以下は、英ASVのハチャトゥリアン管弦楽曲シリーズの1枚が、日本クラウンから国内盤で発売された時に執筆したライナーノートです。曲目解説にかなりスペースを割きました。もちろん、しばしば国内盤の解説でみられる名曲解説全集のパッチワークや、既存原稿のリサイクルのようなものではなく、英文も含めた様々な文献に目を通して新たに書いた、私のオリジナルです。日本語で読めるこの曲のコンパクトな解説、この曲の録音史文献では、書籍も含めて最も詳しい文章だと思います。
1993年7月12日に書きましたので、その後の新情報があれば、書き加えなければなりませんが、私自身は、機会がなかったので、その後、追っていません。特に、録音に関しては、新情報が期待されます。このブログの読者のみなさんで何かご存知の事があれば、お教えいただきたいと思っています。当時と今とでは、情報の入手ソースが格段に進化していますから、ひょっとすると、ずいぶん様子が変わっているかもしれません。
かなり長文のライナーノートでしたので、当時、プロモーション用に演奏についての抜粋版も用意しました。このブログでも、お忙しい方のために、それを先に掲載します。
《抜粋版のライナーノート》
●このCDの演奏について
ハチャトゥリアンは、先頃、連邦制が崩壊したソビエト社会主義共和国連邦を代表する作曲家のひとりだったが、その中にあって、代表作「ガヤネー(ガイーヌ)」を持ち出すまでもなく、アルメニア人としての独自性を花開かせた個性あふれる作曲家だった。ハチャトゥリアン独特の音色、リズム感覚は、この交響曲でも随所に聴くことができる。(…)だが、この作品は、アルメニア的イディオムの中だけで語られるべきものではない。このCDを、アルメニア人指揮者チェクナヴォリアンによる、アルメニア・フィルの演奏ということで、安易に「本場物の名演だ」と称賛するような皮相な聴き方に対しても、作品そのものが痛烈に反対を表明しているとみるべきだろう。事実、このCDの演奏は、ハチャトゥリアン自身の指揮による演奏よりも、むしろ、インターナショナルな輝きと直截なダイナミズムにあふれ、楽員の深い共感は、指揮者の的確なバランス感覚を得て、想像を絶する壮大なクレッシェンドでさえ、この曲の構造を隅々まで照射しながら、豊かで説得力のある前向きな音楽を実現している。独特の節回しが魅力の作曲者自身の演奏を別格とすれば、このチェクナヴォリアン指揮/アルメニア・フィル盤は、現在望み得る最も感動的で、かつ標準的な見識のある演奏だ。特に終楽章の、折り重なる音の壮大な洪水では、彼等の演奏は、おそらく作曲者自身も表現し得なかった境地に達している。
《ライナーノート(全文)》
■《曲目解説》
●ハチャトゥリアンと第2次大戦
第2次大戦後のソビエト連邦を代表する作曲家として、ショスタコーヴィチの名を挙げる人は多いだろう。この20世紀最大の交響曲作曲家とも讃えられるショスタコーヴィチと、アラム・ハチャトゥリアン(1903-78)とは同時代人だ。二人とも社会主義国ソ連の文化政策のなかで活動を続けたが、特にハチャトゥリアンが第2交響曲を書き上げた1943年の夏は、ショスタコーヴィチは第8交響曲を作曲中であり、二人は同じイワノヴォの〈創造の家〉にいた。この二人が最も親密に交流していた時期だ。
もちろん、交響曲をこの後1曲書いただけのハチャトゥリアンと、全部で15曲もの交響曲を残したショスタコーヴィチとでは、作風にも大きな違いがあり、また、ハチャトゥリアンは、同じソ連邦でも、コーカサス山脈の南、グルジア共和国出身のアルメニア人であり、ロシア文化圏とは異なるものを持っていたことは、忘れてはならない。
だが、ハチャトゥリアンが第2交響曲を書き上げる少し前、1941年から当時のソ連邦が迎えていた試練は、彼等に共通の内的テーマを与えた。ヒトラーが率いるナチス・ドイツ軍がソ連邦内に侵攻したため、彼等が〈祖国防衛戦〉と呼ぶ第2次大戦が始まったのだ。この時代の悲壮な英雄性は、プロコフィエフの「交響組曲《1941年》」や「交響曲第5番」、ショスタコーヴィチの「交響曲第7番《レニングラード》」や「交響曲第8番」、そしてハチャトゥリアンの、この「交響曲第2番」に表れていると言えるだろう。
そうした背景を抱えたハチャトゥリアンの交響曲は、この作曲家の残した3曲の交響曲の中でも最大の規模を持ち、またスケールの大きな、豊かな抽象性を備えた傑作となっている。
