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高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

受験勉強と課題研究という授業

2008-01-30 05:30:18 | 課題研究
私の職場をみることしかできないので、私の教育現場、高校という教育現場をみるかぎりでしかいえないのですが、どうみても、現在供給されている高校の授業が時代のニーズにはまったく沿っていないのではないかと思わざるを得ないのです。日本の高等学校で先端の高校生の頭脳が集まる学校といえば進学校でしょうけど、けっきょく中心は詰め込みの受験勉強をしているわけです。受験勉強が何がまずいかといって、受験勉強をやっているかぎり、まずしない行為が 「自分で問いを立てる」 という行為なんですね。これがまったくないのです。 . . . 本文を読む
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バカという差別 2 制度としてのバカ差別

2008-01-28 23:33:47 | 政治分野の授業
私たちはバカということで何を恐れているのでしょうか?  一体、どのような差別がそこに存在すると考えているのでしょうか?  実は、私たちの歴史は差別を地下に潜らせ、しかも存在させ続けるという二層構造になっているということをここでは指摘しておきたいと思います。私たちは自分たちが差別をしたいと無意識の地平で考えているからこそ、自分がされるのではないか、と恐れるのです。いえ、それは逆かも知れませんね。自分がされたからこそ、自分も差別をしたい、その願望が、あるからこそ、また差別されるのではないか、と恐れるのです。  優越感も劣等感もない世界など考えられない、とみなさんはきっと深く深く骨身に沁みているんじゃないでしょうか? . . . 本文を読む
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バカという差別 1 バカの着地・バカの刺青

2008-01-27 23:05:59 | 政治分野の授業
■自分がバカだという発覚、これを「バカの着地」って呼びたいと思います。自分がバカだったと世間様に白日の下にさらされ、知れてしまう事態、事実として露見してしまう事態、これを「バカの着地」と呼びたいのです。 とすると、私たちは、この「バカの着地」を極端に恐れ、宙ぶらりんでいたいと考えているのではないでしょうか? ■みなさんは、服を着ています。しかし、その服の下に実は、刺青(いれずみ)を入れているのです。それをひた隠しに隠して生活しています。友人にも、よほどのことがない限りその事実を告白できないのです。しかし、ある日、とうとうその刺青の存在が白日の下に晒される日、つまり、 「バカの着地」 が来るのです。  それにしても、私たちはなぜバカの着地を恐れるのでしょうか?  一体、バカの刺青が白日の下に晒されると何が起こると私たちは恐れているのでしょうか? . . . 本文を読む
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コンテスト 7 成績の中の外部

2008-01-19 22:44:05 | 成績・評価
自分でいうのも何ですが、私がつける成績はきわめて多くのデータに基づいています。おそらく、私と同じように厳密に成績をつけており、しかも、観点別の手を挙げる回数をカウントするなどという不真面目な成績とは違って、真に公民の能力を測定する絶対評価をしているのは他にいないんじゃない?(こういう物言いって、我ながら、傲慢だねえ(笑))。  中間期末の成績をつける前に必ず生徒のみなさんに現時点での評価点の確かめ算をしてもらうのです。そんなに無闇に多くはありませんが、しかし、しばしば計算間違いや、記入漏れが発覚するのです。年金問題がそうなんですが、受益者もチェックするという相互努力の中でこうしたミスをなくしていくよりないと思うのです。 で、今回驚いたのですが、コンテスト点が 「59点」 という生徒がいたことでした。 これは、驚きでしたね。  ある種の才能をそこにみていいと私は思います。 . . . 本文を読む
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空気を読めない人間の表現の自由

2008-01-18 05:26:31 | 政治分野の授業
空気を読めない発言を抑制せよ!  これがなしえないのであれば、大多数の人間がガマンすることになるのだ! このルサンチマンの地獄が、閉塞した状況を形成するのです。 私は憲法の「精神の自由」で学校における表現の自由を問題にします。しかし、表現の自由を抑制するという側に立たなかったならば、この空気を読めない人間の表現の自由については、現状では、いかんともなしえないのです。 . . . 本文を読む
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表現の自由を侵害するもの

2008-01-17 23:54:15 | 政治分野の授業
■「自由に意見をいってごらん!」などとトロいことをぬかす教師がいますが、教室はさまざまな圧力が表現の自由を奪っているのです。■「先生に逆らったり、先生の覚えを悪くすることをいえば〈成績〉で制裁されるのではないか?」「先生からの体罰があるのではないか?」といった国家からの侵害の蓋然性。■「バカに表現の自由はあるのか?」「下手に暴力的な勢力の心情を逆なでするようなことをいったら、彼らからボコ(=ボコボコに)されるのではないか?」「そのまえに呼出しがあるのではないか?」「いじめにあうのではないか?」「先輩が・・」■ 身体罰等による身体の自由の侵害のおそれ、侮蔑や嘲笑などの名誉毀損や侮辱を受けるおそれ、しかとや無視をはじめとした差別的排除のおそれ、先生による成績等による制裁のおそれ。これらの危険をかいくぐる表現の自由だけが現在学校では表現の自由として生徒たちに許されるものなのです。 . . . 本文を読む
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高校公民空間の活動方針

