高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

気合の入ったレストラン

2022-03-31 20:04:24 | 単位制システム革命
いま学校は、早退Movieと気合の入ったレストランであふれている。早退Movieや気合の入ったレストランがなにゆえ存在しつづけていけるのか?という問いは別として、存在しつづけ、ロックのいう抵抗権や革命権が担保されていないとしたら、授業中のケータイを私たちはどう受け止めたらよいのだろうか? . . . 本文を読む

いじめを見つめる人の分裂

2022-03-31 08:09:46 | いじめの構造と変革
毎年、いじめのアンケートを実施しますと、全いじめ体験者の内の70%以上の人が 「いじめを見た」と答えています。そうです。見ているのです。もちろん、そのなかで、多数、少なくとも半数以上の人が「見てみぬふり」をしていた。と答えているのです。しかも、今年のデータによれば、その人たちのかなりの数と推測される人たちがこう答えています。「かわいそうだと思った」「自分とは無関係」。 . . . 本文を読む

ドラマ拒否 Ⅱ 人為以前の存在

2022-03-28 23:31:38 | 学校の呪術
(上の写真と文章は関係がありません) 通常、学校で部活動について公式に審議する審議機関は存在しません。したがって、学校で部活動の責任を持つ中間管理職は存在しません。責任を持つのはだれなのか?明確な法的な根拠はないのです。 この新しい教職員の人事評価制度においても部活動はありません。私たちの就業規則に当たる法令集をみても、どこにも部活動の文言はありません。学習指導要領にも一言も部活動はないのです。だから、「職務ではない」というK先生の発言は正しいのです。正しくは、趣味!なのです。 したがって、部活動については管理職はタッチできないのです。命令できないのです。しかし、学校という不思議な空間では、「部活動が職務でない」ということもいってはいけないのです。 . . . 本文を読む

出席点と授業態度点

2022-03-27 20:59:06 | 倫理の授業
実際のことを言いますよ。授業態度など成績に入れることは不可能です。僕にはできません。いや、合理的に説明できない。  いえ、実は、問題はそこにはありません。問題はそこではありません。最大の問題は 生徒が 「私の授業態度点は何点ですか?」 という問いが発せられない(「発しない」ではない!)ところにあるのです。  ここを考え違いしてはいけません。  ここに日本の教育の、マインドコントロールの究極の到達点があるのです。 生徒は自分からこの問いを発しないのではありません。発することが「できない」のです。ここに日本の教育のツボがあります。評価される人間に基準を絶対に問わせないように教育すること、これが日本の教育のマインドコントロールとして全力を込めて行っている究極の到達なのです。そして、もっとすごいことは 「評価される人間に基準を絶対に問わせないように教育」 していることを実は教育している人も気づいていないというところにあるのです。 . . . 本文を読む

「起立・礼・着席」はだれが命じているのか?

2022-03-24 22:26:43 | 倫理の授業
普通、教員「起立・礼・着席」という号令をかけて授業を普通開始します。で、この号令を発しているのは誰か、というのが、今回の問題です。ふつう、当番とか、学級委員が号令をかけますね。じゃあ、彼らなのか? 彼らは、その指摘に対して、多分、こういうでしょう。「先生にやれって言われたからやってる」  形の上ではまあ、そうなのでしょうけれど、厳密に、「では、その命令を証明する証拠がありますか?」「明確に提示でき . . . 本文を読む

マルクスの驚き

2022-03-22 20:31:09 | 社会科学・哲学
■私はコンテストについて、これまで論じてきました。コンテストがもっとも活性化する構造を、マルクスに問い尋ねてみたいと思います。それは、「互いに独立して、かつ依存する」という関係なのです。それは、互いが移動の自由をもって交通することだ、といってもよいのです。■それは、市場が典型となる場です。まさに、単位制高校です。学年制の閉じた構造にはこの試みはほとんど意味を失います。 . . . 本文を読む

