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「カラヤンのシェーンベルク/ポール・パレーのシューマン/堀米のモーツァルト/潮田のバルトーク」

2009年01月09日 07時54分27秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)




 以下は、半年に一度のペースで、詩誌『孔雀船』に掲載している新譜CD雑感のための原稿。2009年1月発売号、つまり、最新号のための原稿で、実は昨日書き終えたばかりです。私のブログとの重複掲載の了解をもらいましたので、掲載します。この半年間の新譜CDの中から、私が書きたいと思ったものです。



■カラヤンの「ロンドン・ラストコンサート」を聴く
 一九八八年一〇月五日にロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで行われたカラヤン指揮ベルリン・フィル・コンサートのライヴ録音。英テスタメントからの発売で、音源はBBC放送の正規の中継録音テイク。曲目は、シェーンベルク『浄夜(弦楽合奏版)』とブラームス『交響曲第一番』だが、とにかく、『浄夜』の演奏が凄い! これは美しく、気高く、そして限りなく悲痛な音楽と、その果てに広がる浄化された世界とが表裏一体を成している唯一無二の演奏と言える。西洋音楽を演奏するオーケストラの歴史で、おそらく最高のアンサンブルに到達したカラヤンとベルリン・フィルにして初めて成し得た演奏の記録だ。
 思えば、その予兆とも言うべきものが、一九六〇年にEMIに残されたバルトークの『弦・チェレ』だったが、それは、カラヤンもベルリン・フィルも、そしてそのほかの全てをも飲み込んだ戦時下にうごめいていた悪霊たちに対する、総決算の始まりだった。戦後しばらく、ウィーンでの演奏を禁じられたカラヤンが活動拠点とした再出発の地「ロンドン」での、最晩年に行われた渾身の演奏の凄みに触れて、私は身震いを禁じえなかった。カラヤン~ベルリン・フィル、恐るべしである。


■ポール・パレー『シューマン交響曲全集』の初CD化
 一九七九年に死去したフランス系の名指揮者、作曲家のポール・パレーは、レコード録音のキャリアとしては、米マーキュリーへのデトロイト交響楽団とのものがほとんど。フランス音楽の録音が多いが、どれも洒脱な生き生きとした音楽が聴ける名演だ。しかし、ドイツ・ロマン派音楽の録音はめずらしい。一九五四年から一九五八年に録音された全四曲の交響曲(「四番」のみモノラル録音)に、『マンフレッド序曲』を加えての初CD化だが、タワーレコードの「ヴィンテージコレクション」としての発売なので、タワーレコードでしか売っていない。
 パレーの演奏によるシューマンの交響曲では、ドイツ的な混沌の森に迷い込みやすい音楽が、透徹した響きの折り重なりによって実現していることに感心する。例えば『交響曲第二番』。特に終楽章をパレーの演奏で聴くと、「重厚な響き」とひと言で済ませていたことが、どのような音の重なりで達成されているのかについて、想像をめぐらせることができる。この時代に既にシューマンの、みずみずしくも不分明な音楽が創造される瞬間を活写し得た演奏があったことを、恥ずかしながら、初めて知った。これで、CD2枚組一五〇〇円とは、お買い得である。


■堀米ゆず子とヴェーグによるモーツァルト『協奏曲全集』
 これも、知らなかった録音である。堀米ゆず子が巨匠シャードール・ヴェーグ指揮カメラータ・ザルツブルク室内管弦楽団のすばらしいサポートを得て、三〇歳代前半に録音したものだ。『三番』『四番』が一九八八年の国内録音。『一番』『二番』『五番』が一九九〇年オーストリア録音。いずれもソニー原盤だが、これも「タワーレコード」の企画商品である。二枚組で一八九〇円。
 私にとって堀米ゆず子は、一九八〇年のエリザベート王妃国際コンクールでの優勝時に録音発売されたシベリウスの協奏曲のしなやかな音楽が忘れられないが、その後、しばらく私自身は、書籍編集者としての仕事が多忙すぎて、音楽を聴く(というよりも、新譜レコードをチェックして購入する)という生活から完全に離れていたので、その後の堀米を知らなかったが、これは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲の多くのCD中でも、出色の全集のひとつだ。しなやかで、しかも、モーツァルトの演奏で絶対に欠かせない軽やかさが自在さのなかに達成されていて素晴らしい。そして、何より、とても暖かい。久しぶりに幸せな音楽を聴くことが出来たことに感謝している。もっと知られてよい盤だ。(冒頭写真、参照)


■潮田益子の青春の記録、バルトークとチャイコフスキー
 潮田益子については、何回か前のこの欄で、小沢征爾指揮~日本フィルハーモニーとのシベリウスとブルッフについて書いたことがあるが、これも、潮田の、極く初期の録音。一九六八年三月に録音されて発売された日本コロムビアのLPレコードの初CD化だ。伴奏は森正の指揮する日本フィルハーモニー交響楽団。 こんなことは自慢にならないが、今回の当欄は、「知らなかった」という音源ばかり続いたので書かせていただくと、このレコードの存在はかなり前から知っていた。もっとも友人の所有物で、どうしても譲ってくれないので、借り受けてCD-R に録らせてもらって聴いていた演奏だ。(つい先日会った時に、「あれはCD化されたよ」と告げて悔しがらせるのを忘れていたのが残念!)
 さて、このレコードの二曲では、チャイコフスキーももちろん堂々たる名演だが、実はB面のバルトーク『協奏曲第二番』に驚かされる。アメリカでのデビューでもこの曲を選んだ潮田だけに、一九六八年という時点で、これほどに確信に満ちたバルトークを弾いていた人は少ない。ハンガリー的なイディオムは、しばしば西欧よりも東洋的な感覚に通底するものがあるが、そのことを、久しぶりに聴き直して、改めて確信した。





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