以下は、2001年6月25日17時32分とタイム・スタンプされたデータです。そのころ、東京の古書店街として知られる神田・神保町のタウン誌のために執筆した書評原稿です。ひょっとすると、関係の岩田氏、渋谷氏に掲載誌をお送りしそびれて失礼したままかもしれないと、これを読み返しながら気がかりになりましたが、時すでに遅し。もしそうなら、ご無礼をお詫びします。私にとっては、愛着のある文章のひとつですので、このブログに再掲載する次第です。
■2001年7月頃の「新刊紹介」再録
《岩田誠 著『脳と音楽』(メディカルレビュー社)》
ドビュッシーと並んでフランス近代の大作曲家とされるモーリス・ラヴェルの死因については、未だに誤った認識が多くの音楽ファンの間に伝わっている。一九三二年、五十七歳の時に遭遇したタクシー事故の後遺症で、次第に脳が冒され、一九三七年暮れに、開頭手術の効果もなく世を去った、というものである。この説が根拠に乏しいものであることは、十数年前から断片的には一部で伝えられていたが、本書の第二章「ラヴェルの病い」は、著者の研究による成果が十全にまとめられており、これまでの俗説を覆す画期的な内容となっている。著者の岩田誠氏は、東京女子医科大学脳神経センター所長を務める神経内科医であると同時に、音楽や美術を深く愛し、理解する人として広く知られており、一九九八年の著書『見る脳、描く脳――絵画のニューロサイエンス』では、毎日出版文化賞も受賞されている。
本書では、ラヴェルの脳を冒していた病いが、タクシー事故には直接関わりなく、それよりずっと以前、一九二〇年代には既に自覚症状が現われていることを、明確に指摘している。それは、ラヴェル自身の書簡や、当時の担当医の記録、多くの友人たちが残した証言などを、専門医の立場から捉え直したものだが、私のような専門的な知識に不案内の者でも一気に読み進められて、ラヴェルが自身の脳内の深い闇と闘いながら、死の直前まで作曲家として歩み続け、音楽と共に生きていたことに言い知れぬ感動を得ることができるものとなっている。
実は、著者の岩田氏は十年程以前からの長期間にわたって、毎回、その興味深い論考が掲載された雑誌の抜刷を、私に送ってくださっていた。岩田氏は、私が一九八七年に編集担当した伝記書『ラヴェル』(ロジャー・ニコルス著/渋谷和邦訳/泰流社刊)に関心をもたれ、お手紙を下さったのがご縁だった。もともと、その伝記は、執筆当時まだ気鋭の研究者だったロジャー・ニコルス(この十数年程の間に、ニコルスが、フランス近代音楽研究の第一人者として、すっかり評価が高まっていることは、音楽文献に目配りしている方ならば、ご存じのことと思う)による渾身の力作で、ラヴェル伝記としては、従来の俗説に惑わされていない、最新の情報を盛り込んだものだった。だが、その訳書出版に当たっては、更に、独自にその他の西欧の文献に目を通していた訳者の渋谷氏による「ラヴェルの死因」に関する小文を、原著者に無断で加えて、当時、かなり遅れていた日本のラヴェル研究に一石を投じようと企てたものだった。その後、私が泰流社から離れ、また同社も解散してしまったので、ラヴェル正伝の補完作業は、中絶してしまうかに思っていたところ、思いがけなくも岩田氏からのお手紙が、私のもとに回送されてきたのだった。そこには、音楽への愛情と、医師として「音楽家の脳」の研究への情熱が綴られ、訳者の渋谷氏と連絡が取りたいとあった。
その後、岩田氏と渋谷氏との交流が始まり、岩田氏の研究に渋谷氏が様々の参考文献の提示で協力をされたことは伝え聞いていたが、そのことは本書のあとがきにも詳しい。私はと言えば、その後、次々に送られてくる岩田氏の論考の抜刷を拝見して、その研究の深まりに毎号、胸を高鳴らせていた。真実に辿り着こうとする真摯な研究は、いつも、私の心を大きく揺すっていた。その十数年の成果が、こうして一冊の書にまとまったのである。
私事ばかり、ながながと書いてしまって恐縮だが、本書は、もちろん、第二章「ラヴェルの病い」に先立つ第一章「音楽家の脳」も興味深い。天才的な音楽家の脳の特徴や、それから発生する外見的特徴(例えば、額が広い、といった)など、名指揮者の写真を思い浮かべて、思わず納得する。第三章「言葉を奪われた音楽家たち」での、言語の読み書きが出来なくても、読譜能力も音感も衰えない例など、医学に疎い私が興味深く読めるのは、全編にわたって、著者の音楽を生みだす力への理解があるからだろう。以下、「音楽を失う時」「芸術家の脳腫瘍」「音楽する脳」「創造と幻覚」と続き、バッハ、ハイドン、ガーシュイン、シューマンなどが登場する本書は、正に「自らの脳に起こった数奇な事実を理解できぬまま、創作の炎を燃やし、そして逝った者たちへの、専門医として全能を傾けた検証から深い敬愛を込めて送られた〈告知書〉」(同書、帯文より)として、音楽を愛する者に新たな視点を提供する。
