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Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

ウイングマン

2009年12月15日 | マンガ・アニメ

現在連載中の「ゼットマン」もそうだが、変身ヒーローものを多く手がけるマンガ家・桂正和の連載デビュー作にして代表作。

正義のヒーローに憧れる中学生・広野健太が自分が考え出したヒーロー、ウイングマンに変身する力を得て活躍する物語。

だが、かわいい女の子を描くコトに定評がある作者だけに、単なるヒーローものではなく、画面に華を添えるウイングガールズのサービスカットや健太、アオイ美紅の三角関係などラブコメの要素で女性ファンにも人気を博し、「夢戦士ウイングマン」のタイトルでTVアニメ化もされた。

 

週刊少年ジャンプでの連載開始が1983年と、ちょうど自分が中学にあがった頃で、同世代のヒーロー好きの主人公には素直に感情移入し、個人的にはとても思い入れのある作品である。

 

現在はだいぶ浸透して、市民権を得た(?)言葉になった感があるが、当時、ちょうど「オタク」(「おたく」or「ヲタク」・・まあ、表記は別にどーでもいーけど・・)とゆー言葉が世に出回り始めた頃で、中学生にもなって、アニメやTVのヒーローものを見てるよーな輩は「オタク」のレッテルを貼られ、マイナーで暗い奴・・という差別や蔑視の対象になったりしたものだ。

自分としては、ただ単に好きだから見てるとゆー感じであったが、当時は「オタク」という言葉がヘタに流行ってしまったため、”「好き」なものを「好き」と言えない”妙な空気が漂い、非常に窮屈な違和感をおぼえたものだ。

まあ、今にして思えば、中学生とゆー微妙な世代ゆえの、ありがちなコトだったのかもしれないが・・。

 

そんな中、このウイングマンの主人公の健太はとても脳天気とゆーか、前向きで明るく、正義のヒーローになるコトを夢見る直情径行型の少年。

マンガの中でも友人たちにバカにされたりしながらも、俺は正義の味方になりたい!・・と声高に叫ぶかのよーに、まっすぐ夢にむかって突っ走る。

 

そう、健太は”「好き」なものを「好き」と言える”主人公なのだ。

 

健太の正義のヒーローになりたい!とゆー”夢”から生まれたのがウイングマンなので、”夢”がなくなると変身できなくなってしまう。

そこをついて、バクプラスとゆー敵が健太の”夢”を食べてしまうエピソードがあるのだが、奪われたヒーローの”夢”を取り戻す際、過去の記憶をたどっていくと、健太の”ヒーロー魂”が誕生した原点ともいえる場面がある。

それは12歳の時、いつもの友人たちにヒーローゴッコをしようと誘うが、もうバカバカしいから、お前もそろそろやめろと断られてしまうのだ。

 

ここでの切り替えが健太のすばらしいトコロだが、健太は

ゴッコだからバカバカしいんだ。遊びだから幼稚なんだ。ヒーローを本気でやればいいんじゃないか・・と考え、

「テレビのマネもしないぞ。自分の考えたヒーローをやるんだ!」

―こうして生まれたのが、ウイングマンなのだ!

 

その翼のはえた漆黒のスーツ(当初、健太が考えていたのは赤であるが)のデザインのカッコよさもさるコトながら、特にデンジマンサンバルカンといった戦隊もの宇宙刑事シリーズのような派手なアクションやけれん味たっぷりの決めポーズ!

地上では10分しか変身していられないため、体の色が青→黄→赤と変わるトコロはウルトラマンのカラータイマーから!

ストーリー序盤から最後の最後まで登場する、ただの敵というだけにとどまらないタイガージョーハカイダーを彷彿とさせるクールで強い好敵手(ライバル)、キータクラー

ソーラーガーダーから繰り出す必殺技、ヒートショックはまるでボルテスV超電磁ボール天空剣・・と、さまざまなヒーローへのオマージュ的な作品といえよう。

 

”オマージュ”というと聞こえはいいが、ともすれば”パクリ”になってしまう。

しかし、決して単なるヒーローもののパロディ作品になっていないのが「ウイングマン」のすごいトコロ!

ウイングマンのオリジナルにして、最大最強のデルタ・エンドのカッコよさ、スケールのでかさはマンガだからこそ出来た、80年代ヒーローものの集大成的な必殺技ではなかろうか?

 

20年以上たった今なら、実写でも出来るんじゃないかなー・・。

ぜひ見てみたいものだ。

 

健太のよーに、いくつになっても正義のヒーローになりたい!・・という夢を忘れずにいたいなあ・・。

 

叫べ!チェイング!!

悪!滅!ウイングマン!!

