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「城ケ島の雨」の梁田貞が見ていた、もうひとつの夢

2009年11月17日 10時44分06秒 | 「大正・昭和初期研究」関連
 以下は、先々月に出版したばかりの『唱歌・童謡100の真実――誕生秘話・謎解き伝説を追う』(ヤマハミュージックメディア)の中扉手前に、ページ調整で書いたコラムの内の1本です。まだ現役の本ですから、本文をこのブログに載せるわけには行かないですが、コラムの掲載ならば、出版社さんも、大目にみてくれるでしょう。
 最近の私のテーマのひとつ、大正・昭和初期の日本での西洋音楽受容史を探索している中から、偶然、目に触れたわずか8ページの楽譜書を眺めていて、即興で書きあげたものです。下版直前の夜のことでした。


■テノールの美しい歌声が知る「昼の夢」とは

 童謡『とんび』で知られる作曲家、梁田[やなた]貞[ただし]には、いわゆる流行歌のジャンルに、北原白秋の作詞による『城ケ島の雨』という大ヒット作がある。大正期から昭和初期にかけて、多くの青年の心を捉え一世を風靡した「新作小唄」の名曲である。
 梁田は一八八五年(明治一八年)に北海道に生まれ、東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)で声楽を学んだ人で、もともとテノール歌手としての活躍を目指していたようだ。一九一三年(大正二年)に東京の有楽座で開催された新劇運動の雄、島村抱月が主催する「芸術座音楽会第一回演奏会」のために作られた『城ケ島の雨』の初演で美しいテノールの歌声を聴かせたのは、作曲の梁田自身だった。芸術座公演では、翌年に、看板女優の松井須磨子が劇中で歌った『カチューシャの唄』(野口雨情作詞・中山晋平作曲)も大ヒットしているが、そうした芸術座を発信地とした歌の先鞭を付けたのが『城ケ島の雨』だった。梁田の作曲の特徴は、その朗々と歌い上げるメロディにあると思うが、それは『とんび』も同じだった。高らかに歌い上げる伸び伸びとしたメロディが、テノール歌手を目指していた梁田の志向を表しているように思う。
 この梁田が東京音楽学校を卒業した一九一一年(明治四四年)に作曲した作品に、『昼の夢』というものがある。今ではすっかり忘れられてしまった作家、高安[たかやす]月郊[げっこう]の作詞で、「薔薇[そうび]はなさく陰に伏して、詩[うた]を枕に仰ぎ見れば、詩の心は花に入りて、笑むよ花びら、笑みて笑みて詩となるよ」といった内容のもの。一九一四年(大正三年)に十字屋楽器店から発行された楽譜には、フルート(またはヴァイオリン)とピアノによる伴奏譜も書かれており、その表紙の絵は、当時は東京美術学校の教員だったはずの田辺至が寄せている。
 梁田の「まえがき」には、「この拙い曲を公けにするにあたり、美しい詞をお与え下すった高安月郊先生と、装幀の労をお執り下すった田辺至先生に感謝の誠を捧げる」とあり、卒業記念作品の出版のような楽譜だ。
 私は、昭和に入ってからの奥田良三によるテノール独唱の録音でしか聴いたことがないが、おそらく、梁田自身の青春の「夢」の結実した歌として、彼自身も歌っていたに違いない。そう思わせるような美しい歌曲である。同じ「まえがき」の中で梁田は、「この曲を、私の歌声でおとなしく眠ってくれたふるさとの妹に捧ぐ」としている。

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