■2001年7月頃の「新刊紹介」再録
《岩田誠 著『脳と音楽』(メディカルレビュー社)》
ドビュッシーと並んでフランス近代の大作曲家とされるモーリス・ラヴェルの死因については、未だに誤った認識が多くの音楽ファンの間に伝わっている。一九三二年、五十七歳の時に遭遇したタクシー事故の後遺症で、次第に脳が冒され、一九三七年暮れに、開頭手術の効果もなく世を去った、というものである。この説が根拠に乏しいものであることは、十数年前から断片的には一部で伝えられていたが、本書の第二章「ラヴェルの病い」は、著者の研究による成果が十全にまとめられており、これまでの俗説を覆す画期的な内容となっている。著者の岩田誠氏は、東京女子医科大学脳神経センター所長を務める神経内科医であると同時に、音楽や美術を深く愛し、理解する人として広く知られており、一九九八年の著書『見る脳、描く脳――絵画のニューロサイエンス』では、毎日出版文化賞も受賞されている。
本書では、ラヴェルの脳を冒していた病いが、タクシー事故には直接関わりなく、それよりずっと以前、一九二〇年代には既に自覚症状が現われていることを、明確に指摘している。それは、ラヴェル自身の書簡や、当時の担当医の記録、多くの友人たちが残した証言などを、専門医の立場から捉え直したものだが、私のような専門的な知識に不案内の者でも一気に読み進められて、ラヴェルが自身の脳内の深い闇と闘いながら、死の直前まで作曲家として歩み続け、音楽と共に生きていたことに言い知れぬ感動を得ることができるものとなっている。
実は、著者の岩田氏は十年程以前からの長期間にわたって、毎回、その興味深い論考が掲載された雑誌の抜刷を、私に送ってくださっていた。岩田氏は、私が一九八七年に編集担当した伝記書『ラヴェル』(ロジャー・ニコルス著/渋谷和邦訳/泰流社刊)に関心をもたれ、お手紙を下さったのがご縁だった。もともと、その伝記は、執筆当時まだ気鋭の研究者だったロジャー・ニコルス(この十数年程の間に、ニコルスが、フランス近代音楽研究の第一人者として、すっかり評価が高まっていることは、音楽文献に目配りしている方ならば、ご存じのことと思う)による渾身の力作で、ラヴェル伝記としては、従来の俗説に惑わされていない、最新の情報を盛り込んだものだった。だが、その訳書出版に当たっては、更に、独自にその他の西欧の文献に目を通していた訳者の渋谷氏による「ラヴェルの死因」に関する小文を、原著者に無断で加えて、当時、かなり遅れていた日本のラヴェル研究に一石を投じようと企てたものだった。その後、私が泰流社から離れ、また同社も解散してしまったので、ラヴェル正伝の補完作業は、中絶してしまうかに思っていたところ、思いがけなくも岩田氏からのお手紙が、私のもとに回送されてきたのだった。そこには、音楽への愛情と、医師として「音楽家の脳」の研究への情熱が綴られ、訳者の渋谷氏と連絡が取りたいとあった。
その後、岩田氏と渋谷氏との交流が始まり、岩田氏の研究に渋谷氏が様々の参考文献の提示で協力をされたことは伝え聞いていたが、そのことは本書のあとがきにも詳しい。私はと言えば、その後、次々に送られてくる岩田氏の論考の抜刷を拝見して、その研究の深まりに毎号、胸を高鳴らせていた。真実に辿り着こうとする真摯な研究は、いつも、私の心を大きく揺すっていた。その十数年の成果が、こうして一冊の書にまとまったのである。
私事ばかり、ながながと書いてしまって恐縮だが、本書は、もちろん、第二章「ラヴェルの病い」に先立つ第一章「音楽家の脳」も興味深い。天才的な音楽家の脳の特徴や、それから発生する外見的特徴(例えば、額が広い、といった)など、名指揮者の写真を思い浮かべて、思わず納得する。第三章「言葉を奪われた音楽家たち」での、言語の読み書きが出来なくても、読譜能力も音感も衰えない例など、医学に疎い私が興味深く読めるのは、全編にわたって、著者の音楽を生みだす力への理解があるからだろう。以下、「音楽を失う時」「芸術家の脳腫瘍」「音楽する脳」「創造と幻覚」と続き、バッハ、ハイドン、ガーシュイン、シューマンなどが登場する本書は、正に「自らの脳に起こった数奇な事実を理解できぬまま、創作の炎を燃やし、そして逝った者たちへの、専門医として全能を傾けた検証から深い敬愛を込めて送られた〈告知書〉」(同書、帯文より)として、音楽を愛する者に新たな視点を提供する。