2008-01-16 22:05:31 | 高校公民空間
「倫理」が好例であるが、きわめて専門性が高く、一つの学校で単独で担当教員を置けない科目がある。芸術科目などもそうだ。こうした科目を、片手間に教員にいくつもの教科指導の負担を負わせる非合理をこれまで非合理として認識してこなかった。〈顧客への配慮〉のかけらもしてこなかったのである。  本気で一つの科目だけを教え、生徒のニーズを研究するという制度からしか、消費社会に対応できる多様なスタッフを学校に配置することはできない。  この 「授業専属教員の学校横断的存在」 を考えてみよう。いま夜の定時制には日本史も教え、世界史も教え、現代社会も教えるという愚劣が何の疑いもなく進行している。しかし、この制度を考えてみよう。定時制だろうが、複数の単独の専門家を配置することができる。全日制を考えてみよう。公民科目だけでも複数の教員によるメニューが存在しえる。「政治経済」ひとつとってもアプローチは複数存在し得る。それをできるかぎり、シラバスに開示する。そして、生徒の選択制をひく。ここから、魅力ある複数の選択肢という現実が実現可能となる。 . . . 本文を読む
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高校公民空間に入りませんか?

2008-01-14 22:42:00 | 高校公民空間
つい先日、同僚の若い人から、生徒が携帯電話をやっていて、教科書も持ってきていないので、退場させたいと思う旨の相談を受けました。また、じっくり論ずるつもりでいますが、僕にはこういう気持ちがよくわからないのです。というか、わかるが、ご時世を考えたらあまりに時代錯誤じゃないか、と思えてならなかったのです。   僕は、いったん、そういう発想には興味がないが、やりたかったらしたら、というような . . . 本文を読む
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人事異動はFA制度で行おう 1 校長という伝達係

2008-01-13 17:36:36 | 高校公民空間
私たちの「社会科準備室」に、おもしろい世界地図が貼ってあります。通常の世界地図を逆さまにした世界地図です。まるでモンゴルが世界征服するための地図のような地図です。「そうか、朝鮮半島から見るとこうみえるのだ!」という地図です。教員世界もそうです。生徒の側から見てはいけません。職員室の「教頭席」からみるのです。そこには、授業に出かけていく教員が目に入り、授業から終わってかえってきた教員が目に入るのです。給湯室からお茶を入れて出てくる教員。そこで展開される茶飲み話。雑談。「しょうがないよ。あの生徒」じつは、こうしたレベルの堆積が人事異動のデータの末端なのです。 . . . 本文を読む
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ボコすという耳鳴り

2008-01-11 02:37:38 | 政治分野の授業
憲法には自由権と呼ばれる一群があります。そのうちの一群に身体の自由とか、人身の自由と呼ばれるものがあるのです。おそらく、もっとも基本的な人権と呼ぶべきものである、自分の身体をめぐる自由です。憲法は私たちの国民の国家への命令として、この身体の自由を守ることを命じているわけです。ところが、国家の一機関である学校ではたして身体の自由が守られているのか、というと、きわめてあやしいといわざるを得ないのです。 . . . 本文を読む
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赤の担任

2008-01-10 23:48:41 | HR
少し前、特別活動の時間まるまるつぶして個人面談をするはめになりました。私はほんの15分のつもりだったのですが、あれよあれよという間に一時間つぶしてしまいました。おかげで伝えるべきことを忘れてしまいました、どうしよ!? . . . 本文を読む
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一般的等価形態の謎

2008-01-06 13:05:15 | 受講生による授業評価
私には冬休みも一日として休まる日がないんです。古典を読みながら、先の予習の文献をよみながら、迫り来る1月7日と戦うのです。授業の直前の準備をいつ始めるか、いつも迷います。新たなネタを展開するには途方もない精力が必要とされます。構想を練って、具体的な教案にし、それを具体的にWord文書として、最後に、パワーポイントにするのです。どの映画を使うか、どの映像を使うか?毎週毎週週末のニュース特番をDVDに編集する作業も毎週来るのです。 これでは聞かない、これでも聞かない この毎日の否定の作業こそが、媚びの連続なのです。私は、自分の感覚が鈍るので、生徒を囲うことはしません。特別なことがない限り、囲い込む関係を作らないようにしています。そのなかから、生徒の関心に寄り添っていくのです。すると、ある日突然、生徒が反応しはじめます。どうして、そのネタが成立したのか、後から理屈を付ければつけられますが、そのときはわかりません。 . . . 本文を読む
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