高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか 2 高い製造業比率

2010-10-30 23:39:05 | ブックレビュー
このエントリーは、野口悠紀雄の同名の著書からとったものです。前のエントリーでは、自動車産業をはじめ日本のドル箱であったはずの製造業が、国の補助金という援助がなければ、一人立ちできず、利益をあげられないという深刻な事態を紹介しました。本エントリーはその続編です。   . . . 本文を読む
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世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか 1 補助金という足かせ

2010-10-23 23:27:07 | ブックレビュー
少し経済のお話をさせてもらいます。このエントリーのタイトルは、経済学者の野口悠紀雄の著書です。野口は、『超整理法』という新書で有名です。また、『1940年体制』という著書で、日本経済の高度成長時代の構造と失われた10年とも15年とも呼ばれている現在の日本経済の凋落の原因が同一の構造から発生していることを明らかにしたリベラリズムの経済学者として有名です。このエントリーでは、野口の主張を私なりに解説したいと考えています。教育という世界に生活していると、野口の論ずる主張はきわめて示唆に富みます。   . . . 本文を読む
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無学年無学級制の可能性 5 無限の金八先生

2010-10-17 22:19:49 | 単位制システム革命
無学年無学級制では、担任は選択する、というのが基本です。もちあがりはあるでしょう。それは、しかし、〈逆持ち上がり〉です。つまり、選ぶ方が持ち上がりを希望するのです。みなさんは、クリニックを選択しますね。同じです。相談員を選択する。自分に合う相談員を選ぶ。つまり、こうして無限の〈金八先生〉が誕生してくるのです。 . . . 本文を読む
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不良はなぜコワいのか?

2010-10-13 09:39:54 | 倫理の授業
■倫理って何?ってよく聞かれます。いろいろ答え方がありますが、倫理は心理学って答える答え方があります。■さて、不良は一般にこわいのですが、私たちが普通にいう怒りと不良の「コワさ」は同じなのでしょうか?上のマンガはずいぶん前に流行った「ビーバップハイスクール」に出てくる不良です。一目瞭然この目つきはこわいですよねえ。さて、その恐さと怒りは別なようにみえます。不良は怒っているわけではないでしょ?むしろ不快感の表明とでもいうのでしょうか、そんなニュアンスさえ感じます。さて、不良は一般にこわいわけですが、この恐さの意味を考えてみたいのです。■何で不良はコワイのか?何で、わざわざ威嚇(そう、威嚇が正解だと思いませんか?)するのか? 不良の心理をえぐるのです。普通にえぐってはいけません。不良が耳を思わずふさぎ、 「やめてくれ!」 と叫びだすものがよいのです(相当意地悪ですね(笑)!)。 . . . 本文を読む
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高等学校の先生の考古学 2 屈した恨み

2010-10-11 21:22:21 | 教育時事
その昔、学校の先生は、ま、大くくりに「いい生徒」だったのです。素行で問題があったわけではもちろんない、というのが通常です。そして、その先生の周りには、ずれたいわゆる不良がいたのです。彼、彼女は、彼らの様子をうかがい、迷惑だと思いながら、彼らのご機嫌をうかがい、生活をしていたのでした。したがって、不良たちに、先生たちは複雑な思いをもっています。怖い、しかし、できれば消えて欲しい、しかし、それはいえない、いや、むしろ、よいしょをしなければ下手をすると攻撃の対象になってしまう。攻撃の対象にならないように、自己主張を本当にいい加減で行わなければならない。 . . . 本文を読む
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高等学校の先生の考古学 1 受験の傷跡

2010-10-10 23:46:15 | 教育時事
 私は、受験命の学校こそ、単位制校化して、生徒に広範な選択権を与えるべきだ、と考えてきました。そして、講師も選択させるのです。そうしたとき、受験効率は、何倍にもアップするに違いありません。なぜなら、侮蔑を感情の基本に据えたのでは、成績が思わしくない生徒は、まちがいなく成長しないからです。侮蔑ではなく、共感から、できの悪いことで悩んでいる生徒への親身な関心から、しか、効率は生まれないだろうからです。受験、受験とアホのようにあおるだけの教師、ストレスだけを与える教師は、悩んでいる生徒たちには選択されないでしょう。現在は、学年制の学校では、まだまだ生徒の方が立場が弱いのです。こうした、閉じた状況には、教師の退行と固着は、ますます病像を深めます。受験は、刺激だ、とだけしか考えられない教員が落ちこぼしている、その原因は、〈退行による復讐〉というのが、私の仮説ですね。どうでしょうか? . . . 本文を読む
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無学年無学級制の可能性 4 マーケティング/広告/授業仕訳

2010-10-03 14:08:52 | 単位制システム革命
こうして、受講者は自己責任を問われます。担任も推奨した責任を問われます。そして、なにより、教科担当者は、受講生の評価を受けることになるのです。 そうです。さらに、リピーター率もこのネット上には掲載されていたらどうでしょうか?どのくらいの人がリピートしているか? これが消費社会を前提とした無学年無学級制の単位制高校の可能性の中心なのです。これが、可能性から実現性に移行した時、人事担当者の決済責任が赤裸々になるのです。現在は、何の理由で採用されたのかも不明、いったい、その教員が学校のニーズに合っているのかも不明、何もかも不明、この真っ暗闇を前提に教員評価が行われているのです。 . . . 本文を読む
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龍馬伝 6 脱藩という場所

2010-10-01 22:58:04 | 映画・演劇・ドラマ
どうも、私たちは歴史を事後からみがちです。終わってしまった結果からみる、という癖があるようなのです。坂本龍馬は、薩長同盟、大政奉還、といった明治維新に連なる重大な政治的事件にコミットし、慶応三年、まさに明治維新への扉を開け放ったまま、司馬遼太郎的表現をすれば前のめりで、テロに襲われ、盟友中岡新太郎とともに、この世を駆け抜けていったのでした。享年33歳。あまりに若い死でした。  ところが、平成22年という時代が生みだした『龍馬伝』は、少し私たちのこうした常識を揺さぶるものとして私には映っているのです。ドラマは、視聴者に、どうにもならない閉塞感を与えるのです。具体的には、下士という身分の閉塞感です。それは、 「一体どうやってこのドラマがあの龍馬の〈偉業〉とつながっているわけ?」 というものです。龍馬には、まったく政治的な発言権どころか、まともな人間としての余地さえこの藩にはないがぜよ!というものなのです。 . . . 本文を読む
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