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ミュージカル曲の解説(踊り明かそう/ニューヨーク・ニューヨーク/メモリー/シェルブールの雨傘)

2009年11月06日 20時41分12秒 | エッセイ(邦楽&ポップス)





 本日は、私が2~3年ほど前に執筆しかけたミュージカルナンバーの解説です。実は、この原稿は『メモリー☆森公美子ミュージカル・ベスト』というCDのライナーノートとして書き始めたのですが、ついつい書き過ぎてしまい、クラシック音楽のCDの曲目解説のようになってしまったので、途中で止めてボツにした原稿です。
 その後、まったく気分を変えて、簡単な曲目ガイドと、このCD発売時にミュージカル歌手として帝劇の舞台でも活躍していた森公美子の魅力について書いた小文を完成させて渡しました。そのため、お蔵入りしてしまったのが、以下の原稿です。
 データを整理していたら出てきたので久しぶりに読み直してみましたが、それなりの情報量なので、ブログで公開することにしたというわけです。細部の推敲はしていませんが、そのまま掲載します。確かに、ポップス系のジャケット解説としては少々かったるいですが、私の記憶では、昭和40年代のミュージカルのLPレコードの解説は、どれもかなり本格的で詳しい解説が付いていたと思います。あの頃は、みんな、知識に飢えていたのでしょうね。


[1]踊りあかそう~『マイ・フェア・レディ』より
 1956年にブロードウェイで初演されて以来ミュージカルの傑作と讃えられ、6年半で2717回のロングラン公演という記録を打ち立てた名作『マイ・フェア・レディ』の代表曲。作詞アラン・ジェイ・ラーナー、作曲フレデリック・ロウのコンビによる作品。このコンビでは他に『キャメロット』も有名だ。
 このミュージカルは世界各国で翻訳上演され、日本でも東京オリンピックが行われた1964年に初演されている。この時期、日本は戦後の復興期から高度成長期へと突入していたが、そんななかで、このミュージカルの上演は大きな反響を呼び、それ以降の日本でのブロードウェイミュージカル・ブームのきっかけとなった。「踊り明かそう」は、同ミュージカルのなかでも特に知られる曲だが、最初は「一晩中踊れたら」と、より原題に近い訳で知られていた。現在の訳が定着したのは、ミュージカルの日本初演以降のことだったと思う。
 ブロードウェイ初演では、主演に当時新人だったジュリー・アンドリュースが起用されたが、日本初演と同じ1964年にオードリー・ヘップバーン主演の映画版も製作され、これもその年の内に日本で公開され大ヒットとなった。多くのミュージカルファンは、この映画でのシーンが、まず一番に思い浮かぶのではないだろうか?
 『マイ・フェア・レデイ』は、ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』を原作としている。言語学者であるヒギンズ教授が、裏町で暮す貧しい娘イライザに学者的好奇心から上流階級の話し方を徹底して教育し、社交界にデビューさせるが、やがてそのイライザに恋をしてしまう、というストーリー。何ヵ月もの猛特訓の末に、やっとの思いで美しい発音ができたイライザが、その喜びを歌い上げるシーンでの歌が「踊り明かそう」だ。
 シェイクスピア以来の英国演劇の伝統を継いだ近代イギリスの代表的戯曲作家として知られるショーは、原作を尊重することを条件にミュージカル化を許可したので、ミュージカル的演出での最小限の改変しか行われなかったが、この「踊り明かそう」のシーンは原作にはない。それが、このシーンがミュージカル的に最大の見せ場となっている理由かもしれない。原作は猛特訓のさなか、イライザが泣き崩れて自室に駆け戻るところで第2幕が終わり、次の第3幕は、教育を終えたイライザの試験としてヒギンズ教授が自分の母親に引き合せる場面となる。

[2]ニューヨーク・ニューヨーク~『ニューヨーク・ニューヨーク』より
 1977年に製作されたマーティン・スコセッシ監督によるミュージカル仕立てのアメリカ映画『ニューヨーク・ニューヨーク』のメイン曲。スコセッシは、この映画の前年に『タクシー・ドライバー』で一躍有名になった監督で、この『ニューヨーク・ニューヨーク』は、彼としては珍しい音楽映画だが、無類のニューヨークっ子を自認するスコセッシによる最大級のニューヨーク讃歌でもある。
 ストーリーは、失業中のサックス奏者ジミーとクラブ歌手フランシーヌが出会い、歌手として売れ始めたフランシーヌがジミーを自分の楽団に参加させ、やがて結婚。しかし音楽上の路線の対立から破局を迎える。紆余曲折の末、数年後、かつてジミーがフランシーヌのために作った曲「ニューヨーク・ニューヨーク」をテーマにしたショウでフランシーヌは大成功。レコード会社の副社長にまで出世していたジミーと再会するが、二人の関係はもう元には戻らない、というもの。
 フランシーヌ役がライザ・ミネリ、ジミー役がロバート・デ・ニーロという、夢の共演によるラブ・ロマンスだった。
 『オズの魔法使い』で本格デビューした往年の大歌手ジュディ・ガーランドの娘であるライザ・ミネリは、この映画製作時には既にステージ歌手として高く評価されており、この映画のストーリーはライザそのもの、さらには、ライザの母親であるジュディ・ガーランドの半生をも思い起させるが、実際、この「ニューヨーク・ニューヨーク」が歌われるフランシーヌのワンマン・ショウ場面は、ライザ自身のショウともなっていて圧巻だ。
 スコセッシ監督を音楽的にサポートしているのが作詞のフレッド・エッブと作曲のジョン・カンダーのコンビ。ミュージカル『キャバレー』もこのコンビによるものだが、この映画版はライザ・ミネリの代表作にもなっている。一方、「ニューヨーク・ニューヨーク」は映画公開の数年後、1980年代になってフランク・シナトラがカヴァーして、シナトラの代表曲のひとつともなった。

