■少し前にハラナ・タカマサさんから私の「再論 専門軽視 5 産業資本主義から消費資本主義へ」へのトラックバックをいただいた。この文章はその文章への再トラックバックの文章です。■私が書きたかったのは、その教員が生徒=製品へと対象化する内実です。それは、もちろんある種の能力であることには間違いがありません。その能力を対象化し、その対価を私たちは給料として頂戴しているわけです。その対象化している〈能力〉こそ、「産業資本主義のエトス」ではないか、というのが私が論じたかった問題です。その対象化する能力の中で中心をいまだに占めているのが、工場労働の人間関係、その人間関係を維持する上でのエトス(倫理)ですね。もちろん、エトスだけではありません。しかし、その他の能力もあくまで工場労働を円滑に運営する上での能力ではないのか。私はいまだに正確に受験能力を工場労働のエトスと連関させることができませんが、しかし、与えられたマニュアルをより正確に、より早く身に着け、流れ作業をより早く、より正確に果たす。より正確にマニュアルのパターンを習得し、暗記し、新しい事態にそれを適用する能力、いわば事務能力こそが能力である。それは、ある組織を前提とし、そのなかでマニュアルを想定し、整然とした工程の流れを想定し、上司を想定するのです。そうした基本を身につけることが長らく学校が教育する内実だったのではないでしょうか?
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私は、よくこういっている。私程度の教科指導能力を持っている教員は県はおろか、全国を探してもいないよ、と。
おそろしいのは、これを真に受ける人がときどきでてくる(笑)ということだ。
教員評価などこの程度のものである。
ないのだ。何がか?
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先日、職員会議が開かれ、最後に、管理職から、教員評価制度について次のような発言があった。何も、秘密にする何ものもないので、ここで取り上げる。それは、こういう発言である。今年から教員評価制度は試行から実施へと移行する。しかし、教員評価制度が給与へと影響を与えることは、当分の間ない。この言葉をきいて、普通の人は「脳死」状態である。そう「脳死」だ。私くらいだろう、腹をかかえて大笑いしていたのは!それは、 . . . 本文を読む
今年の私の「倫理」の授業の最大のネタの一つに
「まなざしの声」
があります。
みなさんも経験がありませんか?
授業中に、みんなが当然知っているはずのことを質問されて思いっきりとんちんかんな答えをしてしまった、という経験!そのときに、どこからともなく飛んでくる、軽蔑のまなざしの声
「バカじゃねえ!」
まなざしの声ははたして存在するのか?
それと指し示すことができるのか?
考えてみましょう。
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高校生のみなさんにとって、いわゆる社会科のなかで、唯一、中学以前に学習していない科目が
「倫理」
という科目です。「倫理」は公民科の科目です。
で、そういうことで、みなさん、
「倫理」って何?
って思う、と思うのです。
私の所属する高校は単位制高校です。
単位制高校では、この「倫理」は選択必修科目です。
公民科の教員としては、ぜひ、選んでもらいたいと思うのです。
そこで、「倫理」については、コマーシャルしたい、とつねづね思っているのです。
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単位制高校には、校則がありません。残念ながら、この無校則という原則を理解している教員はほとんど皆無です。
私はそれを売りにすればいいのに、と、思います。教育の世界にもおそらく競争原理が否応なく入るでしょう。そのときに、単位制高校が、差別化できる最大の売りの一つが
校則がない、
という原理をもっていることです。
もちろん、そういう学校へ自分の子弟をやりたくない、という方は選べばよいのです。そうです。単位制へいかせるか、どうかは、究極の選択を行うことになるのです。
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