龍馬は、土佐藩、いまの高知県の出身です。 土佐藩は山内家が藩主を務めている藩ですが、じつは、この土佐藩は、もともとは長宗我部家が支配していました。ところが、長宗我部家は、天下分け目の関ヶ原の決戦で、西軍つまり豊臣方につき、敗北したのです。そして、徳川家に征服されたのでした。山内一豊という名前をきいたことがあるでしょうか。その山内家が土佐を支配し、領主となったのでした。 これくらい、身分の発生を明らかに示すものはないと思いますね。 . . . 本文を読む
フルーツバスケットってありますよね。ま、かんたんに言うと、椅子取りゲームです。
椅子の数は人間の数より少ない。だれかがあぶれる。さあ、ゲーム開始!
このときの、何ともいえないドキドキは、もちろん、自分がいつ、どのタイミングで椅子を失うかがわからないからですよね。
疑心暗鬼
ということばがあります。
ルールも読めない。
基準も分からない。
しかし、自分にふりかかってくる。
こいう状況は精神衛生上大変よろしくないと思います。
しかし、実は、これが普通の学年制のHRの集団での生活なのではないでしょうか?
手をつないで廊下を歩く、という異常はこの状況から発生するのです。
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このウチに対立するのが「ソト」です。ここで重要な指摘をしたいと思います。
「ウチ」というのは、上の図をみてもわかるように、ソトがあるから、存在します。ソトの存在がなければ、ウチは緊張をもって存在しないのです。もう少しいうと、ソトという存在、ソトという構造があるから、ウチがきわめて緊張度の高いものとして意識に映るのです。
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無学年無学級制の売りは、いじめがない、というより、いじめが発生しにくい仕組み、構造である、ということになっています。特定の人と一緒の生活をすることがない、そういうストレスからは解放されている、ということになっています。で、しかし、実際はどうなのでしょうか?私が関係した生徒さんたちは、静岡中央高校と三島長陵高校です。もちろん、教職員の方でもけっこうです。実情を報告していただけるとありがたいです。書き . . . 本文を読む
日本社会では、22歳で大学出、なら、大学出として処遇されます。能力なんて関係なく、大学出という身分を保障されるのです。しかし、30では意味がありません。40ではもっと意味がありません。50では、問題外です。人間じゃないんです。20代だって、25歳過ぎたらどうですかね。大学院でたことを日本社会はまるで評価しません。それは、意味のない学問をして、年だけ食って、高額な給料をださなければいけないからです。だったら、20代前半の処女がいいんです。そして、正規労働からはずれたら、もう、人間ではありません。厳然とした身分が存在するのです。実は、龍馬伝の切実さはここにあります。 . . . 本文を読む
さて、今回の坂本龍馬は、私が紹介されてきた坂本龍馬とは少し異なっています。平成のこの時代が呼び起こす坂本龍馬は、私が高度成長時代に紹介された龍馬とは異なるのです。全くとは言いませんが、その龍馬へと近づく角度は異なっています。このシリーズでは、そうした点をみながら、今回の龍馬伝を私なりに紹介できたら、と考えています。 世の中は、正社員という既得権、公務員という既得権者が片一方に存在し、フリーターや派遣労働という若年労働が存在する、そうした時代が呼び出した龍馬なのです。 . . . 本文を読む
手をつないで廊下を女子が歩くという光景を見たことがありますか。
けっこう、この商売をしていると目撃します。15歳から大体20歳前後の青年期を私は相手にしていますが、女子で、手をつないで歩いているという光景をけっこう見るんですね。これ、異常だと思いませんか?
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単位制高校は、こうして多様な人間関係を同居させるうえで最大の問題となる対人関係のストレスを縮減する構造となっているのです。
ある生徒が気に入らない、として、いじめたいと思ったとしましょう。しかし、彼は次の時間には、ばらばらになって散っていきます。次の教室を突き止めても、授業が終わったとき、そこにはもはや当該の生徒はいる可能性は少ないのです。
これがタコ足配線を原理とする単位制高校の、多様を同居させる構造なのです。 . . . 本文を読む
無学年無学級制は、受講生の一つ一つの行為を把握しようとすることが原則できないシステムだ、ということです。
それは、生徒の一つ一つの履修登録という決定に支えられている、ということだ、と考えてよいと思います。
と、同時に、市場の需要と供給のギャップが必然的に存在し、当然、供給側の淘汰が存在するということです。 実は、この無限なる市場をいかに機能させていくか、という問題こそが私たちが、無学年無学級制を有効に機能させうるか、という課題となるのです。
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【注意】これからの文章は、ちょっとみなさんの気分をさかなでするような、ムカっとするような記述があるかもしれません。高校には『倫理』という科目があります。倫理は、大変むずかしく、また、どういう科目?と聞かれてなかなか説明しにくい科目です。でもまちがいなくいえることは、普段なにげなく考えていることをちょっと横に置いて、まったく違う角度から物事を考えてみよう、という科目なんです。ふつうは、そうは考えない、そういう非日常的な、反日常的な考え方で現実を眺めてみて、ふだん何げなくしていることの意味を考えてみようというものです。だから、こういいましょう。これから私が書いていくことを感情を抜いて、読んでみるのです。感情をひとまずおいて、こう考えたら私たちの現実はどうみえるか、ためしにみてほしいのです。そうです。別のサングラスで現実をみてみてください。それが『倫理』という科目なのです。そうです。倫理は、変な人ばかりがでてきて、変なことをいうのです。でも、それに一理はないかしら、という科目です。
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人間関係で苦しんできた方が単位制の門をたたくケースは多い。その方たちに、一つ一つの人間関係を軽くする、というのが、実は、単位制のもっとも個性的な特徴なのです。だから、ホントは、単位制は800人なんて規模ではいけないのです。
2400人、これがざっくり私が適正規模と考える単位制の規模です。
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意識化できていることなんて大したことではないのです。むしろ、意識化できないもの、それを、勇気をもって見つめること、そうした生活をしていなければ、実は、古典は何も語らないと私は考えています。
逆に言えば、そうした生き方全体が古典の読みで反映されていきます。生きているようにしか古典は語らない。鏡のようなものですね。おもしろいと古典を読む、すると、私たちは、古典のなかの世界をとおして、あらたな方向性を必ず示されます。それはね、不思議としか言いようがないんです。 . . . 本文を読む
城繁幸(上、写真)は、富士通の人事部に所属していました。富士通は成果主義を賃金体系に取り込もうとし、結論としては、成果主義を捨てたのでした。その顛末を書いたのがベストセラーとなった『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』です。
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■分裂病の研究で有名な中井ですが、中井といえば、私が大変興味深く分裂病を教えられた『分裂病と人類』ですね。 文字通り、狩猟民族は人類の発展段階として分裂病を生きています。分裂質といったほうが適切でしょう。この本は、分裂質の特質を、未開と呼ばれる部族の生活を通して明らかにしてくれます。ぜひ、ご一読することをお薦めします。■同じく分裂病の研究で有名な木村敏をこの夏読みます。彼の、『時間と自己』は神経症と分裂病という二大精神病を「時間」という視座を使って説明していきます。 . . . 本文を読む










