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不世出のチェロ奏者・ワレフスカの昨年の来日公演が、ついにCDで発売されます。

2011年03月17日 14時28分32秒 | ワレフスカ来日公演の周辺
 きのう、かなり長文になってしまったライナーノートを書き終えました。昨年、30数年ぶりの来日で話題になったワレフスカのリサイタルを記録したCDが、いよいよ発売されます。ワレフスカの来日リサイタルの実行委員会の渡辺一騎氏が、石橋メモリアルホールでの公演を収録放送したNHKから音源を借り出して制作に踏み切ったもので、一般市販はコロムビアを発売元としている「日本ウエストミンスター」を通して行います。規格番号は「JXCC-1069」、価格は「2600円+税」、タイトルは「クリスティーヌ・ワレフスカ・チェロ・リサイタル」の予定です。
昨年末に70年代のフィリップス録音の全てを5枚組BOXセット「ワレフスカ名演集」で発売したタワー・レコードでも予約受け付けを開始、アマゾンなど全ての通販サイトでも予約できます。

 本日、以下に、書き終えたばかりのライナーノートの一部を掲載しますので、ご覧ください。私としてはこのCDの発売は「ついに念願が叶った」といった気持ちです。ぜひお買い求めください。ほんとうに素晴らしい演奏ですし、21世紀の演奏の方向性を嗅ぎ取るヒントがあります。別の言い方をすれば、20世紀の後半から私たちが失いかけていたものは何だったか、ということに思いが向かう演奏です。

 発売日は4月27日を予定しています。事前の発表と収録曲が少しだけ入れ替わったので、既にネット上にあるものと異なっているかもしれませんが、このブログ後半の「曲目解説」原稿にあるものが最終決定です。

 以下、ライナーノートの一部抜粋です。

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 終わったはずの事を、もう一度掘り起こすという作業は、むずかしいものである。例えば、昨年2010年6月5日に東京の上野学園・石橋メモリアルホールで行われた「クリスティーヌ・ワレフスカ チェロ・リサイタル」も、そのひとつだ。私にとって、このコンサート、及び、その日に至るまでの様々の出来事は特別のものだった。だから、その濃密さの故に、それが終わった後の充実した感覚は忘れられない思い出となって、私の記憶の底に大切にしまいこまれた。その日のすばらしい音楽を、「記憶」ではなく、繰り返し聴くことが出来るCDにしようというのは、もともと私の発案だったかもしれないが、それがこうして現実となりつつある今、あの日の感動の記憶を掘り起こして文章にすることのむずかしさを、私は改めて感じている。
 ご承知の方も多いと思うが、このCDアルバムは、クリスティーヌ・ワレフスカという不世出のチェリストの音楽に魅せられたひとりのファンが、仕事で訪れたアメリカの一都市で、日本ではほとんど忘れられていたワレフスカの名をコンサート案内の中に見出したことに始まる。そうして、「まだ現役で活動していた!」という驚きから現地のコンサートを聴き、あまりの感動から楽屋を訪ね、やがて、個人の力で日本への「招聘コンサート」を企画してその実行委員会の活動が実を結んでの、奇跡と言っても良いようなコンサートを記録したものが今回のCDアルバムである。
(中略)
 このCDアルバムは期せずして、1970年代以降のグローバルな――その分だけ無個性的な――音楽ビジネスから身を引いて孤塁を守って来たワレフスカの個性あふれる音楽の成果、そうしたワレフスカの「今」を伝え、後世に残す貴重な記録となった。フィリップスからの正式デビュー以前に録音されたプライベート録音を除けば、70年代に協奏曲録音しか残さなかったワレフスカの30数年ぶりの、しかも、初の室内楽録音であり、初のライヴ録音である。

【演奏曲目について】

1)J. S. バッハ:チェロとピアノのための「アリオーソ」
ヨハン・セバスチャン・バッハの作曲した「カンタータ第156番」による。しばしば「バッハのアリオーソ」としてチェロ奏者に愛奏されている。

