■あなたはディベートを成績に入れるっていわれて具体的にイメージがわきますか?それも、だれもが公平感を失わず、しかもその獲得した点数に対して、納得をする合理性をもたせるのです■論争に決着が付かなかった場合は、投票になります。その際に、全員の投票となります。一体どちらの論理が勝っていたか、そこを投票で決めることになります。■コンテストと同様、集団ディベートでもいわゆる空気を読まなければ得点にはなりません。一体、過半数がどのような動向なのか、それを踏まえて投票するのです。したがって(ここが大事ですが)、もしも、自分の意見で過半数を占めたかったら自分の意見をいかに過半数に納得させるかを考えなければいけないのです。
点数をゲットしたければ、そうした観察眼を磨かなければなりません。そして、そうした観察眼に関する授業が今度は要求されることになるのです。
ディベートをみていると、うまく教材をディベートの材料として提供すれば生徒は驚くほどそれを使います。それを〈生きた教材〉といってはいけないでしょうか? . . . 本文を読む
■カントは、私たちの道徳の基本に定言命令を置いています。定言命令という命令こそが私たちの道徳を基本的に支えていくのだ、とカントはいうのです。定言命令はこのように脅迫的にいいます。「四の五のいうな!無条件にせよ」■
いったん、片一方が攻撃にせよ、持論の展開にせよ、しはじめますね。すると、それを返さなければならない、と言う脅迫が次の相手に発せられることになるのです。「無条件に意見を発せよ」この脅迫が次々に意見の交換を強いていくのです。こうして、いったん、意見の交換が始まると、途切れることはありません。否が応でも意見をひねり出さなければならないのです。すると、だれだか知らないが、自分の集団が〈味方〉を形成し、他方の〈敵〉に対して、共同で戦わなければならなくなります。お互いに助け合わなければならなくなります。それは、味方がだれだとかどこに住んでいる人だとか、ということとは関係がありません。ただただ、論理だけの関係がそこに展開されるのです。勝利するためという目的だけがただ共有される関係です。助け合い、援護しあうのです。 . . . 本文を読む
みなさんは、高校生がディベートするなどということを想像できますか?高校の普通の授業風景を見たとき、いったいどうやったら彼らがディベートを行うか?と首を傾げると思いますね。私は、ディベートは無理だと実は、諦めていたのでした。しかし、もちろんネタにもよるし、仕掛けにもよるのですが、仕掛けとネタを十分に精選すれば、ディベートは可能なのです。
この第二段階のディベートは、
「集団ディベート」
という形式を取ります。そうです。団体戦という形式をとるのです。これがいいんです。もちろん、この段階でも第一段階のように、最後は個別である、という形式を維持します。つまり、相互に関係性を直接的には結ばないという形式で関係が進むのです。しかし、まったくの匿名性ではありません。個別であり、社会関係を直接は結ばない社会を作るのです。あなたはこの関係を理解できますか(笑)?しかも、勝敗を決し、しかも、点数化するのです。
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女子の意識には、男子の射精が愛情と関係なくても成立するなどということは存在しません。つき合っているときに、男子の股ぐらで一体何が起こっているのかなどということは知りません。意識もありません。暗がりで二人きりになり、そのときペニスがどうなっているのか、女子は知りません。ペニスを想像することもしません。
でもね、あなた!セックスって服を着たままするもんなの?
でも、でも、
「愛していればセックスをしてもよい」
のです。
いったい、このフレーズは何を意味するのでしょうか?
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私の職場の教頭はまじめな人です。だからはっきりわかることがあります。彼らが重視しているのは、タテのラインの事務処理です。それだけです。意味もへちまもありません。事務処理です。事務員です。教育に興味はありません。現状を維持せよ。共同体的な彼らのタテの私的なラインを維持せよ。血縁的関係を維持せよ。
これだけです。
大体、彼らが最も重視する教務主任の能力で、転職は不可能です。大体、希望表明制度(FA制度)で差別化することはできないでしょう。
学校の定期テストは学力の測定にならないことは以前にも書いたとおりです。超進学校の生徒の数学Ⅰ「5」の評価と底辺校の生徒のそれを比較できますか?
学校は学力の測定ができないのです。したがって、学力を向上させたという査定ができないのです。外部評価を受けられるような査定はいっさいできないのです。
こういう問題提起をしている教頭はいません。彼らはそんなことに興味はありません。
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