竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

1920年代初頭のパリ社交界で人気者だった「イケメン指揮者」ウラジミール・ゴルシュマンの残した演奏を聴く

2011年07月29日 15時33分30秒 | LPレコード・コレクション
 




 以下は、2010年5月に発行された『クラシック・スナイパー/6』(青弓社発行)の特集「マニア大戦争」に際して併載されたアンケート「マニアが誇る一枚」のために書き下ろした原稿の一部です。(詳細は昨日の当ブログをごらんください。)採りあげた3枚のLPレコードの内の1枚です。

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■オネゲル:交響詩「夏の牧歌」/ミヨー:屋根の上の牡牛/サティ:3つのジムノペディ/ラヴェル:クープランの墓

 ウラジミール・ゴルシュマン指揮コンサート・アーツ管弦楽団 [仏キャピトル P8244]

 ゴルシュマンは、数年前から少しこだわって集め始めた演奏家のひとりである。1893年にパリでロシア系移民の子として生まれたが、1919年には同時代の作曲家の作品を演奏するコンサートを主催してデビューし、その直後、ストラヴィンスキーの『春の祭典』などでセンセーショナルな活動がパリで注目されていた「バレエ・リュス(ロシアバレエ団)」の指揮者陣に迎えられ、1923年に突然辞任するまで活動した。
 このことからわかるように、20世紀初頭のパリの新芸術の空気を吸っていた人物のひとりであることは間違いない。彼は相当な美貌の青年だったといわれ、あちらこちらで催される芸術家を囲むパーティで、しばしば姿が見られたというから、ゴルシュマンの突然のバレエ・リュス指揮者辞任とアメリカ行きを邪推する向きも多い。そのあたりには確かに謎があるが、その後のゴルシュマンは、ヨーロッパでのポストに就くことなく一生をアメリカの地で終えている。戦後、アメリカ資本がウィーンに乗り込んで、多数の録音を行なったが、その中に、ゴルシュマン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団の米ヴァンガード盤があるのが、ゴルシュマンとヨーロッパを結ぶ僅かな線である。1931年からセントルイス交響楽団の首席指揮者となり、1950年代の終わりころまで、その地位にいた。
 ゴルシュマン/セントルイス響には、戦後の1950年代、米キャピトルの第1期にモノラル録音がいくつもあるが、この「フランス近代音楽集」は、なぜか、オーケストラが匿名になっている。そして私が所有しているこの盤そのものは、キャピトルのマークが付いているがフランス盤である。盤面にははっきりと「フランス製」とあり、「パテ・マルコニ社製」であることも明記されている。純然たるフランス盤ではあるが、「USA録音」とも書かれている。不思議な盤ではある。
 「コンサート・アーツ管弦楽団」は、米キャピトル盤においてミルシティンの伴奏でも登場した名称だ。専属関係が厳格だったこの時代、RCAやコロンビア専属のオーケストラを使う時にはいつも匿名になっていたから、キャピトルの活動範囲から考えてみると、ロスアンゼルス・フィルかサンフランシスコ響ではないかと思うが、確証はない。いずれにしても、ゴルシュマンはこの後、ヴァンガードのウィーン録音以外では、50年代の終わりに米コロンビアに移籍して、手兵のセントルイス響を振っていくつかの録音を残して世を去っている。
 このゴルシュマンの音楽的ルーツともいうべき一連の曲目を演奏するに際して、セントルイス響が相応しくないと判断されたのだとすれば、いったいこのオーケストラは、どこなのだろう。あるいは、米コロンビアとの専属契約が先行してしまって、キャピトルが、セントルイス響の名称を使用できなくなっただけなのか、録音時期が特定できないので、真相が掴めないままでいる。いずれにしても、この確信に満ちた演奏は、この指揮者がまちがいなく20世紀初頭のパリでキャリアの最初を歩んだ青年のひとりであったことを納得させる。洒落っ気のある華やいだ演奏である。単なるアメリカ的演奏ではない。
 パリを離れて生涯を送ったゴルシュマンが、アメリカのオーケストラを振ってアメリカで録音した演奏が、里帰りしてフランスでプレスされ発売されたという珍盤――。このレコードが発売されたころ、美少年ゴルシュマン君を覚えている社交界のご婦人方が、何人いただろうかと、思わず想像してみた。


【ブログへの再掲載にあたっての追記】
 ゴルシュマンについては、2009年4月に青弓社から発行された『クラシック反入門』(許光俊ほか編)でも執筆している。一部抜粋して紹介する。

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 ゴルシュマンの戦前の古い録音に、ポーランド系フランス人で、ラヴェルやストラヴィンスキーと交際し影響を受けた作曲家、アレクサンドル・タンスマンの『弦楽のためのトリプティカ』という作品がある。演奏はもちろんセントルイス交響楽団のメンバーだ。一〇年ほど前にCD化されているが、録音が行われたのはアメリカに渡って間もない一九三四年である。パリで進取の気概を発揮していたゴルシュマンならではの録音だが、これはなかなか面白い曲だし、作品の特徴をしっかりと把握した優れた演奏だと思う。