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高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

教員制度改革:「試用」3年~5年 新卒は准免許 自民検討

2013-04-14 15:26:03 | 教育時事
公立学校教員の免許・採用制度改革を検討している自民党案の概要が13日、分かった。教員希望者に「准免許」を与えて学校に配属、「数年の試用期間」を経た上で「本免許」を与える「インターン制度」を導入し、指導力向上を目指す。本免許を与えた教育委員会が任免権を持ち、責任を負う。現在の制度を抜本改革する内容で、党の教育再生実行本部や政府の教育再生実行会議の議論を経て制度設計に入る。指導力向上を目指して民主党政権時代に打ち出された「教員の修士レベル化」は事実上、凍結される見通しとなった。 . . . 本文を読む
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高等学校の先生の考古学 2 屈した恨み

2010-10-11 21:22:21 | 教育時事
その昔、学校の先生は、ま、大くくりに「いい生徒」だったのです。素行で問題があったわけではもちろんない、というのが通常です。そして、その先生の周りには、ずれたいわゆる不良がいたのです。彼、彼女は、彼らの様子をうかがい、迷惑だと思いながら、彼らのご機嫌をうかがい、生活をしていたのでした。したがって、不良たちに、先生たちは複雑な思いをもっています。怖い、しかし、できれば消えて欲しい、しかし、それはいえない、いや、むしろ、よいしょをしなければ下手をすると攻撃の対象になってしまう。攻撃の対象にならないように、自己主張を本当にいい加減で行わなければならない。 . . . 本文を読む
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高等学校の先生の考古学 1 受験の傷跡

2010-10-10 23:46:15 | 教育時事
 私は、受験命の学校こそ、単位制校化して、生徒に広範な選択権を与えるべきだ、と考えてきました。そして、講師も選択させるのです。そうしたとき、受験効率は、何倍にもアップするに違いありません。なぜなら、侮蔑を感情の基本に据えたのでは、成績が思わしくない生徒は、まちがいなく成長しないからです。侮蔑ではなく、共感から、できの悪いことで悩んでいる生徒への親身な関心から、しか、効率は生まれないだろうからです。受験、受験とアホのようにあおるだけの教師、ストレスだけを与える教師は、悩んでいる生徒たちには選択されないでしょう。現在は、学年制の学校では、まだまだ生徒の方が立場が弱いのです。こうした、閉じた状況には、教師の退行と固着は、ますます病像を深めます。受験は、刺激だ、とだけしか考えられない教員が落ちこぼしている、その原因は、〈退行による復讐〉というのが、私の仮説ですね。どうでしょうか? . . . 本文を読む
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授業が大切という外部

2007-03-24 22:39:30 | 教育時事
いい授業を提供する、というもっともな問題提起がどうやったらいやいや教員がするようになるのか?それは、運営委員会など意味がない、というところへと意識転換していかなければいけません。そのためには、生徒の評価という当たり前がもっとも重要な要素なのだ、という転換をする必要があるのです。そうです。教員評価はその限りで必要なのです。だれのための学校なのか?学校とは何をする場所なのか?私たちはそれが問えるシステムを見失っているのです。 . . . 本文を読む
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履修不足問題のモンタージュ 5 チャート式という教養

2006-11-26 00:59:12 | 教育時事
つまんねえんだよお、おめえの話は! これが実は平均値での生徒の悲鳴だ。そりゃあ、受験で使えるやつらはいいぜ、しかし、そこからはずれて、モティベーションがつかない人間には、もう教員の授業は聞く対象ではない。それは、あなたが大人だとしたら、どうぞ、「チャート式」を愛読書にしてみればいいのだ。 . . . 本文を読む
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いじめ自殺の構造 4 〈身分〉の出現

2006-11-20 21:08:58 | 教育時事
いじめ自殺の問題をたんなる家庭のしつけや、教師の個々の指導やいじめた個人の犯人探しというレベルの問題だけに終始したのではこの問題は解けません。そこには、社会構造がそうならしめるというレベルの社会の設計に関する問題が存在するということなのです。そういう意味においていじめは必然的に起きているのです。  いじめ問題ははからずも〈身分制社会〉の存在という問題を私たちに突きつけるのです。この〈身分制社会〉をどのように解体するか、ということが私たちがいじめをみるなかで生徒から問いかけられ、彼らに問いかける最終問題なのです。 . . . 本文を読む
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履修不足問題のモンタージュ 4 公共空間

2006-11-19 16:03:32 | 教育時事
■必履修科目とは、しょせん無意味な苦役だということです。国家の構成員である教員を食べさせるための苦役でしかないということです。国家が教育資格の付与権を独占している、その彼らには教育の内容にかんする意味や、実際の使用価値にかんする興味も関心も存在しない、だが、受益者にとっては資格を獲得する手段である。■国家が最低限度、これだけの到達度を示したら高校卒業という基準を明示し、あとはできるかぎり規制を緩和する、義務教育も、学校選択や教員選択の自由を拡大させる。こうした方向性のなかで最低限度をいかに公共的に担保していくか、これが真の地方自治なのです。現在は、教員というお侍さん、県教育委員会=教育長以下の役人のためのたんなる収奪機関という封建制が機能しているにすぎません。私の目には組合的な左翼も教育長をトップにした地方の教育行政の権力者も封建制的自治という点以上を出ているようには見えません。ここが変わらない限り、この履修問題は解決しません。意味のない教養科目の必履修と、受験以外に全く使用価値のない教科の存在は消えることがありません。 . . . 本文を読む
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いじめ自殺の構造 3 いじめと人権侵害

2006-11-17 23:59:01 | 教育時事
いじめは人権という角度から見れば100:0でいじめる側が不正なのだ、というのが公民科の教科書的見解です。しかし、現状では、なぜか人権侵害をしているいじめる側が正しく、いじめられる側が損害を被り、結局逆転し、100:0で自分が悪いことになるのです。  なぜ、この逆転が発生するのかを解かなければいけません。なぜ、100:0で悪い方が、堂々とし、正しいほうが小さくなり、人権の侵害を弾劾することもなく、泣き寝入ることになるのでしょうか?せいぜいどちらも悪いなどというところに落とし込まれることになるのでしょうか?このからくりを解かなければいけません。 . . . 本文を読む
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履修不足問題のモンタージュ 3 中央集権VS封建制

2006-11-11 23:53:07 | 教育時事
■はたして日本という国に中央集権の強烈な意志など存在するのだろうか。むしろ、逆なのではないか。猪瀬直樹の名言ですが、日本の戦前ファシズムは中央統制の結果ではなく、限りない中央統制の崩壊過程だった。こう考えなければ関東軍なんか説明できないでしょ?■これまで、私は、日本の国家権力は限りなく形式化し、封建制へと移行するということを示してきました。高度成長経済に適合的なシステムとしてほんの10年ほど機能したこのシステムは現在完全に破綻しています。財政的にケインズ的な循環を示さないたんなる寄生虫になってしまったということです。それでも、形式的に残っていくというこの国の法則はまだ持続しているのです。しかし、あきらかにグローバリズムを背景にした経済構造にはまったく不適合な教育システムであることだけは徐々に分かってきているのです。それが今回の問題のグラウンドセオリーを形成するように思えます。 . . . 本文を読む
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履修不足問題のモンタージュ 2 教養と受験

2006-11-03 23:36:04 | 教育時事
私は当初からこの問題には冷ややかでした。当事者は大変でしょう。しかし、この問題はどうあってもある必然的な動きしかしません。早速、森前総理(文教族のドン)の提言が具体化されました。「生徒は悪くない。穏便に」という前総理の意を受けたかのように文部科学省は3分の1規定を適用させ、70時間ではなく50時間の履修を義務づけました。今後の予測をします。  来年度は、形通りの学習指導要領通りの授業をやります。そして、二年目から「喉元すぎれば」なんとやらが始まります。そうです。読替の開始です。そして、数年後、学習指導要領通りに学習指導要領を行いながらおこなっていないという現状が復帰します。 . . . 本文を読む
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履修不足問題のモンタージュ 1 謝った人たちと謝られた人たち

2006-10-29 21:15:41 | 教育時事
■本文について、県教育委員会にあてて不謹慎な記述があるとの苦情をいただいたそうです。軽率なそして、本文の中心ではない部分の記述においてあらぬ誤解を招く表記をいたし、御不快の念を与えたことを謝罪し、関連箇所を訂正しました。なお、本文の趣旨そのものは教育の本筋にかんするものであり、このシリーズをフォローされることをのぞみます。 ■今回の履修不足問題は大変さまざまな要因が伏在しています。一回の文章で全部を網羅することは少し困難があります。すこしづつこの問題の破片をひろいあつめて考えていきたいと思います。■そこには、共通した認識があったということです。受験以外には学校の授業は興味がないということです。意味もない。受験というものがかろうじて関心をつなげていたのだ、という事実です。だから、学校側の履修不足のカリキュラムは彼らにとって好都合だったということです。それが証拠に、この卒業問題と補習問題が発覚しなかった前の世代の人たちでこの問題を問題にした人がいましたか?世界史を自分は習ってないといって問題にしましたか?この問題はたんにでは指導要領通りにやればいいという問題ではありません。 . . . 本文を読む
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学年主任という存在

2006-10-26 23:09:08 | 教育時事
■福岡県筑前町の町立三輪中2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した問題で、自殺生徒の1年生のときの担任で、現学年主任の言動がいじめの原因となっていたことが判明した。コメントで教員志望の大学生さんから、どうしてそういう教員が学年主任に選任されてしまうのだろうか、という素朴なそしてきわめて重大な疑問が提起された。■そのことを考えるにあたって私たちは学校が身分制社会であるという現実を見なければいけないと思う。学校は近代社会ではないということだ。平等がないかわりに、身分間の収奪を基本とした互酬関係がある。身分制であるから、身分の平等など存在しない。なぜ、体罰が暴行罪にならないのか、かんがえてみればいい。■さて、学年主任はでは、どういう能力でつけるのか?何度も書いているのだが、少なくとも「学級経営」だの「教科指導」の内実ではない。そんなものに現場は興味がないのだ。 . . . 本文を読む
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愛国心と授業態度

2006-06-03 21:48:16 | 教育時事
愛国心を評価していたという記事が毎日新聞に掲載されていた。普通の反応としては、そんなものを評価できるわけがないだろう、となる。私はこれが普通だと思う。しかし、それでは、素人だな、とも思うのだ。もちろん、しかし、できるのだ、ということをいうのも、正解ではない。教育現場に即していうならば、それは、空気だというのが正解なのだ。 . . . 本文を読む
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駒大苫小牧高校の体罰事件

2005-08-27 23:37:27 | 教育時事
体罰が刑事事件にならないということ 今回の駒大苫小牧高校の部長による体罰事件を見ていると、その焦点が、優勝の取り消し問題に集中していることは、誰も疑わない。大体、誰も、体罰があることを疑わないでしょ?野球部で、「うちは絶対体罰なんかありません」などという学校は手を挙げてみな?というところだ。ばかばかしくてそんなことをいう人はいないはずだ。大体だ、そんなことをいえば、阪神の元監督というより、元中日ド . . . 本文を読む
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