●「第2交響曲」作曲の経緯と初演、改訂
ハチャトゥリアン自身が語るところによると、この作品の構想にはほぼ2年間を要しているが、いざ書き始めると、2ヵ月に満たない内に完成することが出来たという。1943年の夏、ピアノ譜の形で書き始め、同年7月31日に第1楽章を完成、8月1日から4日にかけてアンダンテ楽章を作曲、17日から22日にスケルツォ楽章、8月28日から9月10日には5日間の中断を挟んで終楽章を書き終えている。その後10月11日には管弦楽譜が完成、12月初旬には、初演のためのリハーサルが既に終了していたという。
初演は、1943年12月30日、モスクワ音楽院大ホールに於いてボリス・ハイキン指揮の国立管弦楽団によって行われた。作品は好評だったが、ハチャトゥリアンは大幅な修正を施した。特に重要な変更は、中間の2楽章の順序を入れ替え、アンダンテの前にスケルツォが来るようにしたことだ。この改訂版は、翌1944年3月6日に、同じオーケストラによって、今度はアレクサンドル・ガウクの指揮で演奏されている。
この作品は1945年度のスターリン賞を受賞しているが、また、ナチズムに抵抗する作品ということで、いち早くアメリカのニューヨークでも演奏されている。1945年4月13日、指揮は若き日のレナード・バーンスタインだった。
改訂作業はその後も続けられ、最終的な決定稿が出版されたのは1969年のことだ。
●「鐘」という名称について
ハチャトゥリアンの第2交響曲には初め、特に愛称はついていなかった。だが、災禍の到来を告げるようなオーケストラの響きの中に浮び上がる鐘のモチーフから、トルストイの詩の1節が想起されるとの指摘が、早い時期からあった。その詩とは次のようなものだ。
平和な夢を夢見る鐘を
空飛ぶ砲弾が打ち砕く。
轟音と破片は周囲に飛び散る。
鐘は偉大な真鍮の叫びを
遠くの人々にも届けるのだ。
人々は武器を手に集まる、義憤を口にして。
鐘のモチーフで始まるこの作品に対して、今日の愛称「鐘」が用いられるようになったのは、1962年に英デッカがこの曲のLPを発売した時からではないかと思うが、確証はない。いずれにしても、初演時からの作曲者自身によって命名されたタイトルではなく、後になってから付けられた愛称だ。
●「第2交響曲」各楽章の概略
楽曲は全4楽章から成り、楽器編成は次の通り。
フルート3(内ピッコロ持替え1)、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン1、クラリネット3、バス・クラリネット1、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ1、ティンパニー、小太鼓、ウッド・ブロック、シンバル、大太鼓、タムタム、鐘(チューブラー・ベル)、グロッケンシュピール、木琴、ハープ2、ピアノ、弦5部。
◇第1楽章 アンダンテ・マエストーソ
序奏部を持つソナタ形式。轟きわたる鐘の動機がエネルギッシュに提示され、続いて弦を中心に物憂げな第2の動機が提示される。この序奏部の2つの動機は、曲全体の性格を決定付けるものともなっている。やがて、木管の下降音階に続いて、低弦のピチカートを伴ってヴィオラに第1主題が出てくる。アルメニア民謡風の旋律だ。次第にふくらみを増して行くが、力強い行進曲風の副主題を挟んで、2本のファゴットに導かれて第2主題が現われる。二つの主題に共通する曲調は静かな悲しみに満ちた憂愁で、それは展開部の扱いにも現われているが、それらが副主題と緊密に結び付くことで、時には荒々しい怒りにまで高揚する。楽章の終りには鐘の動機が明瞭に再現され、静かにこの楽章を閉じる。
◇第2楽章 アレグロ・リゾルート
3部形式のスケルツォ楽章で、ハチャトゥリアンの初期の傑作バレエ曲「ガヤネー」(「ガイーヌ」)を思い出させるような舞曲が休みなく続くが、楽器の受渡しにつれて、曲調も目まぐるしく変化している。決して開放的ではなく、異常な緊張を孕んだ音楽が切れ目なく続き、中間部は一転してチェロを中心としたアルメニア民謡調の半音階的旋律が、ゆるやかに、しかし同じく切れ目なく奏され、再び舞曲に戻って終る。
◇第3楽章 アンダンテ・ソステヌート
葬送行進曲風の執拗なリズムで開始され、それが続く中、ハチャトゥリアンが少年時代に聴いたと言われるアゼルバイジャン地方の即興的な旋律が加わる。一種の変奏曲形式で行進は続き、やがて「怒りの日(ディエス・イレ)」の主題が現われ、荘重な行進は徐々に鳴り響き、クライマックスへと高まって行く。最後は魂の浄化を思わせる美しさの向うで、遠くに鐘の動機が変形されて聞こえる。