[3]メモリー~『キャッツ』より
 1981年にロンドンで初演されたアンドリュー・ロイド・ウェッバー作曲の大ヒット・ミュージカル『キャッツ』を代表する曲。劇団四季による翻訳公演が幾度も行われている人気ミュージカルだから、日本での舞台上演を観たミュージカル・ファンも多いだろう。日本でのミュージカル公演の潮流のひとつにまで成長した劇団四季が、シリアスな演劇からミュージカル公演中心への路線変更を定着させたのが、この『キャッツ』の大ヒットだったと言ってもよいほどに、日本でも話題となったミュージカルだ。多くの日本のミュージカル・ファンの、ミュージカルに対するイメージを一変させた作品だったとも言えるだろう。作曲者のウェッバーは、ロック・ミュージカル『ジーザズ・クライスト・スーパースター』で既に知られていたが、この『キャッツ』で、ヒットメーカーとしての名を不動のものとした。ロンドン初演の翌年にはブロードウェイでも上演され、以来17年間7653回というロングラン公演記録を打ち立てたのだ。そして、この記録を最近破ったのが、同じウェッバー作曲の『オペラ座の怪人』だった。
 『キャッツ』の原作は、イギリス近代の代表的な詩人、T・S・エリオットが1939年に出版した詩集『おとぼけおじさんの猫行状記』で、それに作曲者の企画に賛同したエリオット未亡人の協力で未発表の原稿が加わり、最終的に完成した。
 このミュージカルは、出演者全員が「猫」という想定で、都会の片隅のゴミ捨て場が舞台というユニークな構成。年に一度、月の夜の舞踏会で選ばれた特別の猫だけが、天上界へと旅立って生まれ変われるというもの。「メモリー」の旋律は劇中で幾度も顔を覗かせるが、クライマックスの近く、かつての美貌を失ってしまった唱婦猫グリザベラがその特別な猫に選ばれ、この美しいメロディを高らかに歌い上げる。ロンドンでの初演時に歌ったのは、このグリザベラ役に当初予定していた歌手が事故で出演できなくなったため、急遽代役に抜擢されたエレーヌ・ペイジだった。その時、この歌が、ミュージカル史上空前のヒット・ソングになるとは、誰も予想していなかったに違いない。エレーヌ自身が「選ばれた特別な猫」だったのだ。

[4]シェルブールの雨傘~『シェルブールの雨傘』より
 1963年に製作されたフランス映画『シェルブールの雨傘』は、全編が歌によって進行するというユニークな作品。原案、シナリオ、監督はジャック・ドゥミで、作詞はノーマン・ギンベル、作曲はミシェル・ルグラン。この映画は翌1964年のカンヌ映画祭でグランプリを受賞している。
 全編が歌によって進行する、というのは、いわゆる会話だけでなく、ほんのちょっとした呼びかけの一言でさえ、全て歌われるということ。それまで通常のミュージカルは、普通に芝居をしている場面から急に歌の場面へと切り換わるのが当たり前で、それは、ここぞという見せ場でアリアが歌われる古典的なオペラや、そこから派生したウィーンのオペレッタ(ミュージカルの源流と言ってもよいもの)以来の方法だった。ウィーンのオペレッタ歌手の息子として生まれた作曲家フレデリック・ロウの傑作『マイ・フェア・レディ』では、セリフがいつのまにか歌に変貌していることが多く、セリフから歌への繋がりにかなりの工夫が見られるが、それでも、歌の場面と芝居の場面とは 、それぞれ独立していた。
 90分余の映画全編を休みなく、ひとつながりの音楽で描くという試みは、オペラの分野でのワーグナーの楽劇に匹敵する快挙だと思うが、ミュージカル映画としては、大成功した唯一の例と言えるかも知れない。ミシェル・ルグランという鬼才を得たことが大きかったと思うが、ジャック・ドゥミ監督の見事な構成力も見逃せない。
 そうした映画だけに、個々の独立したミュージカル・ナンバーに相当するものがないが、「あなたなしでは生きられない」と繰り返し歌われる最も印象的なメイン・テーマの旋律は、「私を待っていて……」と英語の歌詞まで与えられ、大ヒット曲となった。
 映画のストーリーは、フランス北部の港町シェルブールの傘屋の娘ジュネヴィエーヴと、その婚約者である工員ギーが、折からの戦争によって召集され引き裂かれるという悲恋物語。ジュネヴィエーヴ役は、当時20歳だったカトリーヌ・ドヌーヴ。この映画が彼女の出世作となった。ただし、歌はダニエル・リカーリによる吹き替えだった。


●ここまで書いて、放棄したのですが、データには、以下、曲目だけが入力されていました。実際に発売されたCDと、曲順が入れ替わったかもしれませんが、曲目は変更していません。森さんのお気に入りの歌を集めたという、こういうCDだったのです。もちろんすべて、原語で歌っています。


[5]オール・ザット・ジャズ~『シカゴ』より

[6]オン・マイ・オウン~『レ・ミゼラブル』より

[7]私のお気に入り~『サウンド・オブ・ミュージック』より

[8]虹の彼方に~『オズの魔法使い』より

[9]トゥモロー~『アニー』より

[10]アンド・アイ・アム・テリング・ユー・アイム・ノット・ゴーイング~『ドリームガールズ』より










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