私の著書『唱歌・童謡120の真実』(ヤマハ・ミュージックメディア刊)では触れませんでしたが、「ねんねん ころりよ おころりよ。ぼうやは よいこだ ねんねしな」と歌われる歌について、最近、調べる機会がありました。そこで、興味深いことがわかりましたので、その、ご報告です。
じつは、数カ月まえから、切手コレクションをしている方ならよくご存じの「郵趣サービス社」から依頼されて、2種類の記念切手シリーズ(「日本の歌シリーズ」「私の愛唱歌」)の愛好家向け切手シートの解説文を執筆しているのです。
毎月、4曲ずつ(切手シート2枚)なのですが、時折、私がまだ取り上げたことのない歌があるので、その時には、ゼロからの調査となるわけです。私にしてみれば、郵趣サービス社といえば、いっぱしの切手コレクターだった私も小学生のころ読んでいたはずの『スタンプ・マガジン』の発行元です。今は総務省の傘下のはずですが、郵政省時代から、その外郭団体のひとつだったと思います。その思い出のある雑誌に、私が解説する今度のシリーズの紹介が掲載されているのを見て、感慨深いものがありました。
原稿執筆はかなり先行していますが、切手シートの頒布会開始は、今月か来月からだったと思います。私のところにも毎月、1セット、送られてくるそうなので、楽しみにしています。
ところで、表題の『子もり歌』です。
これは、日本の子守歌の代表格で、子どもを寝かしつけるための典型的な「寝させ歌」ということになっているようです。しばしば「江戸の子守歌」とも記載され、江戸の町から全国に広まった、と書かれていますが、まず、これがあやしいのです。
2番の歌詞に「里のみやげに 何もろった」とありますが、これは、関西方面の言葉だ、という人がいました。確かに、そうかも知れません。ところが、子守りは、地方から江戸に奉公に来ていた娘だった、と、これを正当化する人もいます。
しかし、私が一番に興味を持ったのは、それに続く歌詞です。里のみやげにもらったのが、
「でんでん太鼓に 笙の笛」というくだりです。
「でんでん太鼓」は赤ん坊用のおもちゃなので問題ありませんが、この「笙の笛」に疑問を投げかける人は大勢いるようで、ネット上でも論争が絶えません。
「子守りに呉れてやるみやげが、笙の笛などという雅楽に用いる高価な笛のはずがないじゃないか」というわけです。
そこで、「笙の笛」に似せた子どものおもちゃに違いない、とする人が後を絶ちません。しかし、そんなもの、誰も見たことがないのです。
一方、変った説では、國學院大学で近世文学を教えている須藤豊彦教授が、「西日本の山中に自生する常緑樹ユスノキが、地域によって「ヒョンノキ」とか「ヒョウノキ」と呼ばれると報告しています。この木の分厚い葉が虫の産卵・寄生によって異常発育して嚢状になり、その空洞に穴をあけて吹くと「ひょうひょう」と鳴るので、子どもが喜ぶので、その名が生まれたといいます。それが「ひょうの笛」です。江戸の下町なまりでは「ひ」が「し」になります。「朝日新聞の批評によれば」は「あさししんぶんのししょうによれば~」です。私も、父は浅草育ちなのですが、学生時代に、この発音を堂々とする先輩に出会って面食らった記憶があります。ですから、一考に値する説ではあります。
いずれにしても、ある研究によれば、この子守歌のバリエーションは、全国に3000種類ほどあるというのですから、発祥が西日本だろうが、東北だろうが、あるいは、地方からの奉公人だろうが、いったん江戸で広まったことは、江戸期の文献にあるから間違いないわけで、江戸の町からもう一度、全国に拡散していったということなのでしょう。まさに「歌は旅をする」のです。