 


カムイ外伝

2009年09月19日 | マンガ・アニメ

今日から全国公開される「カムイ外伝」

監督は崔洋一、主演は「デスノート」「デトロイト・メタル・シティ」など、マンガが原作の映画にも多数出演している松山ケンイチ

原作は「サスケ」「忍者武芸帳」など、忍者モノを多く手がける白土三平による抜け忍・カムイを主人公とした物語。

 

現代は「格差社会」といわれるが、カムイは「士農工商」という厳しい身分制度が存在する時代にあって、その最も底辺であるの出。

その身分制度の縛りの中から抜け出すために、カムイは己の力を活かし、忍びとして生きる道を選ぶ。

しかし、自由を求めて飛び込んだ忍びの世界は、さらに厳しい掟に縛られた世界。

 

カムイは忍びの世界の掟という縛りから抜け出すために、抜け忍となる。

しかし、それは常に追っ手から命を狙われる・・という、どこまで行ってもがんじがらめの茨の道であった・・。

 

「生き抜け!」

・・というキャッチコピーが印象的なこの作品。

自分が生きるために追っ手を殺さなければならない・・という状況に葛藤しつつも、生き抜くために、己の手を血に染め続けるカムイ。

年間3万人、日に100人近くが自ら命を絶つ現代の日本にあって、自分が生きるために人を殺し続けるカムイの”生(あるいは自由)への執着”ともいうべき姿は、強烈なアンチテーゼにも映る。

当然、映画はまだ見ていないが、どのような作品に仕上がっているか、非常に楽しみだ。

 

さて、「カムイ外伝」という以上、当然、本伝がある。

それが「カムイ伝」だ。

現在、第2部までが終了しているようで、1964年の連載開始から40年以上たった今も未完という本作は、白土三平のライフワークと呼ぶにふさわしい壮大なスケールの作品。

「カムイ外伝」は、いわばそのスピンオフ作品といえよう。

全3部作とされ、第3部は現在構想中とのコトで、さまざまな階級の人々の視点から時代を紡ぎだし、特に第1部は”唯物史観の教科書”といわれるほど、当時の農民やといった被支配者階級が、支配者階級である武士たちからいわれなき抑圧・搾取・差別をただひたすら、徹底的に受け続ける・・という凄惨なストーリーで、とにかく農民やたちの悲惨な生活の描写は、とことん”重い”・・。

 

ウチの奥さんも「カムイ伝」を読んで、「なんでこんな人が殺されるばっかで、何のイミがあるん?誰もしあわせにならん!」とその不条理さ加減に怒っていたが、その意見ももっともだなあ・・と思わされるほどの”行き過ぎた感”は否めない。

 

それもそのはず、白土三平の父は社会主義運動家であり、彼自身も根本的な思想の傾向としてマルクス主義者のようで、まず「支配者層に抑圧・搾取されている被支配者層」という構図ありきでストーリーが展開されている。

マルクス主義者にとっては、この前提がないと話がはじまらないし、訴えるものもなくなってしまうからであろう。

「カムイ伝」を連載するために創刊された漫画雑誌「ガロ」自体が、社会主義を志向する当時の学生運動をベースとした学生たちの文化に支えられていたコトも背景にあるようで、「
権力者の圧政に苦しむ貧困層・下層階級」を必要以上に強調し続けるコトで、人気を博したというのもその一因であろう。

 

「カムイ伝」は、当時の若者や学生たちが、時代の閉塞感から鬱屈したやり場のない怒りを集積する一つの”場”であったのかもしれない。

 

しかし、「社会が悪い」、「政治が悪い」、「大人が悪い」・・と責任転嫁し、「革命」という手段に訴えても、多くの血が流されるのみで、真に幸福で自由な社会は、そんな破壊活動からは生まれない。

 

いままた、「格差」や「貧困」から、プレタリア文学の代表作である小林多喜二「蟹工船」が注目されたり、学生運動が再燃、機動隊と衝突・・なんてニュースを聞く。

過去の過ちを繰り返さず、そのエネルギーをぜひ、建設的なものに使って欲しいものだ。

 

なんにせよ、時代が生み出した名作であるコトは間違いない。

その迫力には圧倒される。

 

「カムイ伝」のもう1人の主人公である優秀な農民のリーダー、正助は、農民やたちの生産性をあげ、生活を向上させるコトで改革を試みるが、志半ばで(武士の策略もあり)仲間である農民たちから殺されてしまう。

その姿は、待ち望んでいた救世主であるイエスを十字架にかけてしまうイスラエル民族を彷彿とさせる。

 

覚悟のある方は、ぜひ、ご一読を・・。

 

 

 

                               

 

 


キン肉マン

2009年09月09日 | マンガ・アニメ

週刊少年ジャンプで1979年から連載が開始されたゆでたまごのデビュー作にして代表作。

最初は「ウルトラマン」をパロディにしたギャグマンガであったため、キン肉マンが巨大化し、キン肉ビームという光線で怪獣と戦ったり、おならで空を飛んだり・・という感じであったが、途中から超人同士が戦う”超人プロレス”という格闘技路線に変更し、人気が出た。

 

「北斗の拳」とならび、多くの格闘家にも影響を与え、「キン肉マン」好きの格闘家は多い。

ガチャガチャの「キン消し」と呼ばれた「キン肉マン」に登場する超人の消しゴム人形は、社会現象になるほどのブームになった。

最近、また再販されてるようで、ガチャガチャでたまに見かけるが、かつてのブームには遠く及ばず、我々世代のノスタルジーを誘う程度である。

 

一般公募で選ばれた超人たちのデザインは個性的で、どれも魅力的だ。

あのロビンマスクラーメンマンでさえ応募されたデザインなのだから驚きだ。

ラーメンマンなんか「闘将!!拉麺男」(たたかえ!!ラーメンマン)という1つの作品になってるくらい・・。

 

しかし、ジャンプにありがちな、人気が出ると連載が伸び、強敵が後に味方になる・・という展開を繰り返し、「7人の悪魔超人編」「黄金のマスク編」「夢の超人タッグ編」あたりまではリアルタイムで読んでいたが、「キン肉星王位争奪編」になると面倒くさくなって途中から読んでいない・・。

(最後だけはさすがに読んだが・・)

 

ムチャクチャな後づけ設定が多く、唐突かつ荒唐無稽な展開も、”解説超人”の異名をもつテリーマンが、必ずといっていいほど

「そういえば聞いたことがあるっ!!

