以下の文章は、今回のコンテストにエントリイされた文章です。そのなかから、空気を読めない人間を受け入れることはできないという立場の人の見解をランダムにあげてみました。
- 認めるか認めないかは十人十色で
個人の自由だが…
漏レは絶対「非」ダナ。
常識のあるKYであれば文句はないんだが………
よくいるだろ?
電車内とか授業中とかに騒いでるバカが。
ただ「空気が読めない」んだったら許すお(⌒・ω・⌒)。
だが、「空気が読めない」くせに騒いでる馬鹿は許せん。(;`皿´)
ハッキリ言って邪魔だし迷惑窮まりないからな(-_-)。
1番質が悪いのは
「KYDQN」だな。
知識が乏しいくせに知ったかぶりのような態度を取って授業を聞かんからな(-_-メ)。
授業中や電車内じゃなきゃならないような話なら……
まぁ許してやろう( ̄▽ ̄)。
だがな……
授業中や電車内以外でも話せる事を話してるなら………
当然の如く許さないお(`Δ´)。
KYはTPOを弁えないから叩かれんだよwwwww叩かれたくなかったらTPOを弁えろwwwwww - とりあえず、精神科直行です…
自分を見失ってるのか、周りが見えてないですね…
KYさん、アナタは人の気持ちを考えたこと、ありますか?
KYって言うのは、人に迷惑しかかけれない…最低な人間です。 - 早く自分がKYって気付くように、自分を磨いて下さい、そうすればKYは居なくなると思います、
僕は、KYを許しません、だからKYは嫌いです。 - 他人に迷惑を掛けないように気を付ける事は、最低限のマナーのひとつだ。
ここは義務教育の場ではない。やる気がないなら消えるべき。消えるのも時間の問題だと思いたい。
自分達のどうでもいい、今必要のない話題で、数十人の今必要な時間を潰していることに気付いて欲しい。
そんな奴等にさえも気を使っている人が世の中に存在する事に、気付いて欲しい。
自分達がどうなろうと勝手だが、周りを巻き込むのは迷惑以外の何物でもない。
空気を読めない人間を排除する社会
ご覧になっていただければお分かりの通り、いずれも、空気を読めない人間に対して手厳しい批判を展開しています。
さて、この意見に対して、空気を読めない人を擁護する立場の人たちのなかには、このような反論を展開しているかたがいらっしゃいます。
- 確かに「こいつうぜー…死ねやこら」
って思う時あるけど、ぶっちゃけ時と場合によると思うんよ
せやから、提も非もないんとちゃう?
変な話し、KYやない人なんておるんか?
それにKYと常識ねぇ奴とはちゃうやろ
とりあえずどっちか(提、非)なんて決める世の中ならよっぽど狭い世の中やな - そうゆう人を受け入れられない子供は「非」って言うね
大人になろーぜw
俺は認める
このように、自分も言えた義理ではない、どこで、どう空気が読めていないかわかったものではないのではないか、という意見ですね。つまり、空気が読めない人間というレッテルを貼ることによるお互いの自由な意見の封殺が起こる。そのような社会は、はたして健全なの?という反問ですね。これが一つの意見群として存在します。
権力闘争としての「空気を読めない人間」
しかし、もっともっと本質に迫ると私が考えている意見がこういうものです。その意見は極めて単純です。
空気を読めない人間を非難する人間は、実際にその場でいっているのか?
こういうところでぐじゅぐじゅいっているんだったら、じかに言えばいいじゃないか?
そういうところでいえない、しかも許せないという器の小さい奴が空気を読めない人間を非難するのだ!
さて、この反論をどのように受け止めるのでしょうか?
もちろん、空気を読めない人間を擁護するこの意見に挑発された時、そこには、モロに権力と権力が衝突することになることは目に見えています。そこで、じつは、迷惑だと考えている側が、その主張を自己規制しているのです。
さて、この反論に応えて、空気を読めない側に、迷惑だと考えている側が、規制を求めたとき、そこに、何が想定されているから、通常、迷惑だと考えている側が自己規制してしまっているのでしょうか?そのときに、空気を読めない側がどのような権力行使を行うと、想定されているのでしょうか?そこにおける権力闘争の現実、予想される権力闘争の現実、これはなんなのでしょうか?
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
よろしかったら、上の二つをクリックをしてください。ブログランキングにポイントが加算されます
・セクハラしまくりの教師
・指導力ゼロのおばちゃん教師
・暴力や威圧することでしか制圧できない教師
・自分の授業が一番だってほざいてる教師
などなど多数ありすぎて書ききれません。なぜこんなKYな教師が難関な教員採用試験を通って、肩を大きく振って椅子にふんぞり返って教師やってんですかね。
僕はKYの吹き溜まりが教師だと思います。
おっしゃることはよくわかります。いま、授業の準備に忙殺されています。よろしかったら、私の名前のところをクリックしていただければ幸いです。このたびは、コメントありがとうございました。