じつは、この歌が日本の「子守歌」の代表格となった一番の原因は、昭和16年に発行された戦時下の国定教科書『ウタノホン(上)』に掲載されたからだろうと思っています。尋常小学校が改組され、「国民学校」となっての「一年生」の教科書です。全国一斉に学んだわけです。そこに「笙の笛」の解説がありました。国会図書館所蔵のもので確認しましたが、そこで、「笙の笛とは~」と書き出して、古代の十三管乃至(ないし)十九管の物から、中世以降の十七管の物に至る「笙」という楽器の構造を詳しく説明し、「現代でも雅楽に用いられる」と解説しています。
「でんでん太鼓」のほうは、「〈でんでん〉と音を出すことから、振り鼓(つづみ)の俗称。小形のものは玩具」と、ぴしゃりと明快に解説しているのとは大違いです。
ただ、さすがに、この指導書の執筆者も、なんとなく「おもちゃのはずなのになァ」と不安になったのか、「我が国古来のわらべ歌」なので「歌詞には古い時代の玩具が入れられてあるが、そのまま味わわせる」と、シラを切っているのですが、雅楽の楽器説明の詳しさだけが、とても目立ちます。そのおかげで、全国の学校の先生たちは、一生懸命「笙」の説明をすることになってしまったようなのです。
じつは、雅楽に用いる楽器は「笙」であって「笙の笛」とは言わないはずです。ところが、最近のネット上の情報では時折、「笙の笛とは雅楽に用いる楽器である」などと書いてあるのを見かけます。戦前の文献で「笙」を「笙の笛」と書いているのを、私は見たことがありません。上記の教師用指導書だけです。「笙の笛」という表現は、おそらく、最近のネット系の誤用で、その震源地がこの「子守歌」なのかも知れないと思っているのです。もともと「子守歌」は、口伝えで歌われていた歌なのですから、「しょうのふえ」だったものが、「教師用指導書」で「笙の笛」と、まことしやかに漢字を充てられたのが、そもそもの「間違い」なのではないかと推測したのです。
しかし、その推測も、ちょっと違うようです。
この「子守歌」が、江戸時代の「お伊勢参り」大流行によって、全国に拡散したという説があって、これはかなり信ぴょう性があるようです。何しろ文化文政時代の式年遷宮では、一日の参拝者が数万人、それが何ヵ月も続いたと伝えられているのですから。そして、最近になって、「伊勢みやげ」として参道で売られていた「ちいさき笙の笛」という記述があることが指摘されるようになりました。もちろん安価なみやげ物ですから、本格的な17管から成る雅楽の楽器のミニサイズ版のはずもなく、篠笛(しのぶえ)のような1管の笛ではないか、とか、1種類の音しか出せないもっと簡単なものではないか、とか、様々な憶測が飛び交っていますが、「篠」という漢字の音読みが「しょう」だという指摘は興味深いです。いずれにしても、複雑な和音を響かせる雅楽の楽器「笙」とは似ても似つかない「おもちゃ」ではあったようです。だから、案外、みやげ物の「しょうの笛」(篠の笛? ひょうの笛?)を「笙の笛」と最初に誤記したのは、江戸時代だったのかも知れないのです。
昭和16年に、教師用指導書が「〈しょうの笛〉とは、江戸時代に伊勢参りのみやげ店などで売られていた幼い子に与えるおもちゃの笛。雅楽で用いられる〈笙〉と混同してはならない」とでも書いてあれば、混乱が起こらなかったのに、と思っています。
【追記】
冒頭にある「郵趣サービス社」が「総務省の外郭団体」という記述は、私の勘違いでしたので、訂正します。「総務省が所管する公益財団法人」「日本郵趣協会」の連携組織のひとつです。同協会の連携組織として、他に「切手博物館」や「逓信総合博物館」などがあるのですね。数年前に、大正時代の郵便はがきの関連で調べることがあって、東京・大手町の「逓信総合博物館」に行きましたが、私は、昭和35年に、まだ当時は東京・飯田橋に在った「逓信博物館」には、週に1回くらい遊びに行っていました。その時あそこで、まだ実験段階だった「テレビ電話」を初めて体験しました! 東京オリンピックの前の「ローマ・オリンピック」の年です。私は小学生でした。