・・と無理やり解説をはじめる力技・・。

あの「超人強度」は一体何だったんだ?・・ちゅーくらい「火事場のクソ力」「友情パワー」は破壊力のある設定だ。

(ガンダムにおける「ニュータイプ」と「ミノフスキー粒子」くらい・・

 

 

特に超人強度1000万パワーを誇るバッファローマンと戦う際、100万パワーのウォーズマンダブル・ベアークローで100万×2=200万!通常の2倍のジャンプ(×2)で400万!さらに3倍の回転(×3)で1200万パワー!!(笑)

・・という計算にはぶっ飛んだ。

 

しかし、ツッコミ所が多い方が親近感がもたれると、作者が意図的にやってる面もあるようだ。

「DRAGON BALL」悟空が、大猿に変身する秘めたパワーが、後の成長の”伸びしろ”になったように、キン肉マンの巨大化するパワーが「火事場のクソ力」なんだと解釈すれば、理屈が通らないワケでもない。

 

まあ、言うてもマンガ・・とにかく、面白ければよいのである。(笑)

 

現在もキン肉マンの息子・万太郎が主人公の「キン肉マンⅡ世」が連載中。

今年、連載開始から30周年を迎えるが、去年が29(ニク)周年というコトでさまざまな企画で盛り上がったようだ。

 

「友情パワー!!」

「火事場のクソ力ァァーっ!!」

 

・・苦しい時は、これで乗り切るしかない。

 

ちなみにこれは”ファイティング・コンピューター”ウォーズマンの計算ミスの図・・。(笑)

「やっぱ俺、100万パワーやん・・

 

・・屁のつっぱりはいらんですよ!!


バガボンド

2009年07月18日 | マンガ・アニメ

昨日、7月17日は漫画の日だったそうだ。

1841年の7月17日に、イギリスで世界最古の漫画週刊誌「パンチ」が創刊されたコトに由来するのだとか。

 

そこで実施されたオリコンのアンケート調査の結果、「後世に伝えたい漫画」の第1位に、バスケットボール漫画の金字塔である井上雄彦「SLAM DUNK」が選ばれたそうだ。

さすがに国内累計発行部数1億部はダテじゃない!現在は1億2000万部を超えているという。

 

ちなみに2位が「ONE PIECE」、3位が「ドラゴンボール」で、奇しくも「週刊少年ジャンプ」の作品がTOP3を独占したかたちだ。

以下TOP10までは順に4位「ドラえもん」、5位「サザエさん」、6位「名探偵コナン」、7位「こちら葛飾区亀有公園前派出所」、8位「ちびまる子ちゃん」、9位「鋼の錬金術師」、10位「花より男子」となっている。

「漫画に興味がある」10代、20代、30代の男女各150人の計900人を対象にしたアンケート結果とのコト。

このTOP10、自分が選んだら、全然違うもんになるだろうけど・・。

皆さんはいかがでしょうか・・?

 

個人的には「SLUM DUNK」に対する思い入れは、それほどあったワケではない。

読むのもやるのも格闘技ばかりで、当時から球技、特にバスケットボールはま~興味がなく、「SLAM DUNK」もリアルタイムでなく、連載が終わってから一気に単行本で読んだクチだ。

 

自分は井上雄彦作品といえば、迷わず「バガボンド」をあげる。

現在30巻まで出ており、こちらも国内累計発行部数5000万部以上を記録しているという超メガヒット作だ。

 

 

現在、「モーニング」で連載されている本作は、吉川英治の小説「宮本武蔵」を原作としているが、キャラクターやストーリーには井上独自のアレンジが大きく加えられ佐々木小次郎は聾唖の天才剣士という設定になっている。

耳が聞こえない小次郎は、それゆえに研ぎ澄まされた感性で、自らが剣を振るった時の体の”声”を聴き、天才的な剣の腕を身につける。

そして、剣で命を奪い合う戦いが、唯一、相手とコミュニケーションをとる手段なのだ。

 

以前紹介した絶薬(カテゴリー/マンガ:「絶望に効く薬」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/71add750eb900774e690b0ad0f12c66c)で、井上は自分の人生のテーマは「人とつながること」だと語る。

以下、絶薬でのセリフを引用すると・・

「マンガってのは、鏡に向かって自分をとことん掘り下げていくみたいなとこがあって、結局その先に、全人類につながる普遍の何かがあるんですよ・・それをやっていくうちに、自分が見えてきた気がするんですよね。」

 

小さい頃から独り剣に生きるしかなかった武蔵は、また剣を通してしか会話ができなかった小次郎と、生死をかけた戦いを通してのみ、お互いを理解しあい、本当に相手とつながるコトができる・・という哀しいラストへと向かっていくのか、それとも、また違うラストがあるのか・・?

 

ストーリーもいよいよ佳境に入りつつある「バガボンド」から目が離せない。

 

ちなみにタイトルの「バガボンド」(vagabond)とは英語で“放浪者”、“漂泊者”という意味で、「宮本武蔵」というタイトルにしなかったのは、読む前に読者の先入観・好き嫌いを持ち出されるのがいやだったのと、過去に実在した人物を好き勝手に描くのは後ろめたさを感じたからだという。

 

もともと「一コマが一つの絵画として完成している」といわれるほど画力には定評があるが、昔の絵より進歩してないといやだという井上は現在、本作は完全に筆のみで描いている。

また当初、体の線が出にくい着物の描写が思うようにいかず、特に戦闘時に不自然さが出てしまうコトについて悩み、考え抜いた末に、裸の状態を下描きの段階で一度描き、その上で着物を描き込むといった手間のかかる手法によって、この問題を解決したというから驚き!!