英語力 4 ルサンチマンを超えて

2022-03-21 20:55:34 | 授業・教科指導
■このエントリイは私のブログのなかでは、けっこう、ヒットされている件数の高いものです。多くの方が、このエントリイをのぞかれています。で、再び、トップページにエントリしてみました。■ニーチェは、嫉妬やねたみ、足の引っぱりといった情念をルサンチマンと呼びました。まさに、教室に蔓延しているのはルサンチマンです。■英語の時間に、先生が英文を読みますね、そのあとを生徒が復唱する。発音の練習なんでしょうか?■その後に続く声が、なんともダレた声だったり、やる気のないものだったりするのです。しかし、そこには、実はルサンチマンの地獄があるわけです。■「お前のようなアホがまじめぶって何英語の発音してるんだよぉ!アホ」という足の引っ張り、ある意味で私たちの教室はこのルサンチマンが充溢する空間なのです。■やる気がない、のではありません。やる気を示してはいけないという掟が存在するのです。それに背けばどうなりますか?そこには、制裁が待っているのです。 . . . 本文を読む

ソクラテスの痛ましさ

2022-03-18 12:15:58 | 社会科学・哲学
無期で泣いた井上嘉浩 一審で死刑を求刑されたオウムの井上はかなり精神的に参っていたようである。警察に吐くだけ吐けば情状酌量の余地はあると、お定まりの取り調べの言質をもらったのかもしれない。いずれにしても、死刑という求刑を受けた彼は相当追いつめられたのだろうと思われる。ためしに今晩寝しなにお考えいただきたい。「あんた、死ねや」といわれ、それが実際にあなたを襲うのである。死刑とは、死刑の決行の予告が当 . . . 本文を読む

鏡の場所

2022-03-17 23:22:51 | 社会科学・哲学
みずからの鏡をもつこと。鏡に写る自分との究極の事後としての一致のための準備を事前に重ねること。そして突然の瞬間的な鏡との対面を通して、そのズレを確認し、みずから自身を確認しつづけること、ここに西洋は自律の根源をみるのである。カントの、まず理性による認識が先行する、そして、対象それ自体はついに認識されることはあり得ない、という理性批判もこうした構造をとらえて議論しているのである。 . . . 本文を読む

デカルトの疑い 1 われ思う、ゆえにわれあり

2022-03-17 23:05:22 | 社会科学・哲学
私は、囲碁とか将棋をやります。いえ、スポーツでもいいんです。勝負事をしたとき、みなさんは、目をつぶって、決めるよりない、何がたしかなことかわからない、という局面があることは想像できるでしょうか。まさに、そういう局面を想定した時、デカルトのこの議論は、私たちに迫ってくるのです。そのとき、   「わからない、ということだけがたしかなこと」「分からない、と考えている自分がいることだけがたしかなこと」   という局面があるのです。そうです。無いものがあるのです。無いと考えている自分の存在はたしかだ、確かに存在する。確かなことだ!   . . . 本文を読む

慶応・上智大学に質問します――なぜ『政治経済』が受験科目でないのか?

2022-03-15 18:47:55 | 学校の呪術
◆最近、この記事に書き込みをいただいています。貴重な情報をいただいています。この場を借りてお礼を申し上げます。◆センター試験が進行中でもあり、再掲しました。◆通常、私たちは、「大学に」はいるのであって、「学部」や「教授」を目当てに入るわけではありません。これは、高度成長システムが築いたシステムでもあります。◆高度成長システムは、産業資本主義、ま、ものづくりです。工場です。これが繁栄の原理なのです。工場システムの基本は、その企業に所属することです。「いい大学」に所属することが「いい企業=家」に所属するという原理が成功モデルだったのです。したがって、知的な効用などどうでもいい、であったのです。普通に、大学生は勉強しないものでした。これが、このエントリイの基本の認識なのです。とにかく「東大」「早慶」だったんです。 . . . 本文を読む