◇第4楽章 アンダンテ・モッソ ~アレグロ・ソステヌート
ファンファーレ風の旋律で開始される、序奏部を持った3部形式。無窮動的な弦の動きでアレグロの主部に入り、やがて金管楽器群による勝利の旋律の合唱となる。この「金管の合唱」主題はこの楽章で重要な役割を果している。中間部は弦がピチカートを刻む中、第1楽章の要素も加わって展開する。ハープの分散和音でコーダに入り、様々な主題が回想され、壮麗な鐘の動機で力強く全曲を終える。
●「スターリングラードの戦い」について
ハチャトゥリアンは映画音楽を20曲ほど残しており、この作品も、原曲は、ウラジミール・ペトロフ監督の2部からなる同名の大作映画の音楽だ。ハチャトゥリアンが政治的に困難な状況に置かれていた1949年に作曲されている。
スターリングラードの戦いとは、ロシアにとって、第2次大戦の転機となった重要な戦闘で、1943年、市内を包囲していたドイツ軍を破りドイツの無敵神話に終止符を打ったもの。映画はスターリン賛美を目的としており、ハチャトゥリアンはこの作曲で1950年のスターリン賞を受賞している。
ハチャトゥリアン自身は、この作品について「私の仕事は主に戦闘シーンの為の音楽を書くことにあった」と述懐しているが、激しい戦いの音楽の中に、悲壮な感情と情熱的なヒロイズムとを表現した作品となっている。作曲の翌年1950年に8曲で構成される演奏会用組曲に再構成されたが、それとは別に、最晩年の1976年には、この曲の大部分を利用してオーケストラと男声合唱、ソプラノのためのカンタータ「英雄たちの思い出に」を書いている。
このCDで演奏されているのは8曲の組曲版だが、内2曲が省略されている。
◇第1曲「ヴォルガのほとりの町」
全曲の序曲に当たる。ヴォルガ河畔に広がる町の平和に満ちた生活と、この町を守る者たちの不屈の精神を高らかに表現している。コザックの遊牧生活を歌った古いロシアの歌曲「ヴォルガに崖あり」に基づいている。
◇第2曲「侵略」
ナチス・ドイツによる侵略を表現している。音は少しずつ大きくなり、単調なリズムが執拗に続き、打楽器群は休みなく打ち鳴らされているが、これは「邪悪な力」をイメージしているとされている。ここでハチャトゥリアンは、1900年代の初頭にドイツで人気を博した歌「ああ樅の木」の一部をグロテスクな手法で取り入れている。
◇第3曲「炎上するスターリングラード」
敵に包囲され、破滅へと向かう都市のドラマティックな光景。悲しみにあふれた音楽が豊かな表現力で描かれている。
◇(第4曲「敵滅ぶべし」)
暗い旋律は、ナチスの運命が暗転し、破局へと向かうことを暗示している。このCDでは省略されている。
◇第5曲「祖国防衛戦」
宿命的な戦闘前夜の静寂に包まれた夜を表現した静かな音楽に始まり、やがてオーケストラはダイナミックな戦いの音楽へと移行する。そこでは、管楽器と打楽器とが重要な役割を果し、敵軍との決死の攻防の様を表現している。
◇(第6曲「英雄たちに捧ぐ永遠の栄光」)
静謐な悲しみにあふれた音楽が、母国のために命を失った英雄的な兵士たちに、永遠の栄光と鎮魂の祈りとを捧げる。この曲も、当CDでは省略されている。
◇第7曲「勝利へ」
祝祭的な歓喜に満ちた壮麗な行進曲が勝利を賛美する。ハチャトゥリアンはここで、彼が吹奏楽団のために書いた有名なマーチ「祖国防衛戦の英雄たちに捧ぐ」という作品のテーマを利用している。これはソビエト赤軍の勝利について語るラジオ放送では、必ず流された音楽だ。
◇第8曲「ヴォルガに崖あり」
ここで再び、冒頭のヴォルガの歌が登場する。だが、その旋律は、スターリングラードを称える厳粛で壮大なものになっている。
■《演奏について》
●「第2交響曲」のこれまでの録音
ハチャトゥリアンの交響曲第2番《鐘》は、今世紀後半に書かれた交響曲の中で、傑作のひとつに挙げられるものだと思うが、なかなか演奏される機会に恵まれない。録音も少なく、これまで作曲者自身の録音を含めても数点しか発売されていない。そこへ登場したのが今回のチェクナヴォリアン/アルメニア・フィル盤だ。当CDと同時に第1交響曲と第3交響曲を収めたものが発売される。おそらく、ハチャトゥリアンの交響曲全集としては初めてのものではないかと思われる。