そのため、本作では通常の倍近い作業を要しているという・・。

 

まさしく、孤高の天才である。

 

「SLAM DUNK」を読んだ時も、その絵のうまさには驚いたものだった。

全くバスケに興味のなかった自分も、同じく全くバスケに興味のなかった主人公、桜木花道がバスケを通して成長していく姿や仲間との友情、ギャグあり、シリアスありのストーリーにぐいぐい引き込まれていったのは、ひとえにその画力による説得力ゆえであろう

 

そして、「人とつながること」を人生のテーマにする井上が「SLAM DUNK」連載のおわりに描いたのは、孤高の天才、流川楓がいつもいがみ合い、決してパスを出さなかった花道に出したパスだった。

まさしく、それは2人の心がひとつにつながった瞬間であった。 

 

あのラストの2人のハイタッチは感動モノ!!

 

う~ん、「SLAM DUNK」も、また読み返したくなったなあ・・。

 

 


新世紀エヴァンゲリオン

2009年06月27日 | マンガ・アニメ

自分はわりと小さい頃から聖書にふれる機会があったのでそうでもないが、最近の若い人は、アダムだのエヴァだのとゆーと、この作品を思い浮かべるようだ。

 

今日から全4部作のうち、2作目になる「新劇場版:破」が公開される「新世紀エヴァンゲリオン」。(ちなみに「新劇場版」は別モノだというコトで「ヱヴァンゲリヲン」と表記される)

60年代「アトム」にはじまり、70年代「ヤマト」、80年代「ガンダム」、そして90年代を代表するアニメ作品がこの「エヴァ」といえよう。(最近はブームになったもんが全部パチンコ台になるので、パチンコ屋に行けば何が流行ったかわかる・・

 

TV放映が1995年というから、もう14年前の作品になるが、一大ブームを巻き起こし、社会現象にまでなった。

「セカンド・インパクト」「使徒」「死海文書」「人類補完計画」など、作品中ではその全貌や実体が明らかにされないナゾと伏線の数々、生物学・心理学・宗教関係の専門用語を多用したつくりと緻密な作画、ラストにむけて盛り上がっていく緊迫したストーリー展開は、否が応でも視聴者を惹きつけ、その世界観の中に引き込んでいく。

しかし、自分の周りでも、最後、映画まで見たけど

「結局よくわからん・・

「監督も何も考えてねーんじゃねーか?

・・とゆー者までいたから、すべてのナゾがスッキリ解決して、ストーリーも収拾した・・とはいえない”投げっ放し感”を味わったのは自分だけではあるまい。

逆に、それだけにさまざまな解説本が出たり、ナゾ解きなどで盛り上がり、あれだけのブームになったのだともいえるだろう。

 

友人がYouTube「エヴァンゲリオンを1.5倍ぐらい楽しむ動画」とゆー「エヴァ」に関するサイトの文章を引用して説明しているのが面白いよ・・と教えてくれて見たのだが、これがよくまとまっていて、自分の中でワケのわからなかった部分が非常に整理された。

興味ある方はおすすめ!

http://www.youtube.com/watch?v=kuB2pL-53KA

 

見てない人にはまったくワケがわからないだろうが、その「1.5倍」をふまえた上での自分なりの解釈・・。

 

<聖書では、神が最初に創った人類・アダムからつくられたのがエヴァだが、伝承によるとアダムの最初の妻がリリス。(「エヴァ」ではアダムが第1使徒、リリスが第2使徒とされる)

しかし、リリスはアダムのもとから逃げだし、ルシファー(サタン)の妻となってしまう。そのルシファーとリリスとの間に生まれたのがリリン(人類=第18使徒)。いわば、人類は「堕落」した悪魔の子・・というワケである。

 

人類は完全に1つだった状態から、堕落して「自我」が芽生え、A.T.フィールド(Absolute Terror Field:絶対恐怖空間)とよばれる「心のカベ」をもつようになる。

それゆえに人は個体としてのかたちも維持できるのだが、お互いを拒絶してしまう孤立した不完全な存在になってしまう。

すべてが1つだった幸福な初源の状態に戻るには、「贖罪」が必要な「原罪」をもった存在が人類なのだ。

 

「贖罪の儀式」を行い、肉体は原始生命のスープ(LCL)に還元させ、魂は「ガフの部屋」(ヘブライ人の伝説で、神の館にある生まれてくるすべての子どもの魂の住む部屋:「エヴァ」では”白き月”=アダムの卵(使徒の魂の部屋)と”黒き月”=リリスの卵(ヒトの魂の部屋)、それぞれ南極と日本にある地下基地、ジオフロントのコトへと回帰させて、すべての人類を1つにしようとしたのが「人類補完計画」・・。

最終的に映画のラストでは、主人公はすべてが融合して「自分」「他者」もない状態より、たとえ傷つけあっても「自分」として生きていく・・という選択をする。>

 