2)ブラームス:チェロ・ソナタ第1番 ホ短調 作品38
ブラームスは生涯に2曲のチェロ・ソナタを残している。この第1番は1862年に作曲に着手され、大作『ドイツ・レクイエム』と並行して1865年の夏までの歳月が費やされたと伝えられている。
第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ、ソナタ形式
第2楽章 アレグレット・クワジ・メヌエット、三部形式
第3楽章 アレグロ、バッハのフーガの技法から引用した自由なフーガ

3)ボロニーニ:チェロの祈り
エニオ・ボロニーニは1893年ブエノスアイレスに生まれたチェロ奏者、指揮者、作曲家。ブエノスアイレス時代にピアニストのA. ルービンシュタイン、ギタリストのA. セゴビアの二人とアパートを共同で借りていて、その間に二人からピアノとギターを学び、特にセゴビアからは、その驚異的なピチカート奏法を習得したと言われている。ブエノスアイレスを訪れた作曲者サン=サーンスの前で『白鳥』を弾き、その演奏に感激したサン=サーンスが涙を流したという伝説的なチェロ奏者。80歳の時、ワレフスカの才能を認め、唯一の後継者として「他の誰にも見せずに、お前だけが弾くように」と全ての楽譜を彼女に託している。未だにその作曲作品は、すべて未出版である。1979年没。この『チェロの祈り』は、亡き父の思い出に捧げられた曲とされている。

4)ピアソラ(ブラガード編曲):アディオス・ノニーノ
1921年にイタリア系移民の子としてアルゼンチンに生まれ、4歳の時に家族と共にニューヨークに移り住んだアストル・ピアソラは、独特のリズムとメロディを持つタンゴに、バロック音楽のフーガの技法や、ジャズのエッセンスなどを自由に融合させ、バンドネオン奏者として独自の演奏形態を創出した作曲家として知られる。1992年没。「ノニーノ」はピアソラの父親ビセンテの愛称。最初に音楽に目覚めさせてくれ、バンドネオンを買い与え、手ほどきをしたという父親に捧げられた作品。
編曲のホセ・ブラガードはピアソラと同じくイタリア系。1915年にイタリアで生まれアルゼンチンで育った作曲家、チェロ奏者。1954年からピアソラ率いるブエノスアイレス八重奏団に参加、ピアソラの右腕とまで言われた。この『アディオス・ノニーノ』は、ワレフスカのチェロに感激したブラガードが、彼女のために編曲した版である。

5)ショパン:序奏と華麗なるポロネーズ 作品3
チェロ奏者としての華々しいデビューから数年後、輝かしいキャリアに封印をして一時期アルゼンチンに移り住んでいたワレフスカにとって、上記の2曲が「第二の故郷」の音楽だとすれば、ポーランド系の子としてアメリカに生まれたらしいワレフスカにとって、故国ポーランドの地を離れざるを得なかったショパンの音楽は、「心のふるさと」なのだろうか。『序奏と華麗なるポロネーズ』は1829年、ショパンがまだ20歳になる前に作曲に着手されており、ポーランドの民族舞曲のリズムが若々しい作品である。ピアノの華麗さに比してチェロの動きが単純なので、多くのチェロ奏者がチェロのパートに独自の編曲を施すのが半ば慣例となっていて、フォイヤマン、ピアティゴルスキー、ジャンドロンなどの編曲が広く知られている。ここでは、そうしたものを参照し、ワレフスカ本人によるアレンジが加えられた形で演奏されている。

6)ショパン:チェロ・ソナタ ト短調 作品65
1846年に作曲されたショパンの唯一のチェロ・ソナタ。全4楽章から成る大作で、ピアノとチェロが対等に渡り合い、融合しながら登り詰めてゆく様子は、デュオの醍醐味と言えるだろう。
  第1楽章 アレグロ・モデラート、ソナタ形式
  第2楽章 スケルツォ、アレグロ・コン・ブリオ
  第3楽章 ラルゴ
  第4楽章 フィナーレ、アレグロ、ロンド形式を組み込んだソナタ形式


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