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クラシックレコード事情と社会世相(その5/塗り替わったレコード業界地図)

2009年02月20日 08時04分12秒 | 音楽と戦後社会世相
 




以下は、1999年の秋に出版された私の編・解説書『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評・1957年~1966年』(音楽出版社/絶版)の各年度ごとの概要解説の一部です。このブログでは2月14日が第1回掲載。今日は「第5回」です。


◎昭和三十六年(1961年)

 昭和三十六年度(一九六一年)の『LP手帖』新譜月評担当執筆者は、以下の通りとなっている。
 門馬直美(一月~六月はモノラル盤の交響曲/管弦楽曲/協奏曲、七月以降は全ての交響曲/管弦楽曲)、宇野功芳(一月~六月はステレオ盤の交響曲/管弦楽曲/協奏曲、七月以降は全ての協奏曲)、上野一郎(室内楽曲/器楽曲)、藁科雅美(声楽曲/オペラ)、沢田勇(「千円盤とドーナッツ盤」。八月より「クラシック普及盤」と改題)。また、七月から福田達夫による《音楽史》欄が開始された。

 レコード業界の地図が大きく塗り変り始めた年だった。日本ディスク(仏デュクレテ・トムソンを発売)、ユニバーサル(仏ディスコフィル・フランセ、仏オワゾリールを発売)、日蓄工業(米エピックを発売)が相次いで消滅。米エピックは日本コロムビアからの発売に移ったが、米エピック経由で発売されていた蘭フィリップス系の録音は、日本ビクター内にフィリップス・グループとして再スタート、新世界も日本ビクター内の部門になった。東京芝浦電気のレコード部が東芝音楽工業を発足させたのも、この年だった。
 米ウエストミンスターの本国での経営上のゴタゴタのあおりで、日本ウエストミンスターは新たにヴォアドール・レーベルを発足、仏エラート、英パイ原盤の発売を開始したが、結局翌年には日本コロムビアに吸収された。米ウエストミンスターは、ABCパラマウントの資本下に入って建て直しをはかり、日本ではキングレコードがウエストミンスターの発売を開始することとなった。
 ところで、この年は月評担当も流動的で、別枠だった《ステレオ新譜月評》がなくなり、それぞれの各ジャンルに吸収された。ただし、門馬直美の担当欄は《交響曲/管弦楽曲/協奏曲》となってモノラル盤のみを六月まで担当、ステレオ盤が宇野功芳(前年の、門馬の外遊休筆中に同ジャンルを三ヵ月間担当した)と分担していた。七月になってステレオ、モノラル兼任で《交響曲/管弦楽曲》が門馬直美、《協奏曲》が宇野功芳となり、これでやっと、各ジャンルごとの一人批評が確立した。次第にモノラルとステレオと同じ演奏のものが増えてきていたから、それは当然の成り行きでもあった。まず、年初に掲載された挨拶文(門馬)をみてみよう。
 「今月から、今までの交響曲と管弦楽のほかに協奏曲も担当することになった。しかし、レコードは何れもステレオではなくモノーラルである。モノーラルの枚数が幾らか減少してきているようだが、ステレオ攻勢ではこれもやむをえないことだろう。」
 ステレオ録音の意義に関しては、以下に紹介する上野一郎の小文(二月号掲載)が、当時の雰囲気や認識を伝えていて興味深い。
 「室内楽や器楽曲盤にステレオが増えて来たことはいいことだ。室内楽や器楽曲にはステレオの必要がないという説も、ある点ではうなずけないこともないが、しかしクワルテットやトリオをステレオで聴くと、音の幅や厚味が一層ライヴになって、ホールでナマの演奏を聴いているような気持ちになる。/ステレオは英独仏あたりでは案外伸びなやんでいると聞くが、日本では思いのほか普及の速度が早いようで、この調子では米に次いで、世界第二のステレオ国になるかも知れない。日本人の“初もの喰い”の性癖のしからしめるところかも知れないが、モノよりステレオの方が面白いのだから、良いものに食いつくのは決して悪いことではない。ハイ・ファイ熱、ステレオ熱と次々に熱病の流行するのは一向にかまわないが、レコードはなによりもまず演奏のよさが第一条件だということを忘れたくないものである。」




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