・・これだけでも”かなり”はしょってるし、あくまでも”自分なり”の解釈なので、あしからず。

この作品の世界観を理解するには、基礎的とはいえ、聖書の知識も必要である。

まあ、作品中ですべてが語られているワケではないので、かなり自分なりに解釈できる余地があるといえよう。

 

真実は1人1人の心の中にある・・。 

 

トラウマをもった登場人物ばかりで、あまりのめり込みすぎると「鬱になるので要注意・・。(感情移入しすぎた被害者多数との話も・・

ちょっと引いて見るくらいが丁度いーのかも・・。

 

「新劇場版」はまた別モノで、今作からは新展開もあるようだが・・。

また収拾つかなくなるんだろなー・・。

 

 

 

 

 


機動戦士ガンダム

2009年04月26日 | マンガ・アニメ

「人類が増え過ぎた人口を宇宙に移民させるようになって既に半世紀。地球の周りには巨大なスペースコロニーが数百基浮かび、人々はその円筒の内壁を人工の大地とした。その人類の第二の故郷で人々は子を産み、育て、そして死んでいった。

―宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市・サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。この1ヶ月あまりの戦いでジオン公国と連邦軍は、総人口の半分を死に至らしめた。人々は自らの行為に恐怖した。戦争は膠着状態に陥り、8ヶ月あまりがすぎた・・」

・・というナレーションではじまる「機動戦士ガンダム」が放映されたのは1979年、今から丁度30年前になる。

以来30年がたった現在も、続編やサイドストーリー、派生したガンダムの名を冠する作品が作られ続ける、根強い人気を誇る作品だ。

 

今では多くのガンダム作品があるため、最初に作られた本作は”ファースト・ガンダム”と呼ばれている。このファースト・ガンダム、いわゆる1年戦争がおわるまでのわずか3ヶ月あまりを描いた作品と後に知って驚いたものだ。

ガンプラ・ブームとあいまって何度も再放送され、小5くらいでブームにぶつかった我々世代にはドンピシャであった。同世代の友人にもガンダム好きは多い。

ちなみに現在、日本のキャラクター商品の9割はガンダム関連のものだという。

 

それまでは、どこぞの研究所が開発したスーパーロボットと、宇宙から来た侵略者や世界征服を目論む悪の組織とが戦うという単純な善と悪との戦い、勧善懲悪のストーリーだったのが、同じ人間同士の戦争という設定にした本作は、まさに画期ともいえる作品であった。

事実、ロボットが出て来る巨大ロボットアニメもガンダム以前は「スーパーロボットもの」、ガンダム以降は「リアルロボットもの」と、ハッキリとその傾向が分かれるようになったコトを思えば、その影響力や推して知るべしであろう。

 

ガンダムでは宇宙空間に移住するようになった人類の未来像を、衣食住にわたってリアルさを追求、ロボット自体も当初は出さない予定だったらしいが、スポンサーの意向で出さざるを得なくなり、近年「スターシップ・トルーパーズ」で映画にもなったSF作家、ロバート・A・ハインライン『宇宙の戦士』に出てくる強化防護服パワード・スーツを出そうとしたが、

「こんなちっこいのじゃ玩具が売れん、巨大ロボットを出してくれ

・・というスポンサーの圧力で妥協して、マジンガーZ18mにしようというコトであのサイズになったのだという・・。(残念ながら、映画「スターシップ・トルーパーズ」にはパワード・スーツは出てこない・・)

 

ちなみに、これが、そのパワード・スーツ。

30年以上たった今も、全く古臭さ感じさせないそのデザインは、スタジオぬえ宮武一貴によるもので、ハヤカワ文庫版『宇宙の戦士』に、そのイラストを見るコトが出来る。

モビル・スーツというロボットの名称も、パワード・スーツの名残りというワケだ。

 

そのロボット自体も出すからには、それなりの理屈が必要というコトで、レーダーなどの電磁波を使う兵器をすべて無効にしてしまうミノフスキー粒子なるものを考え出し、有視界による近接戦闘が主体になったというコトで生み出されたのが、モビル・スーツというワケだ。当然、その描写は軍用の兵器というものだ。

 

その世界観の描写も、体制側の地球連邦とそこからの独立を望む反体制側のジオンというイデオロギーの戦いのみならず、組織内も一枚岩ではなく、さまざまな人間がそれぞれの思惑をもちながら、多様な人間ドラマを織りなす。

子供向けの巨大ロボットものの姿を借りつつ、その実、しっかりとした世界観と深い人間ドラマをもった、より高い年齢層の鑑賞にも堪えうるガンダムは時を経て、世代を越えて愛される作品となり、今に至る・・。

 

そのリアルな世界観や設定ゆえに、いくらでもストーリーを膨らませたり、派生させたりするコトが可能なのも長年愛されている理由の1つであろう。

しっかり作ったものは長持ちする!・・というよい例だろう。

 

ちなみに自分にとってガンダムといえば、ファーストのシャアアムロがメインで、後はあんまり興味なかったりするが・・。

 

実際、原作者の富野由悠季は、全身全霊で血を吐いて自分を出し切った作品からはずされ、自分の手を離れて作られていくガンダム・シリーズを見て一時期鬱になり、自殺さえ考えたそうだ。

彼は以前に紹介した『絶望に効く薬』(カテゴリー/マンガ・アニメ:「絶望に効く薬」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/71add750eb900774e690b0ad0f12c66c)の中で、こう言っている。

