくてもいいってゆう先生もいてなんかおもしろいです。
大学生活はいかがですか?けっきょく、進路先はどうなったんですか?また、メールでおしえてください。僕は大学生活で何が大事かっていわれたら、この4年で何でもいいから本当に心の底から打ち込めるものを探すことだと思いますね。たかだか高校生が選択した大学の進路です。まちがった選択した可能性は高いんです。で、そのなかでいかに自分の本当の心の中から打ち込めるものを探すか、ということだと僕は思いますね。僕は45歳でもう一度大学生ではなく、大学院生を2年間持ちました。もちろん僕の場合はやりたいことが明確だったので、後は、時間との戦いでした。いかに、やりたいことをやりつくすか、あと、1年ほしかった!!!今回は書き込みありがとうございます。
訳あって匿名Proxyからの投稿ですがまあそんなことどうでもいいです
なんか暇なのでこれからマメにこのブログをチェックしようと思います
あといらぬお世話ですが過激な記事は
多くの人の反感を買います
【青学女准教授】 光市母子殺害事件の「被害者は1.5人」赤子は0.5カウント ★19 【基地外発言】
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1209051208/
このようなことにならない為にも
とりあえず顔写真の削除をお勧めします
さてどうしたものか