この曲の最初のレコーディングは、ハチャトゥリアン自身の指揮によるソビエト国立管弦楽団による1950年頃のモノラル録音だと思われる。ソ連国内のほか、西側では米コロセウムで発売されたのを確認している。その後、50年代の後半にはストコフスキー/シンフォニー・オブ・ジ・エアの録音が米ユナイテッド・アーチスツから発売されている。1962年にはハチャトゥリアン/ウィーン・フィルによる録音が英デッカから発売、これは日本盤も出たが、この時には「鐘」という副題が付けられている。この作曲者自演盤はCD化で復活している。この他、ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管弦楽団盤が英シャンドスから出ている。
なお「第1交響曲」は、ハチャトゥリアン/ソビエト国立響の75年録音がメロディアから、チェクナヴォリアン/ロンドン響の79年録音がRCAから出ていたのが知られている。「第3交響曲」はコンドラシン/モスクワ・フィル他の65年録音、ストコフスキー/シカゴ響の68年録音などがあった。
●チェクナヴォリアンの演奏
ハチャトゥリアンは、先頃、連邦制が崩壊したソビエト社会主義共和国連邦を代表する作曲家のひとりだったが、その中にあって、代表作「ガヤネー(ガイーヌ)」を持ち出すまでもなく、アルメニア人としての独自性を花開かせた個性あふれる作曲家だった。ハチャトゥリアン独特の音色、リズム感覚は、この交響曲でも随所に聴くことができる。
同時に、この作品は、第2次大戦中の悲劇が産み落とした音楽芸術上の成果として、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、あるいはオネゲル、ルーセルらの交響曲と並んで、長く記憶に残る作品でもある。ナチス・ドイツに侵攻されたロシア、フランスの両国にこうした傑作が残されたのは、皮肉なことだ。
いずれにしても、この作品は、アルメニア的イディオムの中だけで語られるべきものではなく、まして、作曲当初に結果的に利用された政治的意図によって、色眼鏡で見られる作品でもない。音楽そのものの持つ真実、高度な芸術性によって語られる作品だ。
このことは、このCDを、アルメニア人指揮者チェクナヴォリアンによるアルメニア・フィルの演奏ということで、安易に「本場物の名演だ」と称賛するような皮相な聴き方に対しても、作品そのものが痛烈に反対を表明しているとみるべきだろう。
事実、このCDの演奏は、ハチャトゥリアン自身の指揮による2種の演奏のいずれよりも、むしろ、インターナショナルな輝きと直截なダイナミズムにあふれ、楽員の深い共感は、指揮者の適確なバランス感覚を得て、想像を絶する壮大なクレッシェンドでさえ、この曲の構造を隅々まで照射しながら、豊かで説得力のある前向きな音楽を実現している。独特の節回しが魅力の作曲者自身の演奏を別格とすれば、このチェクナヴォリアン/アルメニア・フィル盤は、現在望み得る最も感動的で、かつ標準的な見識のある演奏だ。特に終楽章の、折り重なる音の壮大な洪水では、彼等の演奏は、おそらく作曲者自身も表現し得なかった境地に達している。
「スターリングラードの戦い」は、私の知る限りでは録音が少なく、曲の特殊性からか、吹奏楽編曲版が2種出ていたのが目についた程度だ。管弦楽版は、私も当CDで初めて聴いた。親しみ易い旋律を率直に演奏している。出来ることなら全8曲を録音してもらいたかったが、省略された部分は、確かに少々退屈で、映画の場面の伴奏音楽の域を出ていないとも言えるかも知れない。
●演奏者についてのメモ
ロリス・チェクナヴォリアンは1937年にイランに生まれたアルメニア人の指揮者、兼作曲家。1954年からウィーン音楽アカデミーで、ハンス・スワロフスキーに指揮法を学んでいる。長らくイギリスを活動の本拠にしていたが、先頃のソ連邦の解体で独自の道を歩み始めたアルメニア共和国を代表するオーケストラ、アルメニア・フィルハーモニーの主席指揮者にも就任している。
アルメニア・フィルは、アルメニアの首都エレヴァンに建った「ハチャトゥリアン・ホール」を本拠地にしており、生前のハチャトゥリアンとの関係も深かった。自然に備わっている豊かな音楽性と、大胆なダイナミズムは、とかく小さくまとまりがちな最近の音楽演奏の世界的傾向の中で、独自の魅力を保持している。西欧の音楽理論を身に付けたチェクナヴォリアンとのコンビでの、これからの演奏が期待されている。