『つながりが見えないことが、要するに絶望なんです。人は、人から認められて初めて安心できる存在なんだ。他者がいて、初めて自分がいるんだ・・・「俺が」「私が」って考えるのをやめることが、一番のクスリになるわけです。「我ありき」で考えないことです。』

 

そして、当初概念が曖昧で、さまざまな解釈ができたニュータイプについては、”相手の思っていることを、間違いなく理解できる能力をもった人”であるとしている。

  

ジャーナリストでノンフィクション作家の立花隆は、実際に宇宙に行ってきたNASAの宇宙飛行士にインタビューして 『宇宙からの帰還』を書いた。

その中の1人、 ドン・アイズリはこう言っている。

「眼下に地球を見ているとね、このどこかで人間と人間が領土やイデオロギーのために血を流しあっているというのが、信じられないくらいバカげていると思えてくる。声を出して笑いたくなるほど、それはバカげた事なんだ。地球にいる人間は、結局、地球の表面にへばりついているだけで、平面的にしかものが見えていない。平面的な相違点がやたらに目につく。その違いと見える全てのものが、宇宙から見ると、全く目に入らない、マイナーな違いなんだよ。宇宙からは、マイナーなものは見えず、本質が見える。相違は現象で、本質は同一性である。同じだという認識が足りないから争いが起こる」

 

もしも、地球連邦という世界統一政府ができ、人類が宇宙に移民できるような科学力をもち、 そこで新しい世代が生まれるほどの時代を迎えながら、まだ戦争という愚かしい行為を繰り返しているとするならば、ニュータイプのような人類の真の革新は、まだまだ遠いとしか言いようがない・・。

 

 

  

 

 

 

 

 


ロボットもの

2009年04月21日 | マンガ・アニメ

最近、マジンガーZのアニメがリメイクされ、放送されているそうだ。

タイトルは「真マジンガー 衝撃!Z編」!!

当時、放映してたものをそのまま再放送するのではなく、リメイクするというトコに「巨大ロボットアニメ」も、とうとうネタも出尽くして一巡したかなあ・・なんて思わされたりする。

まあ、40年近く前の作品を再放送するのもムリがあるだろうが・・。

 

日本初のアニメはご存知、手塚治虫「鉄腕アトム」。1963年からの放送の本作、主人公のアトムはまあ、ロボットだが巨大ではない。

同じ年に「鉄人28号」が放送され、こちらは巨大ロボットだが、リモコンで遠隔操作するロボット。人が乗って操縦する、いわゆる「巨大ロボットアニメ」の元祖とされるのがマジンガーZだ。

ちなみに当時の子どもたちの夢の玩具であった超合金というネーミングは、マジンガーZが”超合金Z”という材質で作られているという設定に由来する。

その放送は1972年からで、自分が生まれた年の翌年からの放送だ。

世代的にも丁度、”巨大ロボットもの”とともに成長してきたコトになる。

「マジンガーZ」、「グレートマジンガー」、「UFOロボ グレンダイザー」、「ゲッターロボ」、「勇者ライディーン」、「超電磁ロボ コン・バトラーV」等々・・。

 

今となってはほぼ内容は覚えてないが、夢中になって見た覚えがある。 

自分が乗って動かすロボットの中でも、合体変形するものにはカタルシスを感じたものだ。

 

合体変形するロボットの元祖はゲッターロボで、1974年の放送。

しかし、このゲッターロボの合体変形は理屈もヘッタクレもない荒唐無稽なもので、子ども心に

「ありえへん・・

と思いながら見ていたものだ。

実際、スポンサーの玩具メーカーも玩具化できないので苦心したらしい。

 

その辺が考慮されて、玩具化可能な変形が出来るライディーン(1975~)や合体変形を極めたコン・バトラーV(1976~)へとつながっていく。

中でも5体のマシンが合体してロボットになるコン・バトラーVは個人的にも思い入れが深い。今でもトランスフォーマーとか「ちゃんと変形する」というものに惹かれるのは、このコン・バトラーVが原点かなあ・・と思う。

 

ちなみに合体変形するロボットの元祖がゲッターロボと書いたが、それに先立つコト7年前の1967年、実は実写で合体変形するロボットがすでに登場しているのだ。

それが円谷プロ「ウルトラセブン」に出てくるキングジョーなのだ!

4機の衛星や円盤が合体してロボットに変形、セブンを苦しめた。

アニメではゲッターロボだが、こちらが正真正銘、合体変形ロボットの元祖といっていいだろう。

 

弱点は転ぶと自力で起き上がれないコト・・。(笑)

 

どーでもいー人にはどーでもいー話だな・・。

 

さて、「巨大ロボットアニメ」といえば、画期となったあの作品を忘れてはならない。その話はまたいずれ・・。

 

 

 

 

 


ドラゴンボール

2009年03月23日 | マンガ・アニメ

1984年から11年間にわたり週刊少年ジャンプで連載された「DRAGON BALL」は、2008年12月の時点で、発行部数は単行本と完全版を合わせて1億5000万部以上!全世界では3億5000万部を超える!といわれる超ド級のメガヒット作品!

当然、アニメにもなり、世界40ヶ国以上で放映、各地で熱狂的なファンを生み、ほとんどの日本人は読んだコトがあるか、少なくとも見かけたコトはあるだろう。

その人気および経済効果は国内のみならず、世界的な規模にまで拡大し、それ単体で「一大産業」と呼ばれるまでになった本作は、その市場に与える影響力の大きさゆえに、作者の鳥山明や編集部の意向だけでは連載を終了させるか否かの決断を下すコトが不可能な状態になってしまったという。

 

しかし、作者はかなり早い時点、ピッコロ大魔王の息子(ピッコロ自身か?マジュニアとの決着をつけたところで物語を完結させる予定だったらしい。

(そうなんだ・・?

