この文章は昨年の暮れに書いたものです。このドラマはいじめからの脱出を思考実験するものです。手直しを加えながら再掲したいと思います。 . . . 本文を読む
つまんねえんだよお、おめえの話は!
これが実は平均値での生徒の悲鳴だ。そりゃあ、受験で使えるやつらはいいぜ、しかし、そこからはずれて、モティベーションがつかない人間には、もう教員の授業は聞く対象ではない。それは、あなたが大人だとしたら、どうぞ、「チャート式」を愛読書にしてみればいいのだ。
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以下のいくつかの文章は、授業の中から下の二つの質問にたいして生徒がコメントをよせ、そのコメントの中で生徒が優秀であるとして選挙したものです。Q① なぜ、「法の支配」にならず、授業態度点が残りつづけるのか?Q② どうすれば「法の支配」が貫かれ、授業態度点は消えるのか?
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いじめ自殺の問題をたんなる家庭のしつけや、教師の個々の指導やいじめた個人の犯人探しというレベルの問題だけに終始したのではこの問題は解けません。そこには、社会構造がそうならしめるというレベルの社会の設計に関する問題が存在するということなのです。そういう意味においていじめは必然的に起きているのです。
いじめ問題ははからずも〈身分制社会〉の存在という問題を私たちに突きつけるのです。この〈身分制社会〉をどのように解体するか、ということが私たちがいじめをみるなかで生徒から問いかけられ、彼らに問いかける最終問題なのです。
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■必履修科目とは、しょせん無意味な苦役だということです。国家の構成員である教員を食べさせるための苦役でしかないということです。国家が教育資格の付与権を独占している、その彼らには教育の内容にかんする意味や、実際の使用価値にかんする興味も関心も存在しない、だが、受益者にとっては資格を獲得する手段である。■国家が最低限度、これだけの到達度を示したら高校卒業という基準を明示し、あとはできるかぎり規制を緩和する、義務教育も、学校選択や教員選択の自由を拡大させる。こうした方向性のなかで最低限度をいかに公共的に担保していくか、これが真の地方自治なのです。現在は、教員というお侍さん、県教育委員会=教育長以下の役人のためのたんなる収奪機関という封建制が機能しているにすぎません。私の目には組合的な左翼も教育長をトップにした地方の教育行政の権力者も封建制的自治という点以上を出ているようには見えません。ここが変わらない限り、この履修問題は解決しません。意味のない教養科目の必履修と、受験以外に全く使用価値のない教科の存在は消えることがありません。
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いじめは人権という角度から見れば100:0でいじめる側が不正なのだ、というのが公民科の教科書的見解です。しかし、現状では、なぜか人権侵害をしているいじめる側が正しく、いじめられる側が損害を被り、結局逆転し、100:0で自分が悪いことになるのです。
なぜ、この逆転が発生するのかを解かなければいけません。なぜ、100:0で悪い方が、堂々とし、正しいほうが小さくなり、人権の侵害を弾劾することもなく、泣き寝入ることになるのでしょうか?せいぜいどちらも悪いなどというところに落とし込まれることになるのでしょうか?このからくりを解かなければいけません。 . . . 本文を読む
■以下の文章は、まなざしの正体は何か、という問いに対する、生徒のコメントです。コンテストを行い、優秀であると生徒が選挙したものです。■声の正体は自己の持つ被害妄想による警告である。社会には、六法から始まり、身近なとこでは拘束などわれわれの自由を縛る「法」が存在する。これらは常に一部の権力者によって決定されている。そして、教室という小さな社会においての権力とはより野性的なものであり、その有権者とはいわゆる「不良」である。つまり、教室の後方に座ったり、発表の挙手ができないというのは、真面目を良しとしない不良によって生み出された慣習法なのである。そして、この法を犯しそうになったときの警報としてまなざしの声は発せられるのである。
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■以下の文章は授業で出された生徒のコメントで彼らが優秀作として選び出したものです。■問1 毎日会える「今」「ここ」にいない人間に、今何している?に毛のはえた程度のことでどうして通話するのだろうか。■問2 なぜ相手の通話とのつきあいを断る時に「ごめん」というのだろうか?■問3 何で通話しているとき相手の通話料を心配しないのだろうか。「ここで切ってくれ、こっちからかけ直す」とはまず言わない。それは、なんでだろうか?
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■はたして日本という国に中央集権の強烈な意志など存在するのだろうか。むしろ、逆なのではないか。猪瀬直樹の名言ですが、日本の戦前ファシズムは中央統制の結果ではなく、限りない中央統制の崩壊過程だった。こう考えなければ関東軍なんか説明できないでしょ?■これまで、私は、日本の国家権力は限りなく形式化し、封建制へと移行するということを示してきました。高度成長経済に適合的なシステムとしてほんの10年ほど機能したこのシステムは現在完全に破綻しています。財政的にケインズ的な循環を示さないたんなる寄生虫になってしまったということです。それでも、形式的に残っていくというこの国の法則はまだ持続しているのです。しかし、あきらかにグローバリズムを背景にした経済構造にはまったく不適合な教育システムであることだけは徐々に分かってきているのです。それが今回の問題のグラウンドセオリーを形成するように思えます。
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