この8月6日に中教審が答申を文科相に提出しました。内容は大検を改組して「高等学校卒業程度認定試験」というものを設定するというのです。これを受けて、学校長判断で、学校へと行けなかったり、出席時数が足りないといったことで単位を落とした生徒については、この認定試験を単位として認定することができるとしているのです。僕の所属する静岡中央高校などはこれを全面解禁してしまえばいいと僕は思っていました。だから、卒 . . . 本文を読む
匿名さんからのご意見 匿名さんから、次のような書き込みをいただきました。今回は、その内の後半部分について私の見解を述べたいと思います。 「私が考えるに、22歳・23歳の大学出たての若造が「先生」と呼ばれ教員採用されることに問題があると思います。たしか木村さんも大学出てすぐに教員になられてますよね?つまり教員の世界しか知らないんですよね?一般企業に勤めたことが無く教職しか知らない人間がどんな教育が . . . 本文を読む
匿名さんからのご意見 匿名さんから、次のような書き込みをいただきました。今回は、その内の前半部分について私の見解を述べたいと思います。 「私が考えるに、22歳・23歳の大学出たての若造が「先生」と呼ばれ教員採用されることに問題があると思います。たしか木村さんも大学出てすぐに教員になられてますよね?つまり教員の世界しか知らないんですよね?一般企業に勤めたことが無く教職しか知らない人間がどんな教育が . . . 本文を読む
マルクスが対象的自然存在ということをいいます。人間は外部の対象に自分を対象化し、それを確認することで自己を再生産していくというのです。その対象への自己の刻みだしを実感できないという問題が学校の教員に根深く存在しているのです。 . . . 本文を読む
結論からいえば、現在、教員のFA制度などできません。その決定的な理由を書いてみたいと思います。僕にとってFA制度で印象的なのは、野球で当時西武の清原が巨人軍へと移籍したときです。そのとき、清原は彼の師と仰いでいた落合を巨人軍から事実上追放したのです。4番打者は二人いらない、という理由で。この事実が象徴するFA制度の刺客としての側面をみたとき、とうていFA制度など可能なわけがないということがわかります。 . . . 本文を読む
ふつう、靴が壊れたといって、かばん屋へ修理にゆくでしょうか。似たようなもんじゃねえか、といって。ま、修理などほとんどなくなってしまった昨今かもしれませんが、どうなのでしょうか。厳密に言えば、靴とかばんはその必要が異なります。専門ということであれば、微妙な技術が異なるのでしょうか?
私は、家庭科の教員が化学をおしえ、翌年数学を教える姿を夜間定時制でみました。中学校はもっとひどいとききます。小学校に専門はあるのでしょうか?
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現在、学校の教員の世界では、イチロー、松井と甲子園のスラッガー、そして、木村というランクを付ける一切の基準も、評価対象も存在しないということです。
その上での
「自己評価!」
です。それはね、こういうことです。
ピッチャーが投げたボールを打った!そして、打球のゆくえも、打球のフォームも確認しないで、ましてやヒットだったのか、ボテボテのゴロだったのかも確認しないで、コーチと監督は本人に聞くんです。
「どうだった?」
そして本人、答えるのです。
「まずまず」
「最高!」
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先日、ウェアハウスさんから次のようなお尋ねをいただきました。以下、私との対話を転載しました。「木村さんのコメントの中に「野球部の顧問をやってどうやってまともな「現代社会」の授業ができるのだ。」とありましたので質問します。では、木村さんが部活動の顧問をお願いされたらどうしますか?生徒の中には部活命だって子もいますよね。」
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県教育委員会は静岡県でも来年から教員評価を行うといっています。しかし、本人がまじめに、けなげに、意欲をもって勤務したとき、それが不適切であるという指摘をする基準を殆ど学校社会はもっていないということです。対等に、意見を交換するしかなく、それが不適切であるという言明を本人が何が何でも受け容れないとき、職務命令として従わせるということができないのです。
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教員の評価制度を走らすと県はいっていますが、広く日本社会といってよいかどうかわかりませんが、フーコーが『性の歴史』で書いたような精神病に対する西洋の分類の網の目を少なくとも学校は殆どもっていません。場合によっては夜の闇に隠し、辺地に隠してしまうのです。そして、繰り返します。生徒が被害者となっていくのです。 . . . 本文を読む
そして、気がつくと、既存の高校の教員の大量の失業者がでていたのである。何の専門もなく、何でもやる何の蓄積もない教員が大量に解雇されていったのだ。そして、もっと恐ろしいことが起きていた。必履修を教える教員の給料は年収200万円台におちていったのである。労働の規制緩和のために、この程度の能力は腐るほど折り、もっと大事なのは、若年層が人気だった。きれいなお姉さん、熱心なおにいさんが受けたのだ。既存の高校の武士の商法が身に付いた教員はまったく学校には適さなかったのだ。 . . . 本文を読む
学校は生徒の真水の学力にもあるべき学力像にも無関心です。それは、根幹となる人事が中央統制である以上避けられないのです。この生徒不在という根幹の問題が解決されるためには、同義反復のようですが、生徒が存在する評価システムにするよりないのです。そうしたとき、県単位で中央統制で人事をするという不可解が不可解として浮上することになるのです。では、単に校長に人事権を与えればいいという問題になるのでしょうか?ここにきめ細かい解析が必要なのです。
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現在は、
同一労働で、同一賃金
を払っていません。そういう差別選別をしたうえで、年寄りの法外な給料を維持しているのです。年寄りの授業やその他の活動の評価を一切せずにです。
しかし、それは、持続不能です。
ゆくも戻るも地獄です。
グローバリズムという妖怪を研究するのです。それ以外にない。何もしないでたださぼっていたらただ自分のお墓を掘るだけです。
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現在学期中であり、授業の準備等でじっくりと論評することができない。また、この問題はじっくりととりあげたいが、この制度の帰趨は注目すべきである。
私たちの学校は1955年体制とも、高度成長モデルともいえる形式から業態転換を一度として果たしてきていない。そして、財政的な問題から、ゆでガエルのように、その死を迎えようとしている。
詳細は、朝日新聞のサイトをご覧いただきたいが、文部科学省がこの制度を本気で実施したとしたら大きなガラポンが教育現場に起きることはまちがいない。 . . . 本文を読む
私の総合学習の成績優良者が教員を訪れ、この授業評価の実施を迫ると、教員の対応がしどろもどろになっていることが報告されることがある。なぜ、参加しないのですか、と理性的な対応を求め、理由の説明を理詰めに求めていく能力があると、そこに、教員の側の拒否の非論理が顔を覗かせるのだ。そして、最後に、頭のいい彼らは、
「成績による報復」を恐れる。そこに権力の匂いを彼らは敏感にかぎつける。悲しい現実だ。私は教員 . . . 本文を読む