まあ、実際読んでいても、フリーザを倒したあたりで終わらしてあげたらよかったのになあ・・と思ったりもする。魔人ブウが出てくるあたりでは、あきらかに作品全体のテンションが下がり、

「もうやめさせてあげたらいいのに・・

・・と幾分、作者に同情しながら読んでいたのを覚えている。

 

主人公、孫悟空はどんどん強くなり、超サイヤ人も3まで・・。

強敵がいつの間にか味方になるというジャンプの長期連載作品にはお約束のパターン・・。

 

絵画でも映画でもマンガでも、作り手の好きなように作らせてあげたい・・とは思うのだが、多くの人から支持される作品というのは、それだけ作り手の手を離れてしまうものなのかもしれない。

お金を出してくれるスポンサーの意向も汲まなければ、作品自体作れない(・・とゆーか食っていけない)という状況は、昔も今も変わらない。

 

芸術で食っていけるのか?

 

・・という「芸術」と「お金」の問題は常に表現者にはつきまとう。

おそらく、もう描かなくても鳥山明は全然食うには困らないだろうけど・・。

 

現在、ハリウッドで実写映画化された「DRAGON BALL EVOLUTION」が公開中!

その出来は見てないので不明だが、作者も別モノとして楽しんで・・とコメントしているくらい。

CMの映像を見るだけでもお金はかかってそう・・。

しかし、日本のマンガのハリウッド映画化の話は幻におわるコトの多い中、実際こうして公開されるのだから、その影響力や、推して知るべしであろう。

たしか、ずいぶん前に「ルパン3世」がハリウッド映画化されるとか聞いた気が・・。

 

しかし、チョウ・ユンファ亀仙人て・・。

 

 

 


ジョジョの奇妙な冒険

2009年03月04日 | マンガ・アニメ

「ドッギャーンッッ!!!!」

「ふるえるぞハート!燃えつきるほどヒート!!」

 

・・数々の名ゼリフを生み、”ジョジョ立ち”なる言葉まで生み出した理解不能なポーズと迫力ある擬音、”濃い”キャラクターに圧倒的な画力、なにより予測できないストーリー展開と”荒木飛呂彦ワールド”ともいえる独特の世界観は、読む者を惹きつけるか、完全にシャットアウトしてしまうか・・。(笑)

しかし、友人にもコアなファンの多い荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』!!

オドロオドロしい絵はちょっと女性向きではないかもだが、中には子持ちの主婦だが、ジョジョにハマってるという、なかなか稀有なセンスの持ち主も・・。

以前、アメトーク「ジョジョの奇妙な芸人」特集をしていたが、ケンドー・コバヤシをはじめ、ジョジョ好きの芸人も多い。スピードワゴンにいたっては、ジョジョからつけたコンビ名だという。

 

現在、第1部「ファントム・ブラッド」、第2部「戦闘潮流」、第3部「スターダスト・クルセイダーズ」、第4部「ダイヤモンドは砕けない」、第5部「黄金の風」、第6部「ストーン・オーシャン」までが完結し、第7部「スティール・ボール・ラン」が連載中。(・・と思う。「スティール・ボール・ラン」は読んでないのだ・・

第1~6部はジョースター家の血統を継ぐ者たちの物語で、第7部は別次元世界の物語?・・というコトらしい。第1部のジョナサン・ジョースター、第2部のジョセフ・ジョースター・・のようにすべての主人公が名前から”ジョジョ”というあだ名をもつため、このメイン・タイトルなのだ。

ちなみに第1部の主人公、ジョナサン・ジョースターの名前はファミリーレストラン「ジョナサン」で打ち合わせをしていて、そこからとったのだという。

 

キャラクターでは第2部のジョセフも捨てがたいが、第3部の空条承太郎が好きだなー。彼は第3~6部まですべてに登場する。(5部は導入でちょこっと出るくらいだが・・

ストーリーではリアルタイムで読んでた第1部、第2部、第3部までが特に思い入れがある。

作者は第4部に思い入れがあるようで、実際、紙数も最も多く割いていたりする。東方丈助クレイジー・ダイヤモンドは好きなスタンドだ。ラストは泣ける。第5部のジョルノ・ジョバーナもなかなか。承太郎の娘・徐倫が出てる第6部も面白かった。

 

正直、第3部まではかなりハマって連載も追って読んでいたが、第4部の途中からは少々中だるみしてしまって読んでなかったのだが、一気に読むとどれも面白い!

 

なにしろ、第3部から登場する”スタンド”という超能力の概念がなかなかに難解で、さまざまな定義やルールはあるのだが、「ん?これはどーゆーコト・・?」と疑問が出てきてしまうコトも多々あったり・・。 

作者によると、第2部を執筆中に何か新しい「概念」はないかと模索、肉体ではなく、「心の強さ」を絵で描けないか?・・というコトで生み出されたのがスタンド能力。

その言葉をそのまま引用すると、”今までの超能力は「目を見開き、汗を流し、血管ピクピクいわせて」岩を砕く。ジョジョでは姿がビジュアルとして現れて岩を砕きに行く。”

 

”超能力というよりも精神の力、という概念”

 

・・まあ、読んだコトのある人には、もう説明は不要だろうが、このスタンドという概念は画期的なものであった。

 

しかし、その能力はどんどんエスカレートして、時を止めるのから、生命を生み出したり、しまいにゃあ気象を操るという「お前は神かっ!?」とツッコミたくなるものまで!

それをパワーで読ましてしまうあたりが、荒木飛呂彦のすごさなんだろーなあ・・。

第1~2部の波紋の戦いもよい!

もともとはスタンドも”幽波紋”といわれていたんだから、その辺をもうちょっとスタンドの概念でも引っ張って広げて欲しかったかなあ・・。誰でも使える能力でもないワケだし。

個人的には荒木作品は、前作の『バオー来訪者』から好きだった。

 

その作品全体のテーマは「人間讃歌」というこのジョジョ。

勇気をもって運命に立ち向かう主人公たち。

ひたすらドス黒い悪をつらぬく強大な敵・・善も悪もメチャメチャ前向きだ。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラ」

「貧弱、貧弱~!!」

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」

 

・・というワケで、「ジョジョの奇妙な冒険」は、世界一イイイイイイイイイイ!!!! by シュトロハイム

 

ぜひ読んでみてね。

 

 

 


修羅の門

2009年02月02日 | マンガ・アニメ

高校時代、同じ柔道部の友人Kからすすめられた格闘技マンガ。当時、読んでたのは主に週刊誌で、月刊マガジンに連載されてたこの『修羅の門』は全くのノーマークだった。

「絵は下手だけど面白いよ!羽山戦はマジで泣ける!」

・・とすすめられ、単行本を借りて読んだらすっかりハマってしまった。

当時「あの時食ったメシの味は、忘れない!という羽山悟のセリフや、柔道場で「紫電三連脚!」とかやって修羅の門ごっこで遊んでいたKの姿が、昨日のコトのように思い出される。(笑)

 

ひさびさに読み返したくなって、文庫本版を古本屋さんで購入。背景がやたら”白い”マンガなので、文庫本くらいのサイズの方が良いかも・・。

ちなみに先日のブログに書いた川原正敏の格闘技論とは、この文庫本版のあとがきに書かれていたものだ。

 

主人公・陸奥九十九は千年不敗を誇る伝説の古武術、陸奥圓明流の継承者。Wikipediaによると第40代継承者となっていた。へえー、知らんかった・・。

陸奥圓明流は時代の影に生きてきた武術だが、九十九が自分の代で圓明流をおわらせようと、地上最強を証明する為に陽の下に出てきたというストーリーで、とにかく、「世界中の強いヤツと手当たり次第に戦って、それを全部倒したら、とりあえず地上最強ちゃう?」・・というおそろしく短絡的な考え方も垣間見えるが、それを実際にやってしまうあたりが、さすがマンガである。

そして、そのコトを比喩として「神さまにケンカを売っている」という九十九の行動は、まさしくあちこちにケンカを売っては戦うという繰り返し!(笑)

 

しかし、とにかく面白い!

 

今もいろんな格闘技マンガがあるが、個人的には思い入れも含め、ベスト3には入れたい作品である。

現在第4部までで未完のまま終わっていて、連載当時は第2部の飛田高明戦あたりが一番盛り上がりながら読んでた覚えがある。丁度、前田日明第2次UWFを旗揚げしてブームになっていた頃だ。

ちょっと前に前田がインタビューであの当時を振り返り、「顔面を蹴るのはいかがなものか?」とUWFのTV放映が見合わせられたという話をしつつ、今は顔面踏みつけんのをゴールデンタイムに流してるんやから、時代は変わった・・と述懐していたのが印象深い。

 

おすすめは第3部、九十九がボクシングのヘビー級に挑戦する話で、戦いそのものはボクシングのリングというコトで地味になりがちだったが、伝説のトレーナー・エディ・タウンゼントをモデルにしたテディ・ビンセントとのボクシング界そのものに挑戦するかのような歩みは、今読んでもあらためて感動してしまった。

・・というのも、現在、異種格闘技戦というのは、わりと自由度の高いリングが多数存在するため見るコトができるが、残された最後の夢の舞台がやはり、ヘビー級のプロボクシングのリングだからだろう。

リング上での戦いそのものより、リングにあがるまでの過程の方が面白いかも。またアメリカが舞台なだけに、人種差別問題やジャパン・バッシングのいいネタである捕鯨問題についてもストーリーの背景と絡め、独自の理論を展開していて、なかなか読み応えあり。

 

また圓明流が千年続いている武術というコトで『陸奥圓明流外伝 修羅の刻』という各時代の圓明流継承者と歴史上の人物や剣豪との戦いや絡みが描かれている外伝もあり、本編の第3部とリンクしていたり、時系列はバラバラだが、こちらもなかなか面白い。

いずれ、九十九の祖父・陸奥真玄と神武館館長・龍造寺徹心、そしてフランク・クラウザーの若き日の出会いと戦いを描いた修羅の刻版『空手バカ一代』を読んでみたい。

 

ちなみに現在、作者は『海皇紀』を月刊マガジンに連載中。この主人公、ファン・ガンマ・ビゼン・・て、未来の陸奥圓明流継承者じゃないだろうか?・・という疑いを今だに捨てきれずにいるのは自分だけだろうか・・?

 

陸奥九十九いわく、「戦う事」とは「怖いと思う事」

しかし、「そこから逃げない事」

 

いずれ、また本編も続編が描かれる日を楽しみにしたい 。