その人の苦しみは、その人にしか分からない。
ただ、その事を一番知らなければならないのは、その本人だと思う。
The 入院<病院に朝が来て>
The 入院<昼間の時間はあっという間に過ぎていく>
The 入院 <そして長い夜が来る>
の続きです。
※ ※ ※
考えてみると、今回の入院体験は平凡の中に隠れているドラマ性に満ちた内容だったように思います。書いていませんが、思わず泣いてしまった老夫婦の会話や、内科の先生の暴言も含めて、なかなかの物語が作れるような体験でした。その発想で行くと、実はその物語をさらに面白くしてくださった方が「妖怪小銭数えお婆」様だったように思います。イヤ、この人がいなければ物語としては成り立ちませんよ、きっと。
今更ながら、この体験記、小説風に書けば良かったかしら。登場人物は実在の人物ではありませんとかすっ呆けながら・・・
※ ※ ※
部屋を移った時に、軽い病気ではない人たちなのに、なんとなく明るい雰囲気が漂っていたその大部屋で、その人は一人本当に重症なのかと私は思ってしまいました。
なぜなら少しだけ空いているカーテンの隙間から見えてしまう彼女の姿は常に寝っぱなし。お隣だし、静かにしなくちゃなと思いました。でも、明日退院すると言う人は遠慮するでもなく大きな声で話すし、看護婦さんたちにも緊張した雰囲気もないし。だいたい緊張するほどの病状ならこんな大部屋にはいない筈。
看護師さんたちの検温の時には
「なんか調子が悪いの。」と訴えていて、一人回復に向かう途中の苦しみに耐えているのかと思いました。
その人の苦しみは、その人にしか分からないのです。
やっぱり静かにしていてあげようと思いました。
親しくなった退院する人がその日の朝、彼女に声を掛けていました。
なんたってカーテン一枚の壁ですので、なんでも丸聞こえです。
激励の励ましかと思って聞いていたら、どうも言葉もキツイ・・・
これは激励のお叱り・・・か。
「あなたの方が先に退院すると思っていたのよ。こんな風に寝っぱなしじゃ、ますます起きてられなくなるのよ。毎日少しずつ歩いて・・・」などなど。
私は本を読みながら、この人たちは一緒に励ましあった戦友みたいな者なのかなと思いました。
だけどその次に言った彼女の言葉を聞いて、思わず読んでいた本から目が離れてしまいました。
彼女はいきなり「おめでとう。じゃあね。」と言ったのです。
どう言う返事なの。これでは、煩いな、さっさと消えなよと言ってるようなものじゃないのか。思ったとおり、声を掛けていた人は次の言葉が繋げません。諦めて退場です。
なんだか苦手な人の予感・・・。
その後、その人の息子と言う人がやって来て・・・・
カーテン1枚の壁では丸聞こえと言いましたが、もちろん私と夫の漫才トークも丸聞こえです。それで良いのです。聞かれて困る事や見舞いに来てくれた姉妹とのお気楽トークでも聞かせたくない事はそこで話してはいけないのがルールです。聞きたくなくても聞こえてしまうのですから。(ちなみに何故姉妹トークを聞かせられないかと言うと、お互いの体重暴露とか、最近綺麗になったねと言う家族馬鹿トークとか、私が作った点滴コントの実演とか・・・)
それでも私、他の人の家族が来た時には部屋を出て電話を掛けに行ったり、ヘッドホンをしてテレビを見たり寝てしまったりしていました。ただでさえいろいろな所でお話を拾ってしまう私なのに、特に苦手そうな隣の方に興味がなかったので、聞きたくなかったというのが本音です。でもヘッドホンをしてテレビを見ていたのに聞こえてしまいました。最初の1分。その後お昼寝をして、余りのバタバタした雰囲気に目覚めて残り2分。
でもワタクシ、分かってしまいました。なんたって、途中から見ても5分でそれまでのストーリーが、もしくは犯人まで分かってしまう二時間サスペンス育ちですから。(どんな育ち?)
この人は、きっと大変な理由で入院したのだと思います。でもそこは治ってしまっているのです。「しまっている」と言うのは変ですが、この人から言わせれば、まさにそうなのですよ。そこの部分に自分で気がついていないのです。治っているので退院間近です。でも寝っぱなしなのでリハビリが上手くできていなくて、退院しても生活が大変そうです。それで周りが焦っているのです。
だから寝っぱなしのその人に気を使って、静かにしようとする人はいなかったと言う訳なのですね。
その後リハビリの先生がその部屋を訪れました。優しく世間話などをして心もほぐします。そこで彼女が鼻にかかった声でいろいろ話すのです。そこでさっき来た息子の年齢とかが分かりました。今思うと、なんだか歳も私に近かったのかも。もっと年配の人のイメージでずっといましたから。
この人の真夜中のナースコールには、本当に泣かされました。叫ぶし大騒ぎするし、看護師の話は聞いていないし、隣近所の気遣いなんか皆無だし。
だけど小説風と言う形を取っていないので、息子さんの会話・リハビリの先生との会話などを詳しく書く事は出来ないなと微妙な兼ね合いを思案している中、大切な事を思い出しました。そうでした。この人を弾劾しようと思って書き始めたのではなかったのです。この人から学ぶことがあったので、そこを書こうと思ったのでした。それは特にこの人が真夜中に大騒ぎをした「眩暈について」です。
本当はこの人にも教えてあげたかったのですが直に「じゃあね。」と言われそうなので、言えなかった眩暈のお話。
でもこの「眩暈について」も「病院とパソコン」と言うテーマと共に、「次回」と言うか「そのうち」に持ち越しにしたいかなと思いました。自分の経験も含めてちゃんと書いておきたいと思ったからです。その時又、この隣の奥様登場は止むを得ない事ですね。
しかし病院では、本当に余り寝る事はできませんでした。
夜は就寝が早すぎて眠れないし、朝は4時半ぐらいに普通に起きてしまうし、いつもどおりお昼寝は15分位で目が覚めちゃうし。夜、ようやく眠った頃看護師さんの見回りとかお隣さんのナースコールで起こされちゃうし・・・
だけど私自身も突然の坐骨神経通なるものに悩まされました。真夜中に一人で足を摩っているのもつまらなくて、隣のオバサン、なんか叫ばないかな~と耳を澄ませばスゥスゥと言う寝息ばかりが聞こえてきて、上手くいかないものだなあと思ったものです。
とにかく私の入院体験記、彼女の話をスルーするわけには行きません。
退院前日、神経痛の痛み止めが効いていて足もO.K、腹部のわずらわしさ(ちょっとそれなりの事はあったのですよ)も治って、今日ぐらいゆっくりしようと、早めにテレビも消して目を瞑りました。でもやっぱり10時じゃ眠れませんよね。10時半11時と時間が過ぎて、ようやくウトウトしかかった時に、ジャリッと音がしたのです。
「ハッ!」と驚いて目が覚めてしまいました。
なあに?
妖怪小豆砥ぎとか・・?
そうではありませんでした。お隣のオバサンが、ジャラジャラと小銭を数えている音だったのです。
実は彼女も退院前日。
そう、同じ日に退院だったのですよ。でも彼女は昼間はいつもどおりに寝っぱなし。いろいろやる事があると思うのだけれどなと思っていたのです。
今から明日の準備なの?
だって12時回ってるよ。しかも、なぜ、なぜに今、小銭を音を立てて数えなくちゃならないわけ!?
ジャラジャラ、ジャラジャラ、・・・・
―あああ、もおおぉぉぉ、やっっだあ!!
この妖怪小銭数えお婆め!―
と言うわけで、この名前が誕生したのですよ。
でもまあ良いや、どうでも・・・。
と言うわけで、睡眠二回戦。
「いたああいいい!」と言う真夜中の叫び。
うわっ、何事?
ああ、隣の妖怪か。その時はオバサンから妖怪に昇格。この人はいつも大きな声。まるで昼間のように。
人が痛いと言ってるのに、同情はないのかって。ないよ、そんなもん。ここは病院で、みんな痛いし苦しくて、みんな不安で怖くて憂鬱で、だけどみんな頑張っているんだよ。叫ぶな、煩い。
腰が痛いんだってサ。
呼び出された看護師さんは、本当に何もすることが出来なくて、摩ってあげながら慰めるだけ。しかもこの人の声にあわせて、看護師さんも普通の声。これも、おかしいよ。
おばあちゃんたちの「お姉さん、トイレに行かせて。」と言う発言とは違うのだから、「音」として捉えることもできないし、
「ハアハア、く、苦しい。息が出来ないわ。」とか言うのじゃないんだから、病状によっては声を落とせよって、私、本当にそう思いました。
看護師さんが、少し横にならないで起きていようと言いました。そう、原因は分かってるんですよ。眩暈の時も腰痛も、みんなが起きて起きてと繰り返して言ってるのに、この人はぜんぜん言う事を聞かないんだもの。
もう退院だよ。帰ったら少し散歩しようねと看護婦さんが言っています。昼間と同じ大きい声で・・・くっ、
そして私は3時半から一睡も出来ず。
朝が来た時、本当に嬉しかったです。だけど目はショボショボ、頭の脳天はクラクラ。やたら早く顔を洗っていたら、看護師さんが検温に来ました。だけどこの人は今日退院で、問題ないなと思ったのか、私はパス。なんか気に入らない。
「変わりないですか?」と看護師さんが洗面所に立っている私についでのように聞きました。
大島弓子の漫画風に描けば・・・
「寝不足よ!この妖怪銭数えお婆が夜中に小銭数えるし、その後叫ぶし、ぜんぜん寝ていないわ!」と叫ぶ絵。だけど、顔では澄まして
「別に」と応える絵。
まあ、そのままです。
本当はこの人、退院時にも大騒ぎの続きがあります。でもそこは私には関係ない所なので書くわけにもいかないのですよね。
最後のジャラジャラには本当に腹が立ったけれど、上に書いたとおり「THE 入院」と言うドラマだったら、彼女が準主役です。いなかったらドラマが成り立ちません。書かなかった部分も含めて面白い人だったのです、・・・今思うと。
「家政婦のミタ」ではなく「家政婦は見た」並みの気持ちに思わずなっていた私は、その後の展開が気になってはいたものの、まさかその展開を見届けるわけにもいかず、病院から退場です。
心の中で「お大事に」と言いました。と、その時子供の時に聞いたひとつ前の記事で書いた、あの話を思い出したのです。
「お大事にと言うと、病気を大事にするやつがいる。」と言うアレ。
私はふと、お医者様でも草津の湯でも治せないのは恋の病ばかりではなく、その人の『心根』なるものではないのかなと思いました。
家に帰って、お昼寝と言うわけにはいかず、むしろ私、張り切ってしまいました。お掃除して、ご飯を作って、そんな何でもない事が楽しくて。そして夜はぐっすり眠りました。
そうなるんじゃないかなと予想していた通り、足がちぎれるように痛かった坐骨神経痛はあっという間に治ってしまいました。
やっぱり~、おウチが一番一番・・・・♪
※ ※ ※
この記事の中で「考えてみると」「今思うと」と言う言葉を使っていますが、本当は病院にいるときからわかっていたことがあるのです。あの人は家に帰っても一人。優しい息子さんがいて、その子の会話から近くに来てくれる日も近いような感じです。でも今は一人で、原因が何処にあるかは自分でも気が付いていなくても、調子がなんとなく悪くて腰も痛くて、そして気力もないのです。ここにいれば、そして辛さを訴えていれば、みんなが親切です。上げ膳据え膳だし、帰りたくないよね。
友達になったって、煩そうな顔をされちゃいそうだから言わなかったと思うけれど、
「ふん!」って強気で生きていこうよ!!
いつか病気の事も書く日が来るかもしれません。癌ではないので安心してください。この体験記も一応終わりです。でも、又入院と言う体験をしてしまう可能性もなきしもあらず。「体験記2」がないように努力している所です。
最後まで読んでくださってありがとうございます。