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ディーン・ディクソンのガーシュイン録音についての続報

2013年07月25日 11時29分02秒 | エッセイ(クラシック音楽)
先日(7月19日)の当ブログに書いた「ディーン・ディクソン」のガーシュインの録音について、盤友の今村享氏からレポートが届きました。以下に全文を掲載します。
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ディクソンのガーシュインは、1963年には既に仏VOXのカタログに載っています(MV 213)が、米発売は確認出来ませんでした。
恐らく、VOXが提携していた様々の欧州クラブ・エディションによる制作だと思われます。
オケはVOXの‘発明’である、ウィーン“プロ・ムジカ”管という匿名表記が使われていますが、実体は昔からウィーン響と言われています。
VOXとエヴェレスト(オリンピック)は、70年代になってから互いに原盤を発売しあってます(ストコフスキー/NYスタジアム響など)から、ディクソンのガーシュインもそうした経緯で発売されたのでしょう。
しかし、4チャンネル盤だったとは意外でした。
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 私にとっては、ヴォックス原盤だったことが、予想外でした。たしか、私の手元のどこかに、米ヴォックスの古いカタログがあったと思いますから、今度見ておきます。VOXから発売されていたウィーン・プロムジカ管弦楽団の録音と言えば、ホーレンシュタインの第九もそうだったと思いますが、ウィーン交響楽団の変名なのですか。モノラル時代にはクレンペラー指揮で一連のウィーン響録音がありますから、サヴァリッシュのウィーン響録音がフィリップスから出始めたころ以降、フィリップスと専属契約をしてしまって、ヴォックスは、このオケの名称が使えなくなったのかな、と思いました。
 それにしても、仏盤が63年発売とは……。私の推論どおり、62年頃の発売だったようですね。じつは、先日は書きませんでしたが、私の推論の根拠は、私が持っている70年代発売のオリッピック盤のライナーノート(文字が滲んだりかすれたりしているので、明らかに先行発売盤から複写したもの)に、英文で「ディクソンがアメリカを去ってから13年の歳月が経った。」とあるからなのです。彼がヨーロッパに渡ったのは1949年ですから、13年後は1962年です。その英文解説には、ディクソンの言葉として、「私は、もはや、この国で安定したポストを求めようとは思わない。」と語ったともあります。米「TIME」誌からの引用とされています。フランクフルトの音楽監督に就任していた彼の、「悲しい負け惜しみ」が聞こえてくるようです。先日も触れた岩城宏之氏の文章では、ディクソンは最晩年に至っても、アメリカを「私の祖国」と言って、望郷の気持ちをずっと持っていたそうですから、ディクソンの本音は違っていたでしょう。この解説が掲載されているはずの米VOXの初出LPや「TIME」誌を探してみたくなりました。


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