はっきりいうと、私の見立てでは、教員は研修する民度にない。本を読む、それも、系統的に、本格的に読むということができない。それは、そういう習慣がないからです。本を読む、という行為はそう簡単なことではありません。現在、高等学校でも管理職は研修を夏休みにとることをよく思っていません。「遊んでる」なんです。それは、私がみてきた30年の教員生活で、否定できない。その問題はまた別に論じます。しかしね、他にいつきちんとした勉強ができるのです。勉強をしないでどうして、良い授業ができるのです。私は、県民の皆さんにこのご理解をいただく努力をまだわれわれは十分にしていないと思っています。それと、なんといっても、それにみあう、授業に対する満足度を私たちが県民の皆さんにお尋ねしていません。ここでは、そうした問題があることをもちろん含みながら、もし、この夏研修を一生懸命したい、読書をしたい、と考えている人への、私のメッセージです。 . . . 本文を読む
◆7月20日土曜日に、三島オレンジ村へ行ってきました。私は、アコースティックのフォークギターをちょっとだけ弾きます。この写真は、前の学校の卒業式の時に70年代フォークの代表曲「なごり雪」と「乾杯」を弾きがったったときの写真です。◆で、総合学習で、「ライブハウス」を作ろうということを提案し、生徒のみなさんも「いいねえ」というので、少し音響照明を学ぼうと、三島市内にあるオレンジ村という楽器屋さんへいってきました。 . . . 本文を読む
いま、私が勤務する三島長陵高校では総合学習をつくるという作業をしています。これ、おそらく画期的な作業なんです。ところで、現在、総合学習は高等学校ではきわめて軽視されている、少なくとも現場ではほとんどその意義を評価されていないんです。その重要性や、その難しさ、そして、何より生徒の皆さんにとっての意義が残念なくらい現場では理解されていません。 . . . 本文を読む
何でもそうだが、超一流の価値をそう簡単に素人が理解することはできない。私は将棋を趣味とするが羽生善治という天才の天才たるゆえんの手を理解することはできない。そのとき、その超一流のすごさを批評する存在が必要となる。超一流のすごさを理解することは簡単にはできないのだ。 . . . 本文を読む
◆夏休みはとりあえず、明日の授業の準備から解放される季節です。つまり、授業の準備という目の前の脅迫から一応解放されます。そして、この一ヶ月を除いたら、まとめて大きな本を読むことが学校という場所で仕事をしているとできません。きわめて重要な一ヶ月なのです。◆この夏の読書の中心はユダヤ・キリスト教です。あらゆる意味でヨーロッパの思想の源流の一つであるユダヤ・キリスト教ですが、私のなかでは、「いじめ」というテーマのなかでユダヤ・キリスト教を使いたいというテーマがあります。◆ユダヤ・キリスト教にはいくつもの不可解な論理の飛躍があります。大体、イエスが処刑されたことが「贖い」って意味が私には今ひとつわからないのです。